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「ペンキ屋はbarにいる」2


僕がシングルモルトにはまったのは30を過ぎてからだった。
それにはちょっとしたエピソードがあって、今回はそんなこんなをお話します。

27の時、会社をクビになった。
若かった自分が取締役の上司とケンカした結果だった。間違っていたのは自分だと今は言えるし、だからと言って後悔は微塵もない。
強いていえば、僕の我が儘で会社に迷惑をかけたのだが、人は時として間違っていても突き進む選択をしなくてはならない時がある。
後でしなかったことを後悔するより、結果が間違っていてもそれを選択したならば、後悔はしないものだ。

若さとは、それ自体全てが間違いなのだ。そして、間違いが許されるのは若さだけなのだ。

薄々会社と袂を分かつ気配を自身に覚えていた僕は、そうなる前に新たな方向の目鼻をすでに付けていた。
自宅の近くにあったオーダーキッチンの会社と、人生で初めてフリーランスの契約をスタートさせた。

3年に渡るその月日は多分、二度と経験することはないだろうハードな日々だった。
3ヶ月無休で毎日日付を越えて仕事をするなどとは、今のご時世あり得ない世界だ。

僕はそこで高額リフォーム物件の施行図面と全ての監理を担当した。
会社に30%以上の利益を残せば工事金額の5%がインセンティブとなるが、それを切ると差額を戻す厳しい契約だった。

契約企業のオーダーキッチン担当のスタッフの女の子と連携して仕事をした。
当時24歳の、名字をとって古さんと呼んでたその娘といつも夕食をとり、共に二人最後になるまで深夜まで事務所で仕事をする毎日。
途中で疲れて社長室のソファーで仮眠をとる彼女を起こすのが僕の日課だった。
寝顔を見ながら、好意を寄せてた彼女の唇を奪う誘惑を数えきれないほど断ち切った。
僕には妻がいて長男はまだ一歳だった。

仕事をシェアしながら、二人はよく飲みにいく間柄になってた。
まだ24というのに、彼女はニューオリンズジャズやトム ウェイツを好み、いつもマッカランのロックをオーダーした。
ジンかウォッカしか嗜まなかった僕は、年下の彼女の毛並みの良さに惹かれた。

僕らはいくつものbarに行った。
上前津の紙音、千代田の紺屋、どちらも今は無い。八事のrootsstone、覚王山バー、そしてlove potion。

僕らはどこまでいっても友達以上恋人未満だった。
お互い誰にも言えない心の奥を、拙い言葉で共有した。
それはきっと、二人だけのものだった筈だ。
しかしその大切な感情のあわいも、あの時何が僕らを繋いだのか、僕にはもうわからない。

覚王山バーの坂を降りる途中、彼女の髪の毛を抱いた。
古さんは抵抗した。なのに、その力ははっきり拒否を表してはおらず、かといって僕を受け入れるにはやさしくなかった。

人生の中で、あれほど曖昧で記憶に残る唆巡はもう経験できない。

実家を継ぐためフリーランスに終止符を打った30になると、会社に残った古さんとはすれ違いだした。
彼女は僕と会うことを拒否した。

きっとそれで良かった。

僕の心の痛手は悲痛にもほどがあった。
何度も彼女を夢に見た。
1年以上経っても彼女を忘れることができなかった。そんな経験はあとにも先にもその時だけだ。

ある日僕は友人を初めてlove potionに連れていった。
いつもジンかウォッカを飲んでいたのだが、友人がなんかウイスキーありますかといったので、僕は彼がオーダーしたのと同じバランタインをたのんだ。
初めてのウィスキー。
名前がいいと思ったのが理由だが、それは旨いと思った。

バランタインはいつしかグレンリヴェットになり、スキャパやタリスカーに代わった。
古さんの飲んでたマッカランは物足りなくなった。
彼女を忘れられないなら忘れてやるもんかと腹を括ったら、自然と彼女のことは考えなくなった。

モルトはいつしかラフロイグやラガブーリン、カリラに代わっていった。僕は彼女を必要としなくなった。

ある夜ラジオでトム ウェイツのクロージングタイムを耳にした。
初めて聴くトム ウェイツだった。
古さんを思い出してやさしい気持ちになった。

それからトムを聴きだした。
彼はきっとバーボンだが、僕らはモルトで乾杯する。

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