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素顔は鏡に映らない

鏡では自分の素顔を見ることはできない。

そのことを知ったのは、何歳の頃だっただろう。

その理由は、“鏡は反転するから、本来の顔は映らない”だった。今は素顔を見せる鏡がもしかしたらあるのかもしれないけれど、わたしは生憎持ってはいない。

同じく、わたしはわたしの肉声を生で聞くことはできない。録音でなら聞けるけれど、リアルタイムでは無理だ。リアルタイムで聞こえるわたしの声は、骨伝導により肉声とは違って聞こえる、らしい。


「そういう風に思っているのは、自分だけかもしれないよ」

そう、waseisalonの新年会二次会で言われた。そのことについて、帰りの電車内でふわふわ考えていた。

内省してきて思うのは、わたしは自意識過剰気味だということ。そして、最近さらによく聞く“自己肯定感”がこじれている、ということだ。決して“低い”とは言わないけれど、高くはない。自分のことを嫌いではないし、過去には単純に好きだったのだろうと思うけれど、その“好きな自分”は“できている自分”にしかすぎず、“できていない自分”をそのまま受け入れられはしない。そういうことだ。

自分のことは、きっと自分が1番知っている。だけど、自分が見えている自分は、果たして本当に“自分”なのだろうか。そんなことを、ふと思った。

自分には、四つの面があるという。ひとつは、自分にも他人にも見えている自分。ふたつ目は、自分にしか見えていない自分。三つ目は、他人にしか見えていない自分。そして最後は、誰にも見えていない自分だ。

だとしたら、鏡に素顔を見ることができないのと同じように、自分のことを理解していると思っているのは、自分の思い込みなのかもしれない。そんなことを思った。

以前にもこんなnoteを書いているけれど、なかなかどうして、自分が自分を苦しめているところからの解放は簡単ではないらしい。

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