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雑談に救われる

数ヶ月ぶり、いや数ヶ月どころじゃないくらい久しぶりに、ママ友(というよりもはや友達)と駄弁る会を開催した。

ぐずぐずになっていたメンタルの救いになった。今日、この予定があってよかった。そうでなければ、底なしのネガティブが発動して、わたしはずぶずぶと非生産的な下降線を辿るしかなかっただろうから。

彼女たちに、そういった話をするわけではない。彼女たちとするのは子育て(や時に夫との関係)における愚痴や悩み、あとは最近の映画やドラマなどのよもやま話、そんな類のものばかりだ。子育てや夫婦関係ではない悩みを彼女たちに吐露したことはない。今日のわたしのぐずぐずメンタルは子どものこととは関係のないものが理由だったため、関する話はちらりともすることはなかった。

それでも、何となく少し楽になる気はするものだ。放っておくと内向きに内向きになっていく自分がとりあえず一時停止されるだけでも、わたしにとっては大きな救いになる。ありがたいことだなあ、と思う。

何でもかんでも誰かに吐き出せばいいというものでもない。結局わたしがひとり抱えておかねばならないものはいつだって大なり小なりあるわけで、その荷物を誰かに肩代わりしてもらうことはできないし、してもらったら自分がダメになってしまうのだと思う。

「たすけてー」と泣きつきたくなることはある。あるのだけれど、いかんせん下手すぎるがゆえに匙加減が難しい。わたしはわたしとして立っていられる状態を維持しながら、極めて冷静に理性的に吐き出すようにしないと、途端にダメになるタイプなのだ。寄り掛からせてほしいと思うようになってしまう。依存したくなってしまう。厄介で面倒なやつだなあ、そう思う。

別に具体的に話を共有しなくても、ただ同じ場所にいて、真面目だったり馬鹿だったりする話を安心できる状態でゆるゆるする。そんな時間と場こそが大切で、意識的に設けていかないといけないのかもしれないなあ、と思う。直接会って話すことが、難しくなったここ半年以上だった。今でもすべて元通りとはまだまだいかないし、これから元通りになるのかどうかはわからないけれど。

また不定期で構わないから、駄弁る会をしたいね。だらだら喋ってゲラゲラ笑う、その時間が明日への支えになるから。

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