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指を咥えて王子を待つな

先月、長野県根羽村に住むご夫婦のnote執筆を手伝った話を書いた。

公開された記事はこちら。

お話のなかで印象に残っている内容のひとつが、「移住は魔法じゃない」だ。移住したら、すぐさま人生バラ色ハッピー! ……になるわけじゃないよ、ってこと。まあ、当たり前ですね。



ただ、案外そういうことって起こりがちだなと感じていて。それは別に移住だけじゃなくて、「どこそこに属したら仕事がもらえるだろう」とか「この人とさえ仲良くなったら人脈が勝手に広がっていくだろう」とか、そういうことも含まれる。

何なら、新たに行動を起こしていないにも関わらず、「このままやっていさえすれば、いつかきっといい変化が訪れるんじゃないか」とぼんやり期待している、なんてパターンもあるのでは。


「いつか白馬の王子様がきて見つけてくれるだろう」的な思考は、勝手に思っている分にはいいけれど、期待していた結果が得られない可能性が高いことを理解しておかなければならないものだろう。

妄想して楽しむ分にはいいけれど、用法容量を守ってお楽しみください、ってものだよね。それは妄想であって現実じゃねえぞ。

望む結果が得られなかったときに、「おいあのクソ王子、見る目なさすぎだろ! ここにあなたの運命の相手がいるのに!」と悪態をついたところで、何も状況は変わらない。王子が悪いわけでもない。

だって、そんな自分は王子に見つけてもらえる行動を起こしたの? 行動を起こさずに見つけてもらえることこそが運命と言われてしまうと、「うん、まあ、そういうこともあるかもしれないけどさあ」としか言えないけれど。ただ、とりあえず家を出なければ道の角で良き人とぶつかることもないし、宝くじも買わなければ当たらないんだよ。


楽しそうな人や幸せそうな場所に立っている人たちを見て、「いいなあ、羨ましいなあ」と思う分には不幸せなことにはならないけれど、同時に幸せにもならない。また、「ずるい」「わたしだって」と思ってしまうのなら黄色信号だ。「ずるい」「わたしだって」と思えるほど、さてわたしは何かをしただろうか。「しきった」と言えるのだろうか。


棚の下であんぐり口を開けて、いつ来るともしれずぼた餅が降ってくる日を待っているのは滑稽だ。だったら手を伸ばせよ。ジャンプしてみようよ。それでも届かないなら、脚立やら椅子やらを持ってこようよ。白馬の王子に「ここにいます!」ってアピールしようよ。王子の好みを調べてみるとか、何かしてみようよ。

指を咥えて眺めながら、「いいなー、どうせわたしなんかさー」って悲しんだり羨んだりしている場合じゃないんだよ。一歩動いてみたなら、二歩目を出さないと。一歩目で踏み出したその足は、別に魔法の門をくぐったわけじゃないんだぞ。


自分で「もうこれ以上は無理」と思えるくらいやってみたところで、望む結果が得られるなんて保証はないけれど、少なくとも今よりきっと楽しい時間が得られるだろうし、その先には成長した自分が待っているんじゃないかな。

「シンデレラストーリー」を羨んでいる暇なんて、ないんだよ。あと、きっとシンデレラストーリーの主人公のほうが、今のわたしよりずっと努力して行動しているはずだよ。

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