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ご飯を作るということ。

朝起きる。
お弁当を作りながら、ドカ弁とちゃっかりを起こす。

パンかご飯か?
コーヒーかオレンジジュースか?

これを聞くことが一日の始まりである。

学校からちゃっかりが帰宅する。と、同時にこう言うのだ。

「今日のごはん何?」

「ちゃっかりの好きなさんまの焼いたんやで。」
「やった!大根おろしたっぷりでお願い!」

これも毎日決まって交わされる晩ご飯メニューの確認である。

日々続いていくご飯作りは、やめるわけにはいかない。

この先、生きている間に一体何回ご飯を作るのだろう。

仕事を辞めてまもなくの頃、家事も子育ても嫌でしょうがなかった。
仕事をしたい。仕事に戻りたい。こんな田舎暮らしでお母さん業だけで生きていくなんて自分には向いていない。

「なんで女だけこんなことせなあかんねん!あんたもやってみたらわかるわ!」
思い通りにならない子育て、ヘタクソで微妙な料理、全部自分の努力と気持ちが足りないのが原因であるにもかかわらず、当時夫にはかなり不満をぶつけていた。

仕事漬けだった自分がいざ仕事を手放し、家に入るということがこんなに苦しいものだったとは。

自分が努力し、頑張れば結果がついてきて、ありがとう、おつかれさん!という労いまでして貰えて、お金も入ってくる仕事とは違い、家事や子育てには正解も賞賛もなく、ただひたすらゴールが見えない日常が続いていくだけに感じていた。

この家事を家事代行サービスに頼んだら一体いくら取られるのだ?仕事ならば、報酬があるのだ!おまけに休憩、土日もないブラック企業もビビるハードワークじゃないか。

良いことなんか1個もないわ!

腐りきっていた自分に、小さかったドカ弁がこういうのだ。

「ママ、ママの作るごはんが好きやねん。お味噌汁もお魚の炊いたんもママのが一番おいしい。」

気を遣っていたのだと思う。

毎日ブスっとして
「やってられるか、こんなこと!」などと思っている母親に育てられるなんて自分が子どもならお断りだったはず。

自分の母は結婚してからずっと専業主婦だった人だが、手を抜くところは上手く抜き、でもきちんとしたご飯を毎日作り続けてくれた。

家までの最後の曲がり角を曲がると、母が使う包丁の独特のリズムが耳を打つ。自然に足は速くなって、一気に家まで走り抜けて帰っていた自分。

「ただいまー!」
「おかえりー!暑かったやろ!手洗っておいで。冷蔵庫にゼリーがあるで!」

台所に立って料理しながら、母は決まって同じ歌を歌っていた。
"サン トワ マミー"であった。思い出の曲だったのだろうか。

母も「やってられんわ!」ってことが何度も何度もあったのだと思うが、自分と妹の為に一生懸命愛情を注いでくれていたことは覚えているから、自分たちは幸せだったのだと思う。

お母さんは越えられない。

自分が親になってみて初めて母を凄いと思ったのであった。

越えられない人。その母が、先日ポツリと言った。

「あんたは良いお母さんしとるねー。もうお母さんを越えたね。料理も家事も子育ても完璧!お母さんは引退出来て嬉しいわぁ。」

結婚して初めて、手放しで褒められたのだった。
嬉しくもあり、寂しくもあった。
母はいつまでも偉大な存在である。

ヘタクソだった茶色いお弁当も、手抜きする週末の花やしきでのモーニングも、めっちゃ美味しかった煮しめも天ぷらも、母がご飯を作り、自分たちがご飯を食べるということを通じての思い出ばかりである。

ご飯を作る、ご飯を食べる。
日常の当たり前を重ねて、互いがなくてはならない存在であると確認していくのかもしれない。
子を育てている親もまた、子に育てられるのだろう。

だから今日もご飯を作る。

「ドカ弁、ちゃっかり!晩ご飯どうする?」

お味噌汁かおすましか?
白いつやぴかご飯か炊き込みご飯か?

ここに夫の姿が消えていることに気がついた。
彼にも一言挨拶しておこう。

「いつも好き嫌いなく文句も言わず食べてくれて感謝してます。いっぱい働いてぎょーさん稼いできてください。エンゲル係数が異常値の我が家はあなたの働きにかかってるんでっせ!by uni」

#エッセイ #文章

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