見出し画像

フフフのスナフキン。

風邪をひいてボーッとしているが、熱は高くはならずただ横になっている。

無理をせず横たわりながらすることといえば、hullの番組視聴である。

テレビに繋いだPCを開くと、トップ画面に出てきた番組は「ゲゲゲの女房」であった。

話題になった作品であるが、朝ドラはまったく観る習慣がないので観たことがなかったのだ。

一話15分で156話分ある。朝ドラなのでお話は短い。その間に延々と流れるいきものがかりの「ありがとう」を何度も聴く羽目になったが、歌を飛ばす作業をしに起き上がるのが面倒で流しっぱなしにしている。

主演の向井理さん、松下奈緒さんをはじめ、魅力的な役者さん揃いのこの作品にあっという間に惹きこまれてしまった。

物語は恐ろしく貧乏な新婚生活からスタートする。

ゲゲゲの鬼太郎がブレイクするまでの水木しげるさんを奥さまが半歩どころか10歩くらい後ろから見守る姿が印象的である。

「現実は甘くはない」ということをこれでもかというくらい繰り返し訴えているような、しかしそれでも必死に生きる人々の日常を追った物語だ。

どうか漫画が売れますように!
もうそろそろ福の神が現れな嘘や!
こんな善人をいじめる奴は誰やねん!

努力が報われず誰からも見向きもされない暮らしぶりや、何度も訪れる災いを観ていると観ている私の方が泣きそうになったり、悔しがったりしてしまい、何が何やらである。

そんな水木しげるさんに、ようやくチャンスが訪れ始めた頃、ボロ屋の押入れを開けるといつも仕事部屋の片隅でニヤニヤしていた貧乏神が元気をなくして小さくなっているのを見つけるのである。

「おまえまだおったんか‼︎」

そう声をかけると、貧乏神はサーッと家から出ていき、最後に手をふって姿を消したのだ。

懸命に努力していても、貧乏神が住み着いていては一向に暮し向きは変わらなかったわけである。

どんなことがあっても、水木しげるさんが頑張り続けられたのは、夫の才能を信じ続けた奥さまをはじめ「あなたは本物だ!絶対にいつかは大成功する!」と応援してくれた人々の期待と願いと夢だったのだろうと感じた。

水木しげるさんは、「努力は報われるとは限らない」という言葉を残しておられる。

ご自分と同じように日々努力を重ねた仲間が道半ばで夢を諦める姿を何度も見たからだろうと思う。

どんな世界でも一握りの者しか大成功は難しいのが現実なのだろう。

私とて、書で大成したいという夢はあるが、叶うか叶わぬかは誰にもわからない。

しかし諦めるつもりはなく、ただ一心に筆を持ち続けている。

先日の稽古の時に、師匠からこんな言葉をいただいた。

競書に出す課題を提出したい際、
「これはいけるで、あんた!どんどん上がっていく!間違いない!楽しみや!」

励みになる言葉をいただき喜んでいると師匠がこんなことを言いだした。

「あんた、雲泉は前の師匠から貰った雅号やろ。これから再出発するにあたって雲泉でいくか違う雅号にするかそれとも本名でいくかどうする?」

「私は師匠に一から教わるつもりで稽古に来ています。師匠が決めてください。」

「いや、別に雅印もあるんやし雲泉のままでもかまへん。問題はきちんとはじめから決めた名前でいかんと、この先展覧会に出展するときになって名前を変えたりするのはあかんから確認しただけや。」

雲泉のままで突き進むことになった。

「雲龍は死んでない!生きとるなぁ‼︎」

亡き師匠の面影を私の書から感じているということを師匠はそんなふうに言ってくださったのだった。

願わくば、亡き師匠の魂も私の筆の神として宿り続けて欲しい。

書のことはまったく知らない夫スナフキンは、私がイライラしたり、脇目もふらず書き続ける姿を黙って見ているだけであるが、いつも私の背中を押し続けてくれるのもスナフキンなのである。

ちょっと不気味に「フフフ…」と笑いながら私を好きなように放っておいてくれるのは大変ありがたく、ゲゲゲの鬼太郎に登場する優しい妖怪のようでもある。

亡き師匠、師匠、スナフキンをはじめ、私を応援してくださるnoteの皆さんも私の大きな支えになっているのは間違いない。

関わってくださる方皆さんに本当に心から感謝している。

「ゲゲゲの女房」は、今を生きる夢追い人にとって最高の栄養剤のような物語だと思う。

良きことばかりではない。
夢を追うことも諦めることも覚悟が必要であること、そして、夢が破れたとしても努力は違う形でその人個人の力になるということを教えてもらった気がする。

まだ観ていないという方は少ないかもしれないが、観ていない方には是非とも観てもらいたい作品である。

#エッセイ


ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?