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「トリプティック」第7話

巴が入社した時、佐藤は西名古屋市の産業遺構を含む、重機紡績の工場跡地の公園整備の一大プロジェクトの中核メンバーとして多忙を極めていた。
しかし、社のスタッフに限りがあるため、このプロジェクトから名古屋の水道公園再整備の案件にコンバートされたのだ。
それは佐藤にとって、苦しい業務命令だった。

プロポーザルを制し事業者選定を勝ち抜いた、(仮称)テキスタランドマークのニュースは地元業界に多大なインパクトを与えた。
日本を代表する設計事務所を中核にした大手ゼネコンとの共同事業体を向こうに回し、大番狂わせを演じたのだ。
社にとって、事業のターニングポイントになるであろう巨大案件は、それこそ佐藤が入社するずっと前から水面下で動いていた。

プロポーザルは、競争入札とは違い、選考基準が価格決定ではなく、応募事業者からの提案で選ばれる。
それはコンセプトや設計にとどまらず、事業の運営にまで及ぶ。
またコンペと違うのは、コンペでは提案(設計)を選ぶのだが、プロポーザルは提案事業者を選ぶことになる。
つまり、選ばれた事業者は自動的に匿名受注企業となるのだ。

名古屋市周辺の自治体サイドにプロポーザルを推し進める働きかけをしていたのは、(株)東明都市計画舎、つまり巴の会社の所長だった。
まだ地方自治体にプロポーザルの認識が浅い頃から、様々なチャンネルを構築して公的事業選定の提案を仕込んできたのだ。

「別に自社が選定されんでもいいんだよ」
所長は本心かどうかわからぬことを口にしたりする。
「テキスタランドマークのような物件が発生するなんて考えもしてなかったしな。
ただ、自分たちらしい戦場を、自分の手で作っておきたかっただけだよ」

どこか信用の置けぬ所長の、それはきっと正直な気持ちではないかと巴は思った。

その所長から懇願された佐藤は、泣く泣くプロジェクトから去らなくてはいけなかった。
佐藤は、施工事業者の取りまとめを任されていて、繋がりのある関係担当者はかなりの数にのぼる。
自身の任務に手応えを覚えていた若きスタッフにとって、社運を賭けるメモリアルな事業からの転配は、社の現状からしたら仕方ないのはわかるものの肚落ちしきれるような簡単なものではなかった。
水道公園再整備ではプロジェクトリーダーとはなったが、こちらは水道局の事業を担当するだけの業務。
モチベーションを保つのはかなり厳しかった。
心ともない後輩のスタッフに、担当者に引き継ぎをしていく佐藤の胸中は複雑なままに為す術もなかった。

巴は他のスタッフと共に、社のすべての役所申請書類の処理を担う役回りであったが、テキスタランドマークが物件が大きすぎ、また名目上は東明都市計画舎でなく共同事業ゼネコンをリーディング企業として進めていたので、この物件の詳細は知らぬままであった。
そのタイミングで、佐渡と共に仕事をしていくことになる。

佐藤には、心の隙間を埋める対象になりうる巴の存在だったが、そのような安易な感情に自分を任せられるほどおめでたい男ではなかった。
関係性は、互いの言葉を積み重ねて確かなものにしていくもの。
面倒だが、どんな仕事も面倒でなければ実りは得られはしない。


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