勝手に救われる

子どもの体調不良がとうとうわたしにうつり、そこに生理が重なった。気分は最悪。

そこに追い打ちをかけるようにして、子どもがとあることをやらかした。この出来事について、まだわたしは消化しきれていない。どうすればいいのかわからずに、最後は訴えながらはじめて子どもの前で涙を流してしまった。伝わってくれていたらいいのだけれど、それもまだ、わからない。

こうした諸々が重なって、フィジカルもメンタルも倒れ伏してしまった。肉体はお手洗いから出てこられず(軽めの胃腸炎だった)、精神は失踪願望や消滅願望へと真っ逆さま。希死念慮持ちなので、まあ、そんな感じでダメダメな感じだった。


そんな陰鬱な日を過ぎた取材日。取材後に片付けをしながら取材相手と雑談を交わす。そのなかで、何とはなしに子育ての話になり、そしてわたしは勝手に救われた。

たぶんママ友には子どものやらかしの話はできないし、実家家族にもしばらくは話せないだろう。そんな話が、雑談の流れでぽろりと出た。

雑談にするにはなかなかな話題であったと思うけれど、相手の方はフランクに受け止めてくれた。オーバーに捉えるでもなく、極めてフラットに。


柔らかに、そっと寄り添える人を素敵だなあと思う。寄り添いながらも、ふわっと自然と日向に目を向けさせてくれる力を持っている人が好きだ。

「北風と太陽」の太陽はギラギラ照らしつけたイメージがあるけれど、そうではなくて、もっとぽかぽかと穏やかな暖かさ。冷たさや暗さを決して否定せず、貶さず、それでいて当人は暖かな熱を放つ。そんな人だ。

その相手が友人であれ一時知り合っただけの人であれ、わたしは勝手に救われる。太陽に照らされて勝手に衣服を脱いだ旅人のように、勝手に心が引き上げられる。


ああ、そんな人になりたいなあ。いろいろなものを自分の中に抱えながら、ふんわりと包み込めるような人に。

わたしはまだまだ未熟で、だから救われてばかりだ。

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