うぬぼれ配信映画夜話 第7回 阪元裕吾の軽やかな転身と日本映画を席巻するU'DEN FLAME WORKSについて

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 今回取り上げるのは、2021年、ミニシアター系の作家で最も躍進したといえる阪元裕吾です。主に『ベイビーわるきゅーれ』(2021)を観た感動を軸に語っていきたいと思います。
とはいえ、私が観に行こうとしたのは監督の特集上映が組まれはじめたここ最近でして、コロナや地理的事情から今の今まで観に行けなかったのですよねぇ…。
…それに、実をいえば半信半疑でもありました。というのも、最初に観た『ハングマンズ・ノット』(2017)の評価がそれほど高くなかった、というよりマイナスだったため、マークを外していたのですよね。

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『ハングマンズ・ノット』(2017)をはじめとした初期作品の悪趣味さ

 シリアルキラーとイカれたヤンキー兄弟を対決させる、ラリー・コーエンを彷彿とさせる『ハングマンズ・ノット』が象徴するように、坂元裕吾は当初、奇抜な設定とドラスティックな描写を売りにした作家として出発します。『ベイビーわるきゅーれ』を観た人に分かりやすく伝えると和菓子屋のシークエンスをもっとえげつなくした胸糞悪い場面が延々と続く映画で、演出の強度は悪くないものの、ちょっと人には薦めづらい作品です。
 暴力的・反倫理的な描写を見せることで、社会の軋みや暗部に光を当て、通常のドラマでは描けない人間のドラスティックな感情を画面に刻み込む。そのような暴力ドラマの系譜は日本映画で脈々と受け継がれてきました。三池崇史や園子温に内田英治、或いは坂元監督も当然意識しているだろう白石晃士のように、そういったドラスティックな作家たちが作り上げたシーンも、日本映画の歴史の一部であることは確かでしょう。
 ですが、『ハングマンズ・ノット』ではキャラクターや社会性が深堀りされているとは言い難く、設定の面白さから物語が一歩も出ていない作品のように自分には見えたのですよね。悪趣味映画として面白がるにはシリアルキラーの設定がリアルに寄りすぎていて、流石に考えなしにこれはやってはいけないだろう、と。三池崇史『オーディション』(2000)が傑作なのは、あれが過剰な描写の根底に男女の情感が見えるからであって、その辺のドラマツルギーがない中で描写だけあってもなぁ、と個人的には考えています。
 そんなこんなで、設定の面白さや描写は目立つものの、物語としては受け入れがたい『ハングマンズ・ノット』の記憶は、雑多に流し見した映画の一つとして忘却されていました。個人的にはかつて園子温が持っていたリリシズムを全力で引き継いだような佐々木勝己『星に願いを』(2019)のがいい、位に思っていたので、世評の盛り上がりを聞きつつも「本当に?」と半信半疑でした。(注)
 だからこそ『ベイビーわるきゅーれ』で、持ち味や作家性も残しつつ、スタイルが大きくモデルチェンジされていたことにはホントに驚きました。ここまで娯楽映画に徹することができる作家だったのか、と。その一つのルーツとして、ある韓国映画が挙げられると思います。

『ある用務員』(2020)のルーツとしてのイム・サンユン『ある会社員』(2013)

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 ヤクザの抗争から恩人の娘を守るため、暗殺者が殺し屋集団と戦う『ある用務員』は最初のキャラクターや状況設定の面白さを生かしつつも、純然たるアクション映画となっています。色々な意味で『ベイビーわるきゅーれ』の前身となる映画ですが、その題名や殺し屋の会社が存在するという設定からも明らかな通り、韓国のジャンル映画、『ある会社員』を模範として撮られた作品です。

 これはあまり数多くは見ていない人間の印象なので否定すべき偏見なのかもしれませんが、韓国のジャンル映画には二つの型があるように思われます。一つは、メロドラマや細部の描写を過剰にまで推し進めていくことで、強い情念と呼ぶべき感情を想起させるタイプです。例えば、殺人鬼と殺人鬼の対決という設定から、親の子に対する思いを中心に思いっきりメロドラマに寄せていく ウォン・シニョン『殺人者の記憶法』(2017)は、同じ設定だと他の国ではこうはならないだろ、と思わせる作品でした。(実際、坂元監督の方がアプローチとしては一般的ではあります。)最近だとヨン・サンホ『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016)の続編が『半島』(2020)と国家意識を強く打ち出しつつ、冒頭からメロドラマを全開にしていたのが印象的でしたね。自分にとって「韓国映画」という言葉が纏っているイメージはここにあったりします。
 対して、そのようなウェットさから距離を置き、ジャンルや風刺を徹底するタイプの作家もいます。西部劇に強い拘りを持つ『ラスト・スタンド』(2013)のキム・ジウンなどが代表的でしょうか。『ある会社員』もそのようなジャンル映画嗜好が強く出ており、メロドラマへの距離の置き方から逆説的に印象に残る作品です。韓国映画のドラスティックな肌触りを残しつつ、ヨーロッパコープの優れた映画のように活劇へと邁進する姿勢は、異端の傑作として記憶すべき作品だと思います。
 坂元裕吾にとって、『ある会社員』のスタンスは強いインスピレーションを与えたのではないでしょうか。ギャレス・エヴァンス『ザ・レイド』(2011)と共にドラスティックさと活劇性を両立させるジャンル映画の在り方は、坂元監督の持ち味を生かしつつ普遍性を保つだけの型となっているように思えるのです。

キャラクタリゼーションという最大の強み

 坂元裕吾の最大の強みや役者を踏まえてのキャラクターつくりの巧みさにあります。初期作のほとんどは無軌道に悪趣味な場面を繰り返すもので、『スローター・ジャップ』(2017)などは個人的には全く評価できない作品のはずなのですが、出てくるキャラクターが妙に記憶に残るのですよね。家族と介護の問題を踏まえていたはずの『ファミリー・ウォーズ』(2018)も、変な半グレとか宗教集団とか思いついたキャラクターがかわるがわる出てきた結果、バトルロワイヤルのような作品になっていく。それによって後半は風刺の色さえなくなってしまう作品ではありますが、キャラクター同士の狂騒と割り切ってみればそこそこ楽しめるのですよね。(まぁ、狂騒で済ましていい題材だとも思わないのですけど…)
 ほとんど偏見そのものを投影したような『ハングマンズ・ノット』のシリアルキラーの描写などをみるとキャラクターに対してあまり深く考えていない節がある一方で、役者に対しては良さを切り取ろうとする誠実さを持つ監督だから、というのもあるかもしれません。この特性は、物語がある程度定型化していて、色々なキャラを出す必要があるジャンル映画でこそ輝くものではないかと個人的には思います。
 『ある用務員』もそのような強みがよく出ている作品です。「あ、こう使うべきだよね」と思わせる般若のキャラクターなんかニヤリとしてしまいますし、ラスボスとして登場する前野朋哉も今までの役とのギャップがありながら強い印象を残す好キャラクターとなっています。演技力重視で役者を選んだ結果アクションが微妙になる日本映画あるあるに陥ってはいますが、ルックの強さもあって完成度は決して低くない。その中でアクション俳優として最も輝いていた伊澤彩織に焦点を絞りアクションをより強固に突き詰めたのが『ベイビーわるきゅーれ』だった訳です。

U'DEN FLAME WORKSというアクション集団

 『ベイビーわるきゅーれ』を観終わった後、多分多くの人が真っ先にアクション監督の名前を調べると思います。私も秒でググっていました。アクション監督は園村健介。

ジョン・ウー『マンハント』(2017)にも携わっているんだなぁ、とウィキペディアを眺めていた時に、ふと気づきました。…何かこのフィルモグラフィー、見たことあるぞ。

…というわけで、前回取り上げた佐藤信介の腹心こと下村勇二と共に、アクション集団U'DEN FLAME WORKSを主宰している人物でした。北村龍平に佐藤信介と、組んだ人間をことごとくハリウッドに送り出し、現在のマンガ映画のほとんどに嚙んでいるスタント集団、それがU'DEN FLAME WORKSです。
 低予算と大作双方に関わりながら、演出面も含めてアクションシークエンスを突き詰めていったスタジオは、結果として日本のメジャーシーンを影で動かす存在となっています。そのアクションの完成度は低予算のアクション映画に表れていて、Z級映画の香りやネタを展開しつつも、総じてレベルの高いスーツアクションが映画自体を記憶に残す千葉誠治『AVN エイリアンVSニンジャ』(2011)や、日本の俳優陣で香港映画の模倣しつつ、その先を模索している感もある辻本貴則『BUSHIDO MAN:ブシドーマン』(2013)などは見ておいて損がない作品だと思います。

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近年はリアリティのある、実践的なアクションを志向しており、下村勇二『RE:BORN』(2017)ではゼロレンジコンバットを軸に洗練したアクションを展開しています。『ベイビーわるきゅーれ』もこの流れに位置する作品で、特に千『AVN エイリアンVSニンジャ』(2011)主演の三元雅芸とのラストバトルは、確実に歴史に残るであろうスタジオの総決算だといえるでしょう。

 ただ一方で、じゃあ『ベイビーわるきゅーれ』がアクション監督の映画かといえば決してそうではありません。主人公の設定はほぼ同じで、双子のように似通っている『ある用務員』と園村健介『HYDRA』(2019)を比べると分かりやすいですが、アクションシーンの完成度以外のキャラクターの強度や物語の 盛り上げ方などは明らかに前者に分がある。『ベイビーわるきゅーれ』が魅力的なのは、このようなアクション偏重の作品の中で、キャラクターや物語がきっちり洗練されていたからに他なりません。

ガールズファイトの系譜

 元々、日本のアクション映画には女性を軸にした格闘ものという歴史があります。佐藤信介『修羅雪姫』(2001)や北村龍平『あずみ』(2003)、曽利文彦『ICHI』(2008)の女性を主演にした時代劇ものであったり、『ハイキック・ガール!』(2009)をはじめとした武田梨奈を軸に据えた西冬彦の格闘アクションシリーズであったり、はたまた特撮とアイドルを組み合わせた金子修介『少女は異世界で戦った』(2014)だったりと、まぁ色々あった訳です。
 ただ、それらが上手くいっていたかは別の話で、ジェンダーを踏まえたジャンルの刷新や新しい表象の萌芽、といったものは見られなかったことは事実です。そもそも物語やキャラクターに関して洗練されていないか、アクション自体が出来ていないかのどちらかでした。北村龍平のアクションセンスがもっとも発揮された作品である『あずみ』にしても、前半の物語叙述に問題がありましたしね…。
 だからこのような作品群を観てきた人間にとって、アクションシークエンスを完遂しながら、現代人のメンタリティを踏まえたキャラクターを軸にし、彼女達なりの成長を物語の中で描いた『ベイビーわるきゅーれ』は歓迎すべきエポックでした。ロングテイクを中心に彼女の日常を描き出しつつ、仲たがいをした両者が仲直りをするシークエンスで、今まで抑制していたクローズアップと切り返しで両者の情感を捉えながら、縦線と越境で和解を視覚的に表現する。こういった映画の物語叙述を真っ当に使っていく本作が多くの人に受け入れられ、アクション映画史に刻まれることは喜ばしいことでしょう。
   

女性映画と軽さについて

 後、これは坂元裕吾の美徳だと思うのですが、女性の身体をモノとして捉える意識が極めて希薄なのですよね。初期作品も題材に比して、女性の身体をフェティズムで捉えるショットがほとんど出てこない。『べー。』(2017)にもその辺は強く出ていて、辻凪子の魅力を十二分に引き出している。同時に観た西村喜廣『自由を我が手に』(2021)と比べると分かりやすいですけど、女性の胸を強調するカットのような、くだらないショットが出てこない。30代の作家はその辺が強みだと思います。当たり前の話ではあるんですけどね…。
 坂元裕吾がジェンダーについて深い理解をしているかは、正直よくわかりません。若者の寄る辺なさと未成熟というテーマとしても先行作である田中征爾『メランコリック』(2018)の方が突き詰めていたような気もします。ですが、少なくとも彼が伊澤彩織や高石あかりをはじめとして、被写体に対して誠実に撮ろうとした。結果として、女性映画と呼ぶべきレベルの傑作をものにしたことを、私たちは記憶に留めておくべきでしょう。

(注)コロナで自粛してからU-NEXTに入ったのですが、日本映画に関しては他の追随を許さないよなぁ、と思います。30代の作家をちゃんと網羅できるんですよね。坂元裕吾の初期作品をほぼ全部観れましたし、他にも井樫彩の『真っ赤な星』(2018)や上村奈帆『書くが、まま』(2018)といった女性の若手作家もきっちり観れる。その辺の話はまた今度に。


 

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