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きっとトンネルは終わる
ここ数日、noteが滞っていた。優先すべき事項(仕事とか仕事とか)が重なっていたのも理由のひとつではあるけれど、1番は「言葉が出てこないレベルの不調」だった。
仕事に支障が出るレベルで、メンタルはどん底。さらに頭痛と目の裏の痛み、肩こりが重なり、フィジカルもズタボロだった。(フィジカルは今もそこそこボロボロだけれど)
仕事は這うようにしてこなしたけれど、「この文章、大丈夫……?」と不安になりながら書いていた。言葉が頭を素通りしてしまうのだ。
ここしばらくをそうした状態で耐え、ようやく今朝、少し光が見え始めた。避難したコメダ珈琲での仕事も捗る。何よりも、文章が「ふつうに」書ける。
頭の中に異物があって、書く回路を邪魔しているとしか思えない状態に長らくいたものだから、これはとにかくうれしいことだ。
わたしは、書けなくなったら死んでしまう。「書かない」選択肢はあるけれど、「書けない」は死と同義だ。つらくても書けるのであれば、まだ生に食らいついていられる。でも、書けないのはダメだ。本当にダメだ。正直、今回のメンタルどん底はなかなかに切羽詰まっていたから、心底「書けなくなるとさらにやばい」を実感した。
昔は、メンタルが危機に陥ったときに夫(というか彼氏)に寄りかかっていた。それでも自制心をもっていたつもりだけれど、ある程度依存していたのは事実だ。すべてが救われるわけではなかったけれど、何とか生きながらえてきたのは、彼のおかげが大きい。
彼以外にも、「この人がいたから永らえた」と思える人は何人かいる。具体的に吐き出す相手ばかりではなかったけれど、連絡を取ったり会ったりすれば元気になれる友人は、とてもありがたい存在だ。
ただ、そんな相手であっても、「やばさ」が度を過ぎると「助けて」を発せなくなる。今回がそれだった。そして、残念ながら今の夫にはわたしを支える力はない。本人が自分のことで手一杯でもあるからだけれど。(夫もメンタル不調)
わたしは今回、どうにかこうにか、わたしの力で危機をひとつ乗り越えたらしい。きっとそれは、いつまで経ってもひ弱なメンタルのわたしが誇っていい成長だ。
明けない夜はないだとか、終わらないトンネルはないだとかいうけれど、そのことを頭でわかっていたとしても、「そのとき」のつらさは言葉にできない。いっそすべてを終わらせたくなることも、未だにしょっちゅうある。
それでも、やっぱりいつかはトンネルを抜ける日が来る。光が差し込んで、クリアに見える日が来る。
そのことを、何度も何度も、わたしは自分に言い聞かせていきたい。
(なお、頭痛と目の痛みは引いたけれど、左肩は死んでいます……)
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