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帰ってきた夕刊UNI

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夕刊UNI~有料note~に続く第二弾! 追記型有料エッセイマガジンです。表紙は、めめんともりさん作。
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2014年9月の記事一覧

⑦うし

自分の父は曳船の船長をしていた海の男である。 子どもの頃の父は、長距離航路で仕事をしていたため、帰宅するのは月に1度くらいだった。 たまに帰ってくると、各港のお土産物を買ってきてくれるのが楽しみだった。 羽子板、三味線、チョコレート。さまざまな土地のものを持ち帰り、自分と妹に手渡してくれるのだった。 しかし妹は「知らんおっちゃんがきた!」と毎回大泣きしていたのを覚えている。 たまにしか見ない男の人は、「知らんおっちゃん」扱いだったわけだ。 我が子に知らんおっちゃん

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⑥ドカ弁と買い物

本日、ちゃっかりはお隣さんからお誘いを受け、林檎狩りに連れて行っていただいたので、家の中は自分とドカ弁と夫だけになった。 いつものごとくバスパンにTシャツ姿でドロドロしている寝グセ頭のドカ弁に「ドカ弁、久しぶりに一人っ子気分味わいに3人で買い物行こうよ!」と声をかけてみたのである。 中学三年にもなると、父親や母親と休日に買い物に行くことなど嫌がるものだと思うが、「うん!せやな!行こう!」と言うではないか。 そのまま玄関に向かおうとするのでさすがに止めた。 「おい!せめ

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⑤ちゃっかりの秘密

本日はちゃっかりの小学校の運動会であった。 朝から一日中バタバタしていて大騒動な一日であったが、気持ちの良い秋空に恵まれ、無事運動会は終了したのであった。 ちゃっかりは、運動が好きではない。 ドカ弁の対極をいくオシャレ女子街道まっしぐらなのである。 ドカ弁は何でも前のめりでやりたがり、当然騎馬戦の馬になることなど考えてはおらず、騎馬の上に乗って相手をいわしたるわー!と拳を掲げたり、応援団に立候補し、長いはっぴなどを着て旗を振りまわすことに夢中な小学生であった。 対し

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④内ゲバ

1973年生まれである。 先日から自分が生まれた日の新聞記事や新聞広告を見て、気になったものを書いている。 面白い記事がたくさんあった40年前の新聞であるが、その中で全く理解できないのがこの「内ゲバ」の事件の記事である。 白昼、喫茶店で内ゲバ。 鉄パイプで襲う。 お客総立ち。 日本でこんなことが行われていた時代が本当にあったのだと改めて驚いた。 そもそも「内ゲバ」って何なのか?わからないからネットで調べてみた。 「組織における暴力的な粛清行為、もしくは分派闘争によ

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③カリモ・センモ・ドクモ

何が何やらのタイトルである。 これを見てすぐにパッと気がつく人はオシャレに興味がある人か、オシャレにしか興味のない女子小学生であろう。 そう、我が家の次女、ちゃっかりはオシャレにしか興味がない。 今日、たまたまちゃっかりが出しっぱなしにしていた雑誌を開いてみた。 たくさんの女の子がこまっしゃくれた格好で映っている写真がズラリ。 「ちゃっかり~!この専モってのがここのアイドルなわけ?」 なんとなく尋ねてみたのだ。 「あー!〇〇ちゃんねー!この子は専モやから人気者!

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②初任給と14インチテレビ

1973年生まれである。現在40歳である。 おかげさまでたくさんの方に読んでいただいた、”夕刊UNI"が100noteになり、マガジン収納数の上限に達したため、引き続きNEWマガジンの”帰ってきた夕刊UNI"を創刊したのである。 昨日のお話を読んでくださった方はご存知かと思うが、先日から昔のものを整理しているのである。 そんな中、1973年の自分の誕生日の新聞を記念に母が取っておいてくれたものが出てきたのだ。 これが面白すぎてまったく片づけがはかどらず、困ったものなの

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①1973年のある日

1973年生まれである。現在40歳。 「いつのまにこんな年になったんやろ!」 同い年の友達と誕生日がくるたび、いつも驚くのである。 まったく人生なんてあっという間に過ぎていくものなのだと思う。 先日から、幼きころのunimamの写真をこちらにあげさせてもらっているが、今、溜まった荷物の整理を毎日少しずつ行っているのである。 どんどん出てくる昔懐かしの思い出の品々。 通知表、幼稚園の月謝の集金袋、表彰状、ヘタクソなお絵描き。 それはもう、”どんだけ物持ちええんや!

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