自然に愛せる人、愛されたい気持ちが強い人。
わが家の姉妹には、愛するぬいぐるみが其々一つずつ。
姉のドカ弁が愛する相棒は「うーたん」妹のちゃっかりが愛する相棒は「にゃんにゃん」である。
うーたんもにゃんにゃんも、姉妹が愛しすぎた結果、ずいぶんお年寄りになってくたびれたが、今でもずっと一緒の仲良しである。
子どもにとって初めてのぬいぐるみとはどんな存在なのだろう。
わが家の姉妹を見ていて気づいたことを書こうと思う。
姉のドカ弁が「うーたん」に接する姿は、小さな頃から今も変わらず、ただひたすらに「うーたん‼︎」と抱きしめ、可愛がり、悲しいことがあれば「うーたん」を抱いて涙を流しながら眠り、嬉しいことがあれば「うーたん」に向かって話しかけ、喜びを報告したり。
ひたすら可愛がり、悲しみや喜びを聞いてもらう、妹や友達のような扱い方をしながら大切にしてきた。
妹のちゃっかりが「にゃんにゃん」に接する姿は、姉のそれとは様子が違っていた。
「にゃんにゃんのこと、好き?」
「にゃんにゃんが可愛がってほしいって言ってるの。ママ、にゃんにゃんを抱っこしてあげてちょうだい!」
とにかく「にゃんにゃん」の存在感をアピールし、「にゃんにゃん」を一番可愛いねって言ってもらうことに躍起になっている言動が目立った。
あまりに「にゃんにゃん」を可愛がって!としつこいので、一度言ってみたことがあるのだ。
「あーにゃんにゃんは一番可愛い!可愛いね〜‼︎」
まさに猫可愛がりのように抱っこしてナデナデして赤ちゃんのように扱ってみたところ、ちゃっかりの表情が真っ青になった。
「にゃんにゃん」を可愛がってあげてほしい気持ちに嘘はないが、一番可愛いのは私じゃないの⁉︎というわけなのだ。
「ちゃっかりさぁ、一番はちゃっかりに決まってるやん!なんで、にゃんにゃんを可愛がってあげて!っていつも言うの?ちゃっかりが一番でにゃんにゃんは二番目に好きよって言ってほしいの?」
そんな意地悪な質問をしてみたところ、
「ううん。にゃんにゃんもちゃっかりも同じくらい好きよって言ってほしい!」という返事が返ってきたのだった。
ぬいぐるみを自分の分身に見立てて愛でる子もいることを、わが子から学んだ瞬間だった。
長女は、産まれた瞬間には自分以外に可愛がられる存在はおらず、両親や周りの人たちから自分は愛されているという実感を体感しやすかったのだろう。
だからぬいぐるみの「うーたん」をひたすら可愛がるべき存在として自然に寄り添い、妹や友達のような扱い方になっていったのかもしれない。
次女はというと、産まれた瞬間から自分以外にすでに皆から可愛がられている、愛されている存在の姉がいるわけなのだ。
どうすれば皆の愛情や視線を自分の方に振り向かせることができるのか、一心に愛されるにはどうすればよいのか、そんなことを本能で考えたのかもしれず、ぬいぐるみの「にゃんにゃん」は、可愛がる存在というよりは、愛されたい気持ちを投影した自分の分身として扱うようになっていったのだろう。
小さな頃から姉妹の心を見つめ、支えになってくれたであろうぬいぐるみの「うーたん」と「にゃんにゃん」。
姉妹がわが家から巣立つ時もたぶん其々が一緒に連れいくような気がしている。
自然に自分以外の人を愛せる人、自分以外の人にひたすら愛されたい気持ちが強い人。
ぬいぐるみへの接し方でもその心が少し見えてくるわが家の姉妹である。
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