大先生の凄み。
昨日は稽古場での稽古の日だった。
大先生に初めてお会いしたのである。
90歳をいくつか過ぎた先生と40歳をいくつか過ぎた私。
先生は優しい笑顔で私を見て言った。
『あんたか。先生から連絡があって話は聞かせてもろとる。』
『はじめまして。』
緊張しながらご挨拶する私。
そんな私に先生は言った。
『まずは、教えてもらう気があるかどうかや。』
ズシンと胸にくる言葉であった。
師範である者が、さらに師に教わるということはあまりない。それをあえてあなたは選ぼうとしたようだが、やっていけるのかね?
つまりはそういうことを聞かれたわけである。
『はい。私は師匠が亡くなってからは独学ですし、もっと深く古典の書き方や読みも学びたいのです。』
すると、大先生は古典の教本を持ってこられた。
『これな、石に書いてある字が消えてたり、今は使われてない漢字もあるやろ。ワシかてこんなもんは読まれへん。だから感じながら書くことが大事やな。あとは、花や空や雲を見ることが大事。心を豊かにすることが大切やな。』
ははーっとひれ伏したいような言葉の数々であった。
『あんた、ちょっと筆持ってみ。』
そう言われて筆を持つ。
『うん。いい筆の持ち方や。筆がちゃんと立っとる。字が上手な人のこと、筆が立つっていうのはこのことや。』
筆の持ち方チェックが終了し、次は作品を見せてみなさいと言われた。
書いてきたものを並べてみる。
『ほう。綺麗に書いとるやないか。いい字や。』
とりあえずは合格なのだろうか?
もう胸がドキドキして倒れそうである。
そこに、新しい私の師匠が入ってこられたのである。
『先生、この人上手い。いい字を書いとる。』
大先生が師匠に声をかけられた。
ところが、師匠は素っ気ない顔で私に新しい手本を渡してきたのである。
『はじめは2段からでどうや。』
大先生が私の会での階級について師匠に進言されると、師匠は言った。
『いや、初めから2段を与えても何時迄も同じ場所にいることになります。僕は10級から始めた方がいいと思います。』
師匠は一番下の階級から上がってこいと仰る。
2人の先生の意見が分かれたのである。
しかし大先生は、師匠が弟子に望むことを察したご様子で、こう仰った。
『そしたら一から頑張りなさい。』
『はい、頑張ります!』
私も素直に返事をし、稽古を始めた。
そこに師匠がやってきて、美しい筆を手渡された。
『僕が会で競書して認められて貰った筆や。これを使いや。』
持ち手の部分には賞の文字が彫られていて、会の名前が刻まれた高価な羊毛筆をくださったのである。
弟子と認められたと思ってよいのだと思う。
稽古中、大きな条幅に書いた作品を師匠に見せるとき、大先生が私の隣におられたのであるが、師匠がいきなり私の字ではなく、余白の在り方についてを問題にし、『文鎮をどの位置に置いたのか?』ということを尋ねられ、『もっと上から書くんや!』と言われてしまい、師匠が手本を書き始めた。
黙ってその様子を見ておられた大先生は手本を書き終えた師匠を見ながら、厳しい声でおっしゃった。
『先生の字のあかん所を見つけて稽古せなあかん‼︎先生の手本どおり書いていてはひとっつも成長がない‼︎先生の字よりここは私が上手やと思う所は、自分の字を書けばいいんや!それで自分しか書かれへん自分の書を見つけていくんや!』
師匠はハッとした表情になったが、『そりゃそうや!』と言ってその場から席を外したのだから、私はハラハラしてしまいどうしようかと焦った。
私には
『教えてもらう気持ちがあるのか?』と訊ねてこられた。
師匠には
『先生の字のあかん所を見つけて稽古しろ!』と弟子の前でバッサリと斬りこんだ厳しい言葉を投げかけられた。
どちらの者に対しても、大先生が仰りたかったことは。
『驕るな』だったのであろう。
師範の私には『素直に学ぶ意思がないなら去れ!』と言っておきたかったのだろうし、師匠には、『弟子の書の出来に目をやらず、文鎮の置き方などという言わば重箱の隅をつつくような真似はみっともないから止めておけ!』と釘を刺したのだろうと思う。
『書道は奥が深い。この歳になっても書きたくて仕方ない。ワシの友達なんや。』
こう仰る大先生の笑顔はとてつもなく素敵なのだ。
修練の道は険しくもあり、暖かくもある。
『書道は友達』
そう言える時がいつかはくるのだろうか?
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