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学校評議員。

議員先生ではないが、学校評議員なるものをさせていただいている。
学校に対して『地域や保護者も関心を持って見守っていますよ。』ということを示す役割である。

私はお行儀の良い中学生ではなかった。

学校という場所は嫌いではなかったが、何かと矛盾したことを説教してくる先生や、白い靴下は三つ折りにしろとか、肩にかかる髪はゴムで結わえよ、ただし黒のゴムにすることなどという訳の分からん校則が嫌いだった。

別にグレていたわけではないが、阿呆らしい規則を押しつけられることが面倒で仕方なかった。

そんな私が母親になり、子育てする中でPTAに関わったり、ましてや学校の御意見番みたいなことをしているなんて『似合わん!笑かすー‼︎』と親しい友人や親や妹が言うのも無理はなかろう。

夫スナフキンのママのように、ボランチィア自慢が生き甲斐の人からすると、こういう嫁が面白くないようで、たまに電話がかかってきても
『今ちょっと忙しいからゆっくり話す時間ないんですよー!』
などとテキトーに返事をしてしまうと、『何、あなた市会議員にでもなるつもりでピーチィーエーやってるの⁉︎』などと何が何やらのキレ方をされるのも厄介である。

さて、本日はそんな学校評議員としての役割を果たすべく、中学校の文化発表会に来賓出席してきたのである。

ほんの一年前までドカ弁が通っていた中学校。頑張るドカ弁の後輩たちの姿を見てしみじみ感動をもらったのである。

中学生の頑張る姿を見て感動したり、可愛いなといじらしく思ったりするのは、決められた学校という枠の中で、必死に自分の居場所、存在意義を見つけ出そうとする思春期の子どもたちの気持ちを私が失っていないからなのかもしれない。

わかるよ、大変やんね。中学生たち。

この気持ちを忘れていないということは私自身が大人のくせにまだ大人になりきれていないのかもしれない。
そんなことを子どもや学校に関わることで気づいた。新たな自分の発見である。

発表会後、校長室で評議員会議が行われた。

聞いて驚くことがあった。

やんちゃな生徒たちが、自分たちがタバコを吸っていることを自分たちで学校に通報してくるというのである。

『どこそこでおたくの生徒たちがタバコ吸ってますー!ってね、自分たちで電話してくるんですよ。教師が現場に行って話を聞いて、タバコなんかあかんやろ!って指導するんですわぁ。』

衝撃であった。

自分が中学生の頃を思い返してもこの発想をする子どもたちはいなかった。
むしろ親や教師の目を盗み、ちょっとあかんことをしてみたりする子が大半だったと思う。

時代は変わったのだなぁ。
しかし『自分を愛してもらいたい』という心だけは今も昔も変わらないんだなと感じた。

自分たちでいけないことをして大人の気を引くのは、愛情不足からくるイタズラ心としか思えないが、それに付き合わされる学校や先生方も大変だと思う。

親に求めるべき愛情を学校の先生に求めるとはなんとも切ない。

親でもないし、先生でもない私たちのような近所のおばちゃんや友達のおかんという立場の人間が、彼らにしてやれることなどほとんどないが、子どもの頃から知っている子どもたちになら『あんたら何してんねん!あかんやろ‼︎』という声かけくらいはできる。

実際にドカ弁の同級生のやんちゃな生徒たちは、とても人懐っこい子が多い。

どんなに遠い場所からでも、
『ドカママ〜‼︎』と手を振ってくれたり気まずいことをやらかしている場面に遭遇したりすると、ザーッと顔色を変えて慌てたりする。

そんな様子を見るとおかしいやら可愛いやらで『みんな我が子だったらなぁ、大切に可愛がって私が一人前にしてやりたい!』などと妙な親心が湧いてくる。

子どもは宝である。

未来を担うあらゆる可能性を秘めた彼らを、私たち大人がほんの少しの優しさを持って見守ることは、優しい子どもを増やし、やがて素敵な大人に導くかもしれない。

小さなきっかけでいい。僕を私を認めてくれている人がいるのだ!と彼らに示すサインを大人から送ってあげてほしい。

現在の姿だけを切り取り、色眼鏡で悪だとかダメな子だという烙印は押してやってほしくない。

子どもたちは大人の優しいひとことを待っているのだ。

#エッセイ
#cakesコンテスト




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