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“唯一、ぜったい”のお守りをくれたあなた

「別にいいじゃん。何がどうなっても、うちは若菜のこと好きやし」

中3の春に友人に言われたこの一言は、臆病なわたしを照らす小さな、それでいて確かな灯りだ。

幼少期から、人見知りのない子どもだった。幼稚園に入ったばかりの頃は、別れ際に大泣きして困らせたと母から聞いているけれど、乳幼児期に人見知りが激しくて困ったとは聞いたことがない。

基本的に、人が好きだ。今の仕事にも活きていて、とある人には「その人好きは才能といってもいいと思うよ」と言ってもらえた。

その一方で、根底に怖さがある。わたしは人を好きだけれど、わたしは人に好かれない。特に、芯に近い感情を出した相手には。そんな想いが、もうずっとへばりついている。

ここでいう感情は、よく表出することを否定されるネガティブなものだけではない。誰かに対する好意も、その気持ちが強ければ強いほど押し込めて小さくしようとする。そうして、「ふつうに好き」でいようとする。この「好き」は、恋愛的な意味だけではない。男女関係なく、友愛も含まれる。

可もなく不可もないわたしであれば、まだ嫌われるリスクは少ないだろう。求められている自分でいれば、大丈夫だろう。そんな風に思っている自分がどこかにいる。決して自分を演じてはいないのだけれど、頑なに押し留められている自分も同時にいる。そんな感じ。

誰だって自分をすべて出しているとは思わないから、別にわたしのこの感覚だっておかしいものではないんじゃないの? そうも思う。だけど、どこかで苦しい。いや、苦しいというより、怖い。怯えている。何なんだろう。自意識過剰なんじゃないの? そもそも、誰にも嫌われないこと自体が無理なことであるくらい、とうの昔に理解はしているのに。

小2の頃、転校先の学校で、わたしは毎日泣き喚いては登校を拒否した。だけど、母に宥めすかされ連行され、泣き喚いたまま学校に引き渡されていた。方言も異なる大阪に越してきたことによる“慣れ”の問題であるという理解をされていたのかもしれないし、わたし自身もそう思っている節があったのだけれど、実はクラスメイトが原因だったのかもしれない。

大したことなんかなかった。そう思っている。あれはいじめとは言えない。そう思ってきた。陰口を叩かれただけ。方言の違いを指摘され、口を開くと笑われていただけ。ふつうに話してもらえなかっただけ。それくらいよくあること。だって、いじめって、もっともっと壮絶でつらいことでしょう?

なのに、過去のことを鮮明に覚えているタイプにも関わらず、わたしには当時の記憶があまりない。「泣いて抵抗した」のも、「陰口を叩かれた」のも、どちらかというと後付けで補強された記憶だ。当時の連絡帳が何とまだ実家に保管されていて、母と担任との当時のやり取りを高校卒業後に読んだから。

わたしに残っているのは、人が人を蔑んだり嘲笑ったりするときの、嫌な感覚。「友達」という響きに巧みに隠された、上下関係。好いてくれたわけではなく、利用価値があったのだろうな、としか思えない扱いをされたこともあった。

表面上は「仲良し」だったかもしれない。親も先生も、「助かった」と思い、相手の子に「ありがとう」と感謝していたかもしれない。だけど、歪さを感じ取ったあとのわたしは、傷ついていたのかもしれない。“しれない”を付けたくなってしまうのは、わたしなりの保身だ。本当は、傷ついていないことにしておきたいから。彼女は友達で、わたしに親切にしてくれた子でいてほしかったから。だけど、そうではなかったことも気づいていた。あの子との関係は、決して対等なものなんかじゃなかった。

その学校の校区は、家庭の経済事情にゆとりがある人が多いのでは?といった戸建て住宅やマンションが多いところで、後に再び転校した先とは子どもの身なりなんかも少し違っていたから、「恵まれている人が持つ残酷さ」なんていうものも、わたしのなかに偏見として刷り込まれている。(次に転校した先は団地の多い地域で、生徒の人数が少なく、どことなく純朴なタイプの子どもが多い印象だった)

この頃の経験が、その後のわたしの性格形成にどれだけ影響を及ぼしたのかはわからない。むしろ、及ぼしているとは考えてこなかった。だけど、本当は今の自分に強く繋がっているできごとだったのかもしれない。人によっては「そんなことで」といった程度だろう。だけど、当時のわたしにとっては、つらく苦しいことだった。

冒頭の言葉は、中3のとき、部活動の同級生メンバーに総無視をされていたときにかけてもらったものだ。無視をされた理由はおそらくシンプルなもので、部長だったわたしが顧問からの頼まれごとをしていた、そのことに対する「何調子乗ってんの?」だったのだと思っている。部長職は任命制だったから自ら挙手したわけではない。いや、たとえ立候補した場合であっても、単に役割を果たしていたに過ぎないのに。

ただ、小2の頃が「他県から越してきた異物」が原因だったのだろうとすれば、中3のこのときの原因も「だろう」だ。真実はわからない。だから、どこかで「いやいや、わたしが何かしでかしたのかもしれない」「不快にさせる何かがあるのかもしれない」という思いが消えない。

原因を自分にもってくることは、時に認知の歪みだと言われるけれど、でもだって、本当に歪んでるって何でわかるの? とも思う。わたしが悪くなかったなんて、何で言えるの?

知らないうちに、嫌われる原因を撒き散らしているのかもしれない。ひとりに嫌われるならまだしも、どこかでその悪感情を共有されているのかもしれない。

わたしはグループに所属するのが苦手だ。その苦手は「特定の場所に縛られたくないから」だけれど、同時に「一斉にその場にいる人に嫌われるのが怖い」という思いがあるのだと振り返るなかで気づいた。仕方がない。仕方がないんだけど。でも、やっぱり怖いものは怖い。

「別にいいじゃん。何がどうなっても、うちは若菜のこと好きやし」

彼女は、「えー、無視とか最低ー!なんでー!?」とひとしきり憤慨したあと、上の言葉を言った。様子がおかしかったのだろうわたしを心配し、なのに何があったのか言い出さないわたしに付き添い、わざわざ遠回りして帰宅してくれたときのことだった。(わたしの家のほうが遠かった)

どう足掻いても、怖さは消えない。好きな人ができるたび、漠然とした不安が去来する。“ありのままのわたし”のうち、出しても大丈夫であろうわたしで過ごそうとする。嘘はついていない。けれども、どこかがキュッと閉じている。さらけ出されているわたしを、カーテンの隙間から覗き見ているわたしがいる。大丈夫? だいじょうぶ? 明け透けに語ってもだいじょうぶ? 弱さを見せてもだいじょうぶ? かなしい、つらい、くるしい。伝えても、だいじょうぶ?

ぶわわっと怖さがふくらんでわたしを覆い隠す。気のせいだよ。思い込みだよ。思い過ごしだよ。自意識過剰だよ。でも、もし、たとえ、思い込みじゃなかったとしても。それはそれで、仕方がないよ。わたしだけのせいじゃないかもしれないし。小さくズレた道がいつしか遠く離れてしまっただけで、だれもわるくないのかもしれないよ。

自分でいくら言い聞かせても、わたしの怖さは消えてくれない。認知が歪んでようが歪んでいまいが、怖いものは怖く、苦しいものは苦しい。息が浅くなるわたしに呼吸を戻してくれるのは、あの日の彼女の一言だ。

べったり仲がいいわけではない。会う頻度が特別高いわけでもない。むしろ、他の子の方が会う頻度が高い時期だってあった。連絡すらまともに取らないことも多い。

なのに、「あの子がいる」と思える。いつだって、もうずっと前から。

どんなあなたであってもだいじょうぶ。

この言葉は、逆に見せていない部分に対して「ひた隠しにしている」意識を消してくれた。依存はせず、だけど支えになっている。

あの頃、「すべての子に嫌われたとしても、この子たちはだけはいてくれる」と思わせてくれたうちのひとりの、彼女。そう思えた理由のひとつは、あなたのあっけらかんと放った言葉がわたしを守ってくれたからだと思う。

今も、誰かと仲良くなるのは怖くなくても、親しくなるのはどこか怖い。“ちゃんと”しなきゃ嫌われてしまうから、ダメな自分にフタをする。できるだけ、でき得るだけ、少しでもマシな自分でいたい。そんな自分は消えない。どれだけ烏滸がましいんだろうと思いはするけれど、消えない。だけど、そんなわたしのなかには、「別に嫌われちゃってもいいじゃん。わたしがいるし」と笑ってくれる彼女がいて、情けないわたしを笑い飛ばしてくれている。

きっと、彼女はあの日のことを覚えていない。「そうやったっけ?」と言う声まで想像できる。カラカラ笑う彼女。あなたのおかげで乗り越えられてきたことが、実はいっぱいあるんだよ。あらたまっていうのは恥ずかしいから、いつも馬鹿なことばかりしてケラケラ笑っているけれど。

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