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皆さん、こんにちは!
UNZANです。

本日は、無冠の帝王マンセルの続きです。
今回で終わります(笑)


<暴れん坊将軍 マンセル>

個性的なマンセルは、色々な異名がありました。
「無冠の帝王」(最後はワールドチャンピオン取りました)
「荒法師」
「暴れん坊将軍」
と言いうイメージですね。
マンセルがF-1でワールドチャンピオンになる1992年にかけて、古舘伊知郎さんがF-1実況では有名になっていました。
私の印象ですが、日本は圧倒的にアイルトンセナのファンが多く、古舘伊知郎さんもセナファンだったと思います。
そんな日本ですから、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセルの異名は、悪名や嫌味なネーミングが多かった気がします。
「プロフェッサー プロスト」のように、ちょっと嫌味が入っていますよね。
ちなみに、アイルトンセナは「音速の貴公子」ですからね。
でも、マンセルのアウトローな感じと愛妻家なところに惹かれているのも事実なのです。
実際に、走りもアグレッシブですし、やる気がなくなると勝手にピットインしてリタイヤするなど、自分の気持ちにまっすぐな人でした。
ただ、政治的駆け引きが苦手で、苦汁をなめることも多くあったようです。

<マンセル+タンブレロ=スピン?!>

これがすぐにわかる方は、かなりのF-1通かマンセルファン!
ゲルハルトベルガーやアイルトンセナの事故ではないです。
1990年サンマリノGPで、ゲルハルトベルガーとのバトル中に、タンブレロコーナー手前で360度スピンを起こします。
推定280km/h以上の速度が出ている中でのスピンでした。
しかし、なんとそのままコース上に留まり走行を続けたのです。
これは、映像を見た方が分かりやすいです。
言葉ではすごさが伝わりません(;^_^A
※私の言葉足らずは否めませんが・・・
1990 F1 総集編(全編)
こちらのYouTubeで確認できます。
私も前職でテストドライバーをしていたので、時速300kmの世界を体験したことがありますが、あの状況でスピンすると生きた心地はしないと思います。
ただ、訓練すると自分がスピン中どこに向いているかは、以外と分かるものです。
でも、あんなに何事もなかったかのように走り続けるのは、ライオンハートの持ち主だけですね。

<F-1パイロット最終世代?!>

個人的にですが、アイルトンセナの事故でF-1の「成長期」が終わったと認識しています。アイルトンセナの事故までは、一秒でも早くすることがF-1の使命でした。
「予選用Qタイヤ」
「添加剤入り燃料」
「無給油レース」
「コースレコード」
「スリックタイヤ」
などなど・・・
アイルトンセナの事故以降は、いかにF-1マシーンの速度を抑えて安全にレースが行えるかに着眼点が置かれました。
※この話題だけでも一つの記事になるので、この辺で。
今のF-1ドライバーも命を懸けていると思いますが、この時代とはちょっと重みが違うと思います。
「アイルトン・セナ」
「アラン・プロスト」
「ミハエル・シューマッハ」
そして「ナイジェル・マンセル」
私がF-1に熱狂していた時代のワールドチャンピオンです。
私には、永遠のF-1パイロットです。

<それぞれの時代>

「昔は良かった」「今どきの若いもんは」
この言葉、なんと紀元前から確認できるそうです。
古今東西、その人物が生きた時代が最高の時代となることが多いです。
私にとっては、1989年~1995年ぐらいまでがF-1黄金期と思っています。
しかし、年齢や環境によって人それぞれ黄金期は違います。
自分たちが思う、黄金期を大切にしましょう。

<編集後記>

久々に、「1990 F1 総集編(全編)」をこの記事を書くために見てしまいました。
あっという間に時間が過ぎました。
懐かしいドライバーの名前が連呼されていますが、殆どの名前を思い出せました。
最近のことは覚えることが難しくなってきましたが、青春時代のことは覚えているのですね。
マシーンのフォルム、音、マシーンテクノロジーなど、やはり、私にとってのF-1はそこにありました。

そして、一度は行ってみたいと思っていた場所、それは世界三大レースの一つ「モナコGP」です。
新婚旅行は、モナコGPと決めていたのですが、結局夢はかなえられなかったです。

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