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episode10. 休職中の生活

(※ 人物は仮名で、役職は当時のものです。)

学校退職後は安定した収入を得ることが難しく、だんだん生活は困窮していった。食費、水道光熱費、税金、保険料と生きているだけでお金がかかるのに、支出に見合う収入を得ることができない。休職していた一年間の生活費は両親に頼るほかなく、病院と時々の買い物でしか家から出られない状況も、そんな自分自身も惨めでたまらなくなっていた。ただ、毎日生き続けていることが虚しかった。

買い物に出るにも、トイレットペーパーや洗剤など無いと困る日用品は手に取れても、食品や飲料など自分の食べたいもの、飲みたいものが分からずに選ぶことができなかった。空っぽのままのかごを片手に店内を何周かして、何も買わずに店を出た。

家の外にいると、少しの物音や後ろからの声かけに飛び上がるほど驚いたり、ちょっとしたことにイライラしたりした。そしてA教頭の背格好に似た人を見かけたり、似たような整髪料の香りがしたりすると一瞬で緊張が走り、足がすくむ。心臓がぎゅっと縮み上がった後、飛び出しそうにどきどきし続けることがあった。家の外にいること自体が怖く、危険だと感じるようになっていく。

家から出ようとする時も鍵を閉めたか何度も気になり、引き返しては確認し、また不安になって引き返すのを繰り返すようになった。気がついた時には一人で外出ができなくなっていた。

また、夜はなかなか寝つくことができず、頻繁に悪い夢を見た。被害に遭った日の夢、出かけた先で偶然A教頭と出くわしてしまう夢など疲労感と共にぐったりと目が覚める。夢を見るのが怖くなり、だんだん眠れなくなっていった。

母は少しずつ変わっていく私の様子を気にかけ、最低限でも外出する機会を無くさないよう助けてくれた。知り合いに会うと「どうして辞めたの?」と聞かれることが辛く、なるべく人に会わない場所や時間帯を選んで買い物に付き添ってくれたり、県外に住む家族のところへと、宮崎を離れさせてくれたりした。

それでもやっぱり私の受けた傷は癒えず、むしろ宮崎県教委、延岡市教委に対しての怒り、悔しさは心の中でずっとくすぶり続け、直接的なA教頭の加害行為だけでなく教育委員会から受けた被害を忘れることは片時もなかった。

私が命を絶てば、教育委員会はきちんと調べ直さなきゃいけなくなるかな。

被害に係るすべてのことが私にじわじわとダメージを与え続けていた。

気持ちの問題として、学校で働けなくなったことは本当に辛かった。

子どもに関わる仕事に就きたいという学生の頃からの「教師」になる夢。その夢に邁進できる喜びと、教育現場での素晴らしい先生たちとの出会いに幸せを感じていた。

新しい赴任先で初めて学級担任を任されることになり、期待と不安に胸を膨らませていたある年の春。緊張しながら職員室に入る私に「こっち、こっち」と手招きをし、温かい笑顔で迎えてくれた学年主任の先生と出会った。

「少しでも不安なこと、心配なことがあったら、一人で悩まないで。何かあったら絶対に助けるし、私も若い人がさーっと動いてくれて有難いんだから、私も助けて貰ってるんだよ。隣で助け合っていこう。」

その日から、彼女が私の志す教師モデルとなった。

「先生と一緒に遠足に行った子たちはバス酔いしないから、今日も大丈夫!」というバスに乗る前のおまじないも、「絶対できる!って地面を蹴る!」という逆上がりのおまじないも、彼女が言うと、まるで魔法にかけられたように、子どもたちは安心感や自信をもち、できることが増える度に目を輝かせていく。

私が保護者の対応や生徒指導で不安な気持ちを打ち明けると「経験が浅いって心配しているけど、初めは誰だってそう。あなたは絶対大丈夫。いざという時は絶対に私が守るから。真面目で背負い過ぎるのが心配だけど、あなたの素直なところは宝物。だから自信をもっていい。ぼちぼちいこう!」と笑顔で励ましてくれた。先生の言葉が心強く、私も「大丈夫」のおまじないにかかったように勇気が湧いた。

そして、子どもたちの純粋無垢なまなざしが集まる教壇と言う場所は、本当に神聖な気持ちにさせてくれた。子どもたちのためにもっと教育技術を磨きたいと思わせ「後ろめたくなるような、まっすぐに目を見て言えないことは決してするまい。子どもたちに正直にいよう。」と私の背筋を伸ばしてくれた。

学年主任の先生の言葉かけや学級経営を真似して、学級担任として真正面から子どもと向き合い、子どもと一緒に泣いたり笑ったりする日々が「教師」への憧れを誇りに変えてくれた。

退職後も下校中の子どもたちを見かけると、学校での日常が蘇り、懐かしくも寂しく、辛くなった。帰りがけに教室へ顔を出す子どもや、懇談会の終わりを待つ子どもたちとの放課後のおしゃべり。当たり前だった毎日がどこかへ消えてしまった。

被害後も市内の教育現場で働く人と話した際に、私の性被害について
「彼女がついて行ったんでしょ」
「二人だけで食事に行くということはそういうこと」
「大人同士のこと」
「自分で気を付けておかなきゃ」といった声もあったと聞いた。
その度に私の落ち度を責められているように感じ、とても傷つき悲しかった。

勇気を出して被害を打ち明けた時も「聞かなかったことにする」「私は力になれないと思う」という言葉が返ってきた時は、仕方のないことだと分かっていても、とても悲しかった。

生きがいだった仕事も当たり前だった日常も失い、思い描いていた未来が消えていく。私も一緒に消えてなくなりたい。

心療内科に通い、「A教頭からの性的な行為に私の同意はなかった」とあちこちで証言して回り、その度に疲れ果て、傷つき、虚しさでいっぱいなのに心は空っぽだった。

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