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政治とわたし

Twitterで、「#検察庁法改正案に抗議します」がトレンドに入っている。わたしのタイムラインに表れたのは、昨夜23時頃だった。そこからどんどんツイート数が増加。表明している人のなかには、多くの著名人も含まれている。

詳しくはTwitterで見てほしい。図解してくれているツイートもたくさんあるから。あとは、せやろがいおじさんの動画とか。政治に関するわけのわからなさを緩和してくれる(ハードルを下げてくれる)から、個人的によく視聴している。「まず見てみる」からはじめてみたらいいと思う。


ただ、今回の様子を見ていて、「政治について発言するハードルの高さ」は知識のなさだけが問題じゃなかったんだなあと感じている。もちろん、「なんか難しそう」だし、「知らない立場で言うのは憚られる」人も多いと思う。というか、わたしもそうしたひとりだ。

ただ、知識があったところで、自分なりに考えを持っていたところで、日本には「政治発言はしないほうがいい」雰囲気がもうずっとある。「出る杭は打たれる」と言われるように、言うと叩かれる、何なら炎上する、その他その人の活動に支障が生じる……そのリスクのほうが大きいのだ。

わたしはどちらかというと前者だった。自分の意見を固められるほどの知識がなかったり、知識に自信がなかったり。だからこそ、表面だって言うのは怖いなと思っている。


政治について語ること、語る人自体にネガティブな印象を持たずに済んだのは、きっと高校生のときの体験が理由だ。高二のとき、アメリカから留学してきたその女の子は、自国の政治についてめちゃくちゃ自分の意思を持っていた。(ブッシュ嫌いだった)当時、選挙権はまだ20歳から。まだ3年の猶予があった当時のわたしは、それこそ今以上に政治のことなんかわからなくて、だからこそ彼女の姿勢や発言に驚いたのだ。

また、同じ高二の頃、クラスメイトの男子数人が当時の政治について教室で話している様子も見かけている。そのうちのひとりは、将来的に法に携わる仕事に就きたいと語っていたこともあり、自分で調べ考える習慣があったのだろう。同じ17歳のクラスメイトが、友達同士で政治について話している。その様子を今でもはっきり思い出せることからも、わたしに大きな驚きをもたらした出来事だったことがわかる。


20歳になり、とりあえずその時々で考えて選挙に行くことだけはしてきたけれど、「じゃあちゃんとわかっているのか」と問われると、「自信はないです」としかいえない。政治家が駅前で演説をしているところに昔馴染みと一緒に出くわしたとき、一瞬その友達の政治家、党に対する考えを垣間見る機会があったのだけれど、それもそこで終わっている。17歳のアメリカ人の彼女、そしてクラスメイトの男子たちのように、わたしはこれまで自分の考えを明確にしたことがないのだ。

ただ、明確にするかしないかは自由だ。「大人なんだから政治に関する意思をきっちり言葉にするべき」とは思わない。冒頭に書いた、今起きていることに対してだってそうだ。ただ、「意思を表明する空気を作らせない」のは、違うなと思う。全員で一緒に仲良く黙っていたらより良い方向に進むのか? ……そんなことはないだろう。都合よく扱われてしまうのがオチだ。暴走を許すことに繋がる可能性だってある。だから、せめて「発言できる人が発言できる空気」がないと、と思う。

そして、17歳のときに過ごしていた空間に「黙っていたほうがいいよ」という空気が満ちていなかったことを嬉しく思う。ああやって自由闊達に意見を言い合えている彼ら彼女らは、当時わけがわかっていない身ながら、とてもまぶしく見えたんだ。

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