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超低意識ドイツ移住記◆家族と故郷のこと2

前の記事で、「なぜドイツに移住しようと思ったのか」を理解してもらうために、まずは私の家族と故郷について書こうと決めました。今回はその2回目です。

家族と故郷について話を進める前に、私という人間の特徴として以下の5つの要素を挙げたいと思います。

1、フェミニストであること

2、政治的行動、発言を日常的に行っている極左思想の持ち主であること

3、芸術一般に対する耽溺

4、セクシャル・マイノリティであること

5、後天的なクリスチャンであること

この5つの要素は、私のなかで密接に関わり合い、普段の日常生活や行動、思考に大きな影響を及ぼしています。この5つは生来の気質ではありますが、それをさらに洗練、開花させるには、育った環境も寄与する部分があるのではないでしょうか。

さて、ここで私の祖母の話をさせてください。私が無条件に敬愛と感謝を捧げるただひとりの人類、今は亡き、エキセントリックで偉大な巫者であった祖母の話を。

祖母は私の故郷にほど近い小さな港町で、六人きょうだいの長女として生まれ育ちました。癖が強く、声が大きく、剛毅な女性だった祖母には、華道の師範免許を取りたいという小さな頃からの夢がありました。しかし、戦争がすべてを変えてしまいます。戦争によって困窮した生家に妹弟が五人もいた祖母は、親が決めた結婚を断れませんでした。

嫁として入った家での生活は、祖母には辛いことの連続でした。まず、結婚に際してのただひとつの条件、華道の勉強を続けさせるという約束を反故にされました。夫(私の祖父)とは心が通じ合わず、義父母は祖母を下女としてしか扱いませんでした。

そのうえ、祖母は長男を、10歳のとき病気で亡くしてしまいます。祖母は長男の他に、私の父、私にとっては叔父にあたる三男、ふたりの男児に恵まれはしました。しかしわが子を亡くした悲しみは、祖母の心に深い傷を残したのです。長男の死後、三男までが病に臥せってしまったのをきっかけに、祖母は宗教的感覚と信仰に覚醒します。幸いにも三男は健康を取り戻しましたが、それは当時帰依していた新興宗教のおかげだと、祖母は心から信じたのです。

この物語を、祖母は幼い私に何度も、何度も、繰り返し話して聞かせました。祖母は私を特別にかわいがっていました。もてるすべての技術と知識を私にさずけ、どんな状況でも生き抜くすべを叩き込んでくれたのです。

長じてのち、東京の美術系大学に進学したいと告げた私を、祖母は応援してくれました。しかし、私が岡山を去ってすぐ、病がちだった祖母は体調をくずし、私が大学三回生のときに他界しました。戦争に、女性という性に、家という制度に、夢を奪われ続けた祖母でした。その恨みを、最期に手放して彼女が逝けたのか、私には分からないままです。

本心では祖母が私にずっとそばにいてほしいと願っていたことを、私は知っていました。しかし私は祖母を愛しているからこそ、祖母のもとから去り、夢をつかまなければいけなかったのです。ひとは誰も、周囲のために自分を犠牲にし、そのために悲しみと怒りを抱いて生きるべきではありません。皮肉なことですが、祖母そのひとが私にその信念を育ませてくれたのです。

祖母への愛と、後悔は、私に国家の愚でしかない戦争を憎ませ、女性の生き方と権利について考えさせ、祖母の求めた神と芸事の世界へと私を駆り立てることになります。

最後に、祖母が巫者として、私達家族にかけた呪いの話をします。

霊的な感覚を持っていた祖母は「向こう20年は家の水回りを改装するな。方角と時期が悪く、人が死ぬ」と家族に常々言っていました。私の両親は祖母の信仰を尊重してはいましたが、関心はありませんでした。しかし叔父は、「信仰のおかげで命が助かった」こともあり、祖母の死後、祖母と同じ宗教を引き継いでいる状態でした。その叔父が、40代前半の若さで急死します。私が海外渡航を決意する一年前のことでした。奇しくもその年、両親は祖母の言葉に背いて、実家の水回りを大規模にリフォームしたばかりでした。

合理的な態度でこの出来事をとらえるなら、これらはただの偶然です。しかし、はっきりと口にせずとも、私達家族は、全員、これが祖母の予言(または呪い)の成就だと感じていました。呪いとは、呪いの実在を信じる閉ざされた環境のなかで効果を発揮する現象です。そういった意味で、祖母の言葉を信じる程度が強かった叔父に、なにかしらの効果が顕れてしまった気がしてなりません。そして、私は叔父の死をきっかけに「次は自分が死ぬ番だ」という思いに囚われ始めました。なぜなら私も、叔父と同じで祖母の巫者としての偉大さを信じているからです。

祖母はなんの能力もない、ただの変わった老婆だったと私が心から思えば、呪いは効果をなくすはずです。しかし私は祖母を深く愛しています。人生に報われなかった祖母が、血を吐く思いで身につけた「力」を、信じる最後の一人でいたいのです。もし、その愛が私の心臓を止めるとしても。

しかし、実際のところ、私だって死にたくはありません。日本にいるかぎり、呪いは私を追ってくる確信がありました。祖母の力の根源が日本の土と歴史に根ざすものだと私は理解していたからです。

上記5つの要素に加え、祖母にかけられた呪い。

「みんなが同じでなければならない」という日本社会の圧力のなかで、私は常に生きづらさを感じていました。日本を出る決意を固めさせたきっかけは、正直まだ複数存在します。しかし祖母の存在は、常に私の生き方の指標であることを伝えたくてこの記事を書きました。

うまくお伝えできていれば良いのですが。

続く



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