魂に組み込まれたプログラム

※ここで書くことはすべて私の妄想ですので信じないでくださいね。


因果律は「○○した結果△△になった」となりますが、確かに、他人から嫌われるようなことをすれば嫌われるし、不義理なことや不誠実な対応をすれば信用を失います。
だだ、「○○した結果の△△」ではなくて、「△△の結果になるように○○する」という形式が私の妄想の基になっているのです。

神仕組みで結果が決まっているとされているならば、その過程すらもそこにたどり着くように神が仕組んでいる、と妄想してみるわけです。

そうすると色んな事象が腑に落ちるように思えるのです。
例えば「いじめ」は、性懲りもなく根の腐った陰湿なクソガキらがネチこくターゲットを絞り集団で追いつめる卑劣な胸糞行為で、ターゲットとされる子たち自身に非はなというのに理不尽に被害を被るものです。

加害者側は、「なんか不潔」「なんかキショい」「かわいこぶってる」「いい子ぶってる」「男子から気にかけてもらいすぎ」やらとにかく何かしらの根拠のない理由をつけて勝手に鼻についたり僻んだり嫌悪したりなどして攻撃することを正当化します。

こういう言い方を続ければキリがないんですけど、私自身はそういうクソガキは粗悪なのだしとっととそれ専用の更正施設でも国が作ってぶち込みゃいいとか思っちゃってはいるんですけど、ここは善悪を横に置いた妄想する場ですので諦めるしかありません。

これらの行為は被害者側の人生に強く影響します。
この世のルール的に最悪だとされるのが自死ですね。
自死した子の親御さんは裁判を起こしたりもします。
被害を被った現場から遠く離れて暮らす選択をする人もいる。
対応した教師がクソな対応だった為に、そんなヤツが蔓延るのを阻止したいと教職を目指す人もあります。
臥薪嘗胆、加害者へベストなタイミングを見計らって最大限にダメージを与えようと復讐を考える人もいるでしょう。 
加害者の方はあっさりしたもので、過去に自分が攻撃した記憶すら曖昧だったりもします。

もしも加害者が復讐されて死に至ったとして、それは因果応報と言えますが加えて、前述の妄想「ある結果を得るためにそれまでの過程が決められている」を当てはめてみると、その加害者がどのような終りを迎えるかは決まっていて、最初から持って生まれたステータスが他人に攻撃するような人間になるような身内に囲まれ、計画どおりに運ぶための整えられた環境で育ち、いじめをするという正しいルートを着々とたどり、きちんと予定通りの最期を遂げたのだと言えます。
それはその人の役割であり、決まった結末を迎えるために全人類を出演者とした、壮大な物語の中でのその人の役柄なのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?