シンプルに、嬉しかったんです

「この子は、『ぶたき』なんですって言っといたよ」

と聞いたのは、確か小4の頃だった。「ぶたき」とは、「豚もおだてりゃ木に登る」の略だという。言ったのは親だ。当時、習っていたピアノとエレクトーンの先生に伝えた言葉だった。

先生はハチャメチャに厳しい人だった。怖かった。今はどうかわからないけれど、当時のピアノの先生は「穏やかでやさしい楽しく弾こうねタイプ」と「とんでもなく怖くて厳しい鬼タイプ」とにぱっくり分かれていたように思う。漫画「のだめカンタービレ」の主人公・のだめを教えた歴代先生も2タイプに分けられる。わたしの先生は女性だったけれど、のだめに出てくるハリセン教師からギャグ要素を除いたような人だった。愛はあるけれど、とりあえず怖い。立ち向かえるメンタルを持ち合わせていないわたしは、まともに食らって調子を崩すこともしばしばだった。指導の厳しさが一段階上がり、微熱が出たり腹痛を起こしたりしていたのが、小4の頃のことだった。

そんなわたしを見ていた親が先生に伝えたのが、冒頭の「豚もおだてりゃ」だ。要するに、「褒めて伸びるタイプです」。まあ、うん。否定はしない。確かに叱られて「ナニクソ」と発奮するタイプではなく、褒められたほうが伸びるタイプだった。ただ、正確に言うと「褒められないと伸びない」のではなく「過度に叱られると委縮してしまう」のがわたしだった。

先生がそれで指導の手を緩めたわけではなかったと記憶している。もしかしたら意識は変えてくれたのかもしれないけれど、わたし本人が感じられる変化はなかった。相変わらず怖かったし、震えあがりまくっていたし、指先は緊張しすぎてたいがい冷たかった。それでも、グループで出ていたアンサンブルコンクールの本番前には、待機している舞台裏にきて「大丈夫。あとは楽しんでね!」と毎回笑顔で背を押すのだ。良し悪しはどうあれ、指導が下手なわけではなかったのだと思う。しごかれまくったわたしたちは、結果として賞を取れていたのだから。

大人になった今は、「ぶたきであってたまるか」と思っている。おだてられたいとは思わないし、おだては所詮、相手にも伝わるものだと思っている。実際、あからさまなおだてに恐れをなして引いたこともある。ただ、それでも褒められることは嬉しいなと素直に感じる。褒めなのかおだてなのかは、これはもう直感だとしか言えないのだけれど。

何でもかんでも褒めてほしいというわけではなくて、良かったと感じたときにそのことを伝えてもらえるのは、やっぱり励みになる。安心材料にもなる。いくら客観思考を身に着けようとしたって、どうしたって主観はゼロにできない。だから、他者視点からの「これはいい」「ここが素敵」は、「ここがダメ」と同じく貴重な意見なのだ。


今日、嬉しい言葉をいくつかもらった。ひとつはこれまでに言われたことのない方向からきた言葉で、「うっそでしょ」と思った。(し、「本当ですか?」と聞き返してしまった)その人にはそう感じてもらえたのだろう。感じ方は人それぞれだから、その感じ方も「絶対」ではないけれど、新たな自分の長所を教えてもらえた気がして嬉しかった。

わたしは、自信を自家発電だけで育めない。「できた」とは思えず、「できた……と思いたいけど、実際できているかどうかはわからない(だって判断するのはわたしじゃないから)」と思う。他者からの嬉しい言葉は、「できた」を支えてくれる。

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