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拝啓、先生

大宮行き京浜東北線はすでに空いていて、ああ今日は祝日だったんだよなと思った。

中学時代の恩師が定年退職を迎えるらしく、小学生時代からの友人に誘われてビデオレターを撮った。お互いに動画やビデオレターを撮ったことはなく、自撮り経験すら浅い。

昼過ぎから会っていたにも関わらず、動画撮影をはじめたのは夜8時が過ぎてから。なんとなく互いに後回しにしてしまい、スーパーで買い込んだ菓子や寿司や酒を飲み食いしていた。

彼女がほぼ使ったことがないという自撮り棒にスマホをくっつけて、「恥ずい恥ずい」と言い合いながら録画する。できあがった動画はところどころかしこまっていて、ところどころ緩い、なんともこそばゆい出来栄えだった。「まあ、上出来じゃない?」と解散する。いやはや、配信をしているひとたちって、あらためてすごいね。

「恩師」といえる教師に出会えたことは、わたしの幸いだ。学年主任を務め、生徒指導に出世し、わたしたちが卒業したのちに教頭、その後校長になった彼は、いわゆる熱血教師だった。

生徒をあだ名や名前で呼び、豪快に笑う先生のことを慕う生徒は多く、当時少々荒れ気味だったわたしの学年の生徒も例外ではなかったように思う。口先だけではない本心から表れているのだろう態度は、生徒にも伝わるものなんだろう。ときに反発しながらも、なんとなくいい関係を築いているように見えていた。

彼が教員生活で何人の生徒を送り出したのかは知らないけれど、やたらと生徒の名前を覚えているのが印象的だった。卒業後に何度かお会いしたときには、会話のなかで口からぽんぽん飛び出す同級生の名前に、「担任じゃないのに、よく覚えてくれているんだなあ」と何度も思っていた。

卒業後には、生徒だけではなく、後輩の先生たちに対しても熱い思いを抱いていたことを知った。わたしには、もうひとり小学生時代の先生に「恩師」と呼べるひとがいるのだけれど、彼にとって先生は「尊敬している先輩教師」だったらしい。後輩教師の面倒見もよく、教師としても憧れる存在なのだと大人になってから聞いた。

荒れた学年を担当する羽目になってしまったがために、夜遅くまで生徒指導にあたることもあったらしい。当時子育て中だった先生は、ときに子どもを迎えに行き、職員室で過ごさせながら生徒に接することもあったのだという。

「いやー、大変だったよなあ」と、先生はやっぱり豪快に笑う。今のライフワークバランスとかけ離れた働き方をしながら、先生は生徒に向き合い続けてくれていたのだなあ、と思った。先生が心身ともに潰れずに定年を迎えられてよかったなあ、とも。

大人の欺瞞を見抜き始める中学時代。「先生」に失望することもあったし、先生もただの人間なんだなと思ったできごともあった。それでも、先生ってやっぱり大きい存在だよなあと思い続けられたのは、素敵な先生たちに出会えたからだ。

生徒のよさをよく見ていて、きちんと言葉にして伝えてくれていた先生。何かを言うと、「おー、ええやん」ととにかく肯定してくれていた先生。出産後に母校に戻ってきていた先生に挨拶に行ったら、快く迎えてくれて、お祝いまでくれた先生。生徒を「子ども」ではなく、「人間」として接してくれていた先生。

先生に出会えて、わたしはとても幸運でした。また今度、ぜひ飲みに行きましょう。

長い間の教員生活、お疲れ様でした。

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