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スヌーピーは帰ってこない

記憶にないほど幼い頃、わたしはスヌーピーのぬいぐるみがお気に入りだったらしい。アルバムの写真の多くに写っていたスヌーピーは、しかしあるとき無残にも置き忘れられてしまう。探したけれど見つからなかった、と母自筆のコメントがアルバムに添えられている。

トイ・ストーリーシリーズが昔からすきで、4も子どもと観に行った。あのシリーズのなかで、おもちゃたちは持ち主のアンディの元へ帰ろうと疾走する。そして、毎回帰ってきた。

わたしのスヌーピーのぬいぐるみも、ああやって走って戻ってきてくれたらよかったのにな。……と置き忘れた自分を棚に上げて思う。

ちなみに、絵本「かしこいビル」でも、ウッディさながらにおもちゃの兵隊・ビルが持ち主の元まで走るのだ。彼らにとって、持ち主はある意味で親、ある意味で我が子のような存在なのだろう。走り誰かの元へ戻る経験なんて、なかなか日常生活のなかではしない。少なくとも、わたしは。

トイ・ストーリーを見るたび、もう遊ぶことはなく、かといって誰かに譲れる状態ではない実家に残してきたおもちゃやぬいぐるみたちを思い返してしまう。彼らは走って埼玉のわたしの元まで来られない。供養にも出さず、処分もせず、実家に保管され続けている彼らは、わたしのことをどう思っているのだろう。そして、一方で思う。大人になったわたしは、どれだけ誰かのために走れてきたのだろう。

どんどん“何となく”人間関係が円滑にできるようになっている気がするけれど、実はただ表面上でうまく取り繕えるようになっただけで、成長なんてしていないのかもしれない。

誰かのために走りたくなることは、実はありがたいことなのだろう。わたしには走れる手段がある。だとしたら、帰ってこない相手を待ちつづけるよりも、走り寄っていくほうが心地いいのかもしれない。

【今回のお題】「ぬいぐるみ」「走る」

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