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あの夏の「なぜ」が、まだわたしに絡みついている

夏は、わたしにとって少し強すぎる。暑さと、眩しさと、鳴り響く蝉の声。どれもこれも、なけなしのわたしのエネルギーを吹き飛ばしてしまう強さを持っている。

年がら年中メンタルが不安定ではあるのだけれど、夏と晩秋に特にガクンとくるような気がしている。あとは3月。晩秋と3月は、きっと年と年度の終わり頃だからかなと思っているけれど、なぜ夏になると落ちやすくなるのだろう、と思っていた。


答えはすぐに見つかる。わたしは夏に、3つのネガティブな出来事を経験しているからだ。

そのどれもが、そのときの空気の温度感までまざまざと思い出せる。「どうして」と「なんで」も、一緒に。


ひとつ目の出来事は中2の頃。それから、わたしにとっての夏は少し色を変えた。そして、高2と大学1年の頃。どれもこれも10代の頃のことだ。


悲しい、とは少し違った感情だった。虚しい、も違う。胸の真ん中あたりに、どすん、と大きな石を置いていかれたような感覚。のどの奥に言葉が絡まって、思い出すと呼吸が浅くなる。

どの出来事も、実はまだ消化しきれていないのかもしれない。しきれる日がくるのかはわからないのだけれど。少なくとも、忘れられる日はこないだろうと思う。


メンタルが崖っぷちにいるなと感じても、どうにかこうにかそこに留められているのは、これらの出来事も理由のひとつだ。

夏になると、空気の匂いがその当時を引き連れてくる。そうして、わたしを引っ張る。暗いほうへ、落ち込むほうへ。

夏の暑さに耐えるだけでもつらいのに、引きずられまいと抗わねばならず、わたしは余計に疲弊する。

そういえば高2の夏は、エアコンをかけない南向きの部屋でひたすら寝て耐えていたなあと思い出す。最近のわたしがまともに起きていられないのも、同じ理由だろうか。

あの頃とは違って、今は寝続けて耐えることはできない。朝は来るし、子どもは目覚める。一日中何もしないわけには、いかない。

気がつくと浅くなる呼吸を意識して深くしながら、夏が終わるまでの間、じっと耐え忍ぶ。あの日の空気が離れていくのを、ただ寝転んで待ちながら。

#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと


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