ぼくはなぜ1年でホテル業を辞めたのか
ぼくはホテル業界に憧れて田舎から上京した。
東京の専門学校で、ホテルについて2年間学んだ。
そしてついに憧れのホテルスタッフになれたのだ。
ただのホテルじゃない。
都内でもそこそこ格式の高いホテルだ。
しかも花形のベルキャプテン。
(通称:帽子を被った、歩くコンシェルジュ)
勤務形態はもちろんシフト制。
主に平日が休みで、
まとまった連休は月に1回程度だった。
ホテルは24時間365日営業しているのでね。
朝早い日もあれば深夜まで、そして夜勤もたまにあった。
そんなことは重々承知してた。
憧れのホテルスタッフになる為にはそれくらい平気だと思っていた。
しかし現実は甘くなかった。
早番は電車が動き始める頃に起き、
酔っ払いの匂いがする電車に揺られながら
重たい瞼をこじ開けて出勤。
一日中パンプスで歩きっぱなし。
忙しい日の歩数は3万歩。
人手が少ないので、1人が抱える仕事量は多い。
残業はまぁ、当たり前。
帰宅したら疲れすぎて何もできず、ベッドで意識を失う。
朝起きても疲れていた。
休みの日も結局疲れていた。
ツレとの呑みが唯一の至福の時だったのだが、疲れて寝てしまい、よく怒られたもんだ。笑
もちろん遅番の日もあるので、生活リズムは
ガタガタだった。
免疫力は下がり、身体はどんどんボロボロになっていった。
憧れのホテル業はぼくを痛めつける邪悪な存在に変身してしまった。
もっと頑張れ。○○はもっと頑張れてる。
という言葉が大嫌いだった。
親に相談しても帰ってくる言葉は
「3年は頑張れ。従兄弟の○○ちゃんは辛そうだけど一生懸命やってる。
お前も頑張ればできる。」
これ以上なにを頑張ればいいのか。
○○にできるからぼくにもできる
という謎の理屈はぼくには到底理解できなかった。
電車に乗りながら
目から熱い液がトロトロと垂れていくのを感じた。
そんな時に
付き合った当初から一緒に住んでいたツレは大学四年で就職が決まった。
なんと1年目は地方で研修だとのこと。
心の支えであったツレとは離れ離れになってしまう
葛藤した。
心の支えであるツレが居ない生活。
答えは2択しかなかった。
「会社を辞めてツレについていくか」
「心身削ってそこで働きアリになるか」
ぼくの答えは...
何度も考えた。
専門学校へ出してくれた両親の顔
東京で出会った友達、
職場でお世話になった上司、先輩、同期。
しかしぼくは前を向きたかった。
未知なる場所ではどんな面白い人と出会えるのだろう。ツレとどんな生活が送れるのだろう。
非常に身勝手な答えだが、ぼくは
ツレについていくことにした。
両親に挨拶を済ませて会社を辞めた。
ぼくは「幸せだ」と思う方を選んで生きているから
仕事を辞めた。
結果いま幸せだ。
地方で派遣社員として勤めながら
ツレと一緒に幸せな生活を過ごしている。
これが21のぼくの
人生最大の選択であったのだ。