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ネットの海は、時として井の中

ネットを手に入れて、きっと世界は広がった。

わたしは小六の頃に学校にパソコンがやってきて、授業で習った世代だ。家にパソコンがやってきたのもそれくらい。「パソコンのパの字から」という本が家にあったのを憶えている……(電源を押してオフにしちゃダメだよ、と書かれていた)。

高校生の頃には、ガラケーを持たせてもらえなかった代わりに、パソコンばかり使っていた。ほとんどが創作のためで、オフラインでの使用だったけれど、当時どこぞやの掲示板で知り合った年の近い女の子と恋愛相談をしていたこともあったなあと思い出す。

リアルの友達にはほとんど言えなかったことを、彼女には話せていた。広島に住んでいて、年賀状のやり取りをするまでに至ったのだけれど、時間とともに何となくフェードアウトした。たぶん、それはお互いの失恋の傷が癒えたタイミングだったのかもしれない。

高3で創作サイトをタグ打ちして作って、一次創作仲間が増えた。そのときのひとりは、今年になって「どうしていますか?」とまだ残っているサイトから連絡をくれた。(以前のnoteにも書いている)

年齢もバラバラ、居住地もバラバラ。顔も名前も知らない知り合いが増える。世界って広いなーと思っていた。高校時代頃までなんて、たかだか2、3歳差の人くらいにしか出会わないもんね。


そして、今。ネットがあるからわたしは今の仕事をしているし、ネット経由でリアルにまでつながった人も増えた。相手の居住地は国外にまで広がり、年の差はさらに上にも下にも広がった。

でも、わたしは以前ほど、ネットに世界の広さを感じてはいない。

今は、むしろ物理的には何の広がりもない、リアルな日常に広がりや奥行きを感じることすらある。わたしのリアルな日常は、日本の、埼玉の、自宅周辺の、本当に狭い範囲で成り立っているのに。(あ、仕事では首都圏をうろうろしているけれども)


ネットのなかの世界は、広いようで狭い。というか、無意識のうちに自ら狭くしてしまうのだと思う。世界がそこに詰まっているような思考回路になってしまう。そんなこと、まったくないのに。

実際には、ネットのなかのことなんかまったく知らない人がたくさんいる。わたしの周りの友達は、内々でfacebookをたまにやっているくらいで、ほとんどの人が(たぶん)SNSをやってもいない。

価値観が偏るのが怖い。自分のなかの正義にこだわりがちなタイプだからこそ、いろんな価値観に塗れていたいと思っている。

時にはスマホから顔を上げて、空を見上げよう。本を読もう。マンガを読もう。ラジオを聴こう。映画を観よう。人と話して、人と会おう。

便利さからスマホ内で物事を完結させてしまいがちなこともあるけれど、目の前から遠くへ焦点を合わせる時間も設けたい。今日はいい天気だ。

#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと #思っていること


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