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④内ゲバ

1973年生まれである。

先日から自分が生まれた日の新聞記事や新聞広告を見て、気になったものを書いている。

面白い記事がたくさんあった40年前の新聞であるが、その中で全く理解できないのがこの「内ゲバ」の事件の記事である。

白昼、喫茶店で内ゲバ。
鉄パイプで襲う。
お客総立ち。

日本でこんなことが行われていた時代が本当にあったのだと改めて驚いた。

そもそも「内ゲバ」って何なのか?わからないからネットで調べてみた。

「組織における暴力的な粛清行為、もしくは分派闘争による武力衝突」と書いてあった。

○○組とかそんな感じの雰囲気のことか?よくわからない。

続けて読んでいくとこうあった。

正式には「内部ゲバルト」の略称。ゲバルトは「国家権力に対する実力闘争」(広辞苑)と解説されているが、その暴力が国家権力に対して実力闘争をしている者同士(つまり内部)に向けられるために「内ゲバ」と呼ばれる。

要するに、外に向かったところで目的が達成できないと気づいてしまった活動家たちが、身近な自分と似たようなものを醸し出す人間に対して、牙をむいたということか。

現代では鉄パイプを白昼振り回す人たちはほとんど存在しないと思われるが、その代わりに凶器にもなりうるタブレットがある。スマホがある。

鉄パイプで叩かれたら痛いし大事になるし血も流れて大惨事になる。

タブレットやスマホを使ってネットで叩かれたら心は痛むかもしれないが、それほど大事にはならないし、血も流れないから大惨事だと本人が訴えてみても誰も本気で相手にはしてくれないのだろう。

仮に子供達がネットを通して目に見えない傷を負って、それを愚痴ったとしても、「携帯マナー講習でも注意されただろ!」などと親や先生からは言われてしまうんだろうし、「嫌ならみるんじゃねーよw」などとネット内ではますます揶揄されたりしてしまうのだろう。

よく考えてみれば過激にみえるこの鉄パイプ事件の背景にあるものは、日常の中でもありがちなことなのではないだろうか。

なんでも深刻に受け止めてしまう人が増えたのは、ネットが原因の場合も多いような気がする。

面と向かって文句を言われるわけでもないし、面と向かってなら言えないようなことを文字だからこそ言えてしまう人がいるからなのではないだろうか。


話は変わるが、浜村 淳さんてご存知だろうか?

その人の何が何やらの名文句がある。

持った湯飲みをバッタと落とし、小膝叩いてニッコリ笑い、落とす涙は小脇に抱え、ちぎっては投げちぎっては投げ。

要するに意味不明である。

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