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子どもの頃は。

クリスマスやお正月を前に世間は賑わいを見せているが、大人になった自分には心踊る季節ではない。

サンタを待つ身でもなく、母が作ってくれるご馳走を食べて呑んだくれて寝ていればいい正月を過ごせるわけでもない。

私が住む町も高齢者が増え、かつて子どもたちと走り回っていたおじさんやおばさんたちも歳をとり、小さなおじいちゃん、おばあちゃんになった姿をよく見かける。

人間の一生を想うなんていうとちょっと大袈裟だけれど、冬の寒い夕暮れにはちょっとセンチメンタルな気分になる。

人は生まれ、育まれ、恋をし、破れたり実ったりを繰り返したあと、ご縁があれば赤い糸で結ばれた相手をパートナーに選び、子宝に恵まれれば産み、育て、巣立ちの日までを共に暮らす。

そして気がつけば老いているのかもしれない。

そんなことを考えながら車を運転していると、徳永英明さんの「MYSELF〜風になりたい〜」が流れだした。

普段はまったく気にならない、かかっていても鼻歌で済ましていた曲なのであるが、今日は何故かグッときてしまい、運転しながら涙が止まらなくなってしまった。

どうしてなのだろう。

同級生のお母さんやお父さんが小さくなっている姿を見たから?

子どもたちも出掛けた休日でそれぞれの楽しみに夢中だから?

いや、そんなことはいつものありふれた休日じゃないか。
うるさい姉妹が出掛けてくれたら静かになってホッとするし、自分の時間が取れるとにやけているのが日常なのだから。

私には頼る人はもうそんなに残っていないんだなと感じる年齢になったということかもしれない。

もちろん夫であるスナフキンはいるが、子どもの頃のように自分がただ全面的に頼れた頼もしい大人たちはどんどん老いてゆくことがなんだか寂しいのだと思う。

心に架ける虹は
束の間でも
みんな生きてくために 巡り会うなら
ただ悲しみ そんな言葉に負けないで
僕も淋しさを越えて
踊る風になりたい

名曲だ。

今まで気にもしなかった歌の歌詞に心が動くこと。歳を重ねるのも悪いものじゃないな。

そんなことを考えながら家に帰ると、ちゃっかりがちょうど帰ってきた。

寒さで鼻の頭をトナカイみたいに真っ赤に染めて。

「おかえり!寒かったやろ⁉︎こんな寒いのに何して遊んだん?」

すると。

「あのね〜二人鬼ごっこ!」

「二人で鬼ごっこ⁉︎ずっと走らなあかんやん‼︎」

「そうなの。あとはアルプス一万じゃくとか‼︎」

二人鬼ごっこにアルプス一万じゃくで盛り上がれる時期は思い切り好きなことをしたらいいで、ちゃっかり。

子ども時代の気持ちを心に持ち続けること。
それは、大切な人たちを忘れないことなのだろう。

そして今日の私みたいに、たまに寂しい気持ちになるのは、亡くなった人たちが「忘れないで、いつも見守っているよ。」と教えにやって来ているのかもしれない。

#エッセイ

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