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目指す先が見えない、迷子フリーランスのひとりごと

ぼんやりとした不安感が、濃くなったり薄くなったりしながら、ずっと胸の内にある。

空を流れる雲が厚くなったり薄くなったりするように、心のなかに暗雲が立ち込めて息苦しくなったり、薄くなった雲の上にある光がかすかに見えたり。そんなことを繰り返す日々を送っている。

不安感に、明確な原因はない。だから、どう晴れさせたらいいのかも、よくわからない。

明確にいいことがあったわけでもないのに突如として前向きになり、特段悪いことが起きたわけでもないのに、これまた突如沈み込む。「お天気のほうがよほど予測がついて心づもりができるのだけれど」と自分に文句を言いたくなるくらい、わたしの心は上昇と下降を繰り返している。

ひとついえるとするならば、向かう先が見えないからなのだろうなあ、ということだろうか。

振り返ってみたら、2021年9月にすでに書いていた。


「なりたいもの」は、ウォークラリーにおけるポイント地点だ。一旦のゴールだ。それがわたしにはないものだから、向かうべき方向がわからず、それが不安感につながっているのかもしれない。

いただいた仕事を、決められた期日までに仕上げる。それもまたひとつのゴールだ。だから、仕事を終えるたびに束の間の充足感は得られているのだろう。ありがたいことだと思う。

ただ、もっと大きな、というか、わたし個人としての向かう先は見えない。ないといけないわけではないのだろうけれども、ないことを楽しめずにストレスに感じているくらいなら、暫定的でもいいから、何かしら向かう先をポイント地点として据え置くべきなのかもしれないなあ、なんて思う。

まあ、先にあげた過去のnoteにも書いているように、「死なないように生きていけたら、そして生きていくなかで少しでも誰かの役に立つことができていたら」御の字で、万々歳だとも思うのだけれどもね。


いっそ、目的地がない散歩を楽しめる余裕を身に付けられたらいいのにな。そもそも、フリーランスなんて自由度の高い働き方をしているのだから、定められたレールなんてないわけで。何なら、レールなんてものすらない生き方を選んでしまったわけで。……ほかに選ぶ余地がなかったから選んだ生き方ではあるのだけれども、それはさておき。

まあ、でも、今は先行き不透明な時代ではあるから、どんな働き方をしている人であっても、原因不明の不安を抱えている人は一定数いるのだろうな。それでも命が尽きるまで歩んでいかなければならないわけで。難しいね、人生。難しく考えているからかもしれないけれど、少なくとも楽ではないよね。どうしたら少しでも軽やかに穏やかに晴れやかに生きていけるんだろうなあ、なんてことを考えながら、「性格的に無理じゃね?」と悲しいセルフツッコミをしている。

あと数年で不惑だってのに、惑わず生きていける日がくるとは思えない。人生、割とずっと迷子です。


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