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石の上にも。

noteでエッセイを書き始めて一年半以上が過ぎた。

「夕刊UNI」などとふざけたタイトルのマガジンを作ってみたところ、読んでくださる方々が現れた。

始めは投げ銭などをいただきながら値段をつけてノートを販売していたが、読者が増えたのを弾みに、有料マガジン「夕刊UNI」の販売を始めたのだった。

100ノート分で500円。
一記事5円の計算である。

「素人のくせに!」という反感を買うことを承知で挑戦してみたが、自分の予想を裏切り、マガジンを購入してくださる方、応援という形でわざわざ単品のノートを何度も購入してくださる方々が現れてくれたのは、本当に嬉しかった。

100記事を無事に書き終えると、まだまだ書きたいことがあるような気がしてきた。

そして2冊目の有料マガジン「帰ってきた夕刊UNI」も引き続き販売を開始した。

無料マガジン「夕刊UNI」を読み、気にいってくださった方が有料マガジン「夕刊UNI」を購入してくれるようになり、こちらの2冊目の有料マガジン「帰ってきた夕刊UNI」も、引き続き購入してくださる方々、新たにフォロワーになってくださり購入していただく方々も現れ、私は書くことが益々楽しくなっていった。

これは始めて書くが、私は高校時代出版部に所属していた。
文章を書くことはある程度得意な方だったのである。

何を書けばウケるかというよりも、自分が読みたいと思うもの、好きだと感じることを書くことが、結果的に「お前は面白い文章書くなぁ。」という評価に繋がっていくことを経験していた。

それにしても、素人の日常生活を書いたものなどなんの価値もないと思う人が大半だというのは100も承知で図太く書き始めたのだからやっぱり自分は図々しいのだと思う。

しかし、私は人を観察し、その人の心を読むことに興味がある。

人を見ることは、自分は何者なのか、自分はどういう人間なのかを知ることに繋がっていく。

なぜ自分はこう考えるのか?どうして私はこの人に惹かれるのか?そしてなぜ私はこの人が苦手なのか?

そんなふうに感じることを見たまま書くのではなく、自分の目を通して見えてくるものを文章にすることは、時に誰かの心を動かす時ことがあるように思っている。

例えばであるが「今友達とパスタ食べてる」と料理写真をパシャりと撮って、ツイートするだけで何百、何千とリツイートされる有名人の記事に心を動かされる人は本当はどのくらいいるのだろうと想像する。
リツイートボタンを押す指先は動けど心まで動かすことが出来るのかと。

有名人の記事をリツイートやいいねすると、自分のツイートも読んでくれる人が増えるかもしれないという下心だけがシェアボタンを押す動機なんだとすれば、なんて不毛な作業なんだろうと思う。

もちろん、素晴らしい記事に出会った時はシェアしたいと思っているし、そうしているが、有名人の「移動中です」のつぶやきにはいいねを押す気持ちは湧かないのが正直なところである。

それらと比較して、ここnoteの投稿を見るとホッとするのだ。人の生活がわかる。文章からも作品からも体温が感じられる。息遣いや溜息も聞こえてきそうなその人が伝わってくる。

ツイッターやフェイスブックから感じるものとは違う、その人の芯の部分が見えてくる気がしている。

善も悪も良も不良も。
生身の人間の抱えるものが見えてくるのはものすごく興味深い。

ここだから書ける、ここだから聴ける、ここでしかないものを発信する人たちがたくさんいる。

noteは、「あともう少し頑張ってみようか。」そんな気持ちにしてくれる場所でもある。

石の上にも三年という。
しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。松下幸之助のことば

三年を一年で習得する努力を試みてみたが、未だ習得できていない私である。
あと一年と少し、三年までもう少しもがいてみたいと思っている。

新年の目標を書いておこう。
書道家として大成する。
いつか自分の本を出版する。

まったくオチがない最終回になってしまったが、新しく夕刊UNIシリーズのマガジンを発行する準備を始めている。

絵に描いた餅ではなく、食べれる餅を掴むのが私の夢なのだ。

#エッセイ

☆ここからは購入してくださった方へのメッセージです。ナイショ話あり(笑)


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