見出し画像

「もしも彼が今も…」ジョン・ベルーシと仲間たち

映画『BELUSHI ベルーシ』とは

33歳の若さで亡くなった稀代のエンターテイナー、ジョン・ベルーシの生涯を描いたドキュメンタリー『BELUSHI ベルーシ』が2021年12月17日より全国順次公開中だ。
初公開となる貴重な本人の音声から辿る、栄光と苦悩ーー。
イリノイ州で育った幼少期から、コメディアン、ミュージシャン、俳優として成功をおさめるも人気絶頂の1982年に33歳という若さで薬物の過剰摂取により亡くなるまで、破天荒な魅力で人気を博し、アメリカン・コメディ界に革命を起こした天才ベルーシの嵐のように駆け抜けた人生を、愛ある目線で辿っていく。
高校時代からのパートナーで後に妻となるジュディスの自宅地下室に保管されていた貴重な未公開音声テープとジュディスに宛てられた大量のラブレターや詩が物語を牽引。その他、輝かしい日々を振り返るアーカイブ映像、関係者らへのインタビュー、アニメーションで構成。

正直、きっと世代によっては『ブルース・ブラザース』(80)なら知っているけれど、ジョン・ベルーシの事は認識していない、そもそも存在すら知らない人も多くいるかもしれないが、無理もないだろう。先述の通り、今から40年も前、1982年に彼はこの世を去ってしまったのだから。
ジョン・ベルーシがどういった人物で何をした人なのかは本作をご覧頂くとして、今回はベルーシの交友関係と現在への紐付きについて駆け足で簡単に書きたいと思う。
「記載作品を一つも見ていないし、登場人物が分からない」という人も大丈夫、「そういう魅力的な人がいたのだな」と、まずは存在を知ってほしい。
細かい人物紹介や話の経緯は『BELUSH ベルーシ』本編に描かれているので、あくまでも1人の人物を中心軸として流れを説明する事につとめたい。
これは、人が生きた証が後世にどのように育まれるかという記録でもある。

瞬発力を鍛えた「セカンド・シティ」

1970年の短大卒業後、即興演劇の道を志したジョン・ベルーシは、シカゴの即興コメディ劇団「セカンド・シティ」のオーディションを経て22歳で入団。
グループ最年少メンバーとしてメキメキと頭角を現し、劇団のスター的存在になる。この頃に同劇団で出会ったのが、ハロルド・ライミス
週6日の公演をこなすようになったベルーシは1972年、更なる新しい表現を求め、拠点劇場があったニューヨークへと移り、ここで第二の扉が開くのだった。

セカンド・シティのメンバーとともに。2列目右がハロルド・ライミス
ベルーシ、NYへ行く

運命の出会いを作った「ナショナル・ランプーン」

ニューヨークではオフ・ブロードウェイのパロディショー「ナショナル・ランプーン:レミングス」に参加する事となる。その経緯は本編をご覧頂ければと思うが、このナショナル・ランプーンというのは元は社会風刺雑誌が発端で、のちに舞台・ラジオ・映画など様々なメディアに進出する事となる気鋭の集団である。ロルド・ライミス、ビル・マーレイも「ナショナル・ランプーン・ラジオ・アワー」に出演した。この頃、ジョン・ベルーシは運命の出会いを果たす事となる。そう、のちの親友となるダン・エイクロイドだ。ダンは元々セカンド・シティのトロント支部に所属しており、同じ時代に近しい活動をする同世代の若者たち必然とも言える遭遇であったに違いない。彼らは仲間となり、ますます注目を集めていく。

「ナショナル・ランプーン:レミングス」

アメリカのお茶の間を沸かした「サタデー・ナイト・ライブ」

1975年10月、ベルーシは「サタデー・ナイト・ライブ」=通称SNL(当初タイトルは"NBC's サタデー・ナイト")への出演が決定。当初はTVはやならいという意思だったが、生放送という事で決意する形となった。
ここでも、ダン・エイクロイド、ビル・マーレイらが番組の初期レギュラーメンバーとして出演。紆余曲折もありながら、ベルーシの奔放かつ大胆な性格と爆発的な瞬発力は、いつしかメンバーを牽引する存在となっていく。

SNL初期メンバー
鉄板キャラクターのひとつ”キラービー”

みんなの青春だった『アニマル・ハウス』

仲間たちがSNLに出演している頃、ハロルド・ライミスは「サタデー・ナイト・ライブ」ではなくカナダの深夜コメディ番組「セカンド・シティ・テレビジョン」(SCTV)に脚本家兼出演者として活躍していた。
一方その頃、若手監督だったアイヴァン・ライトマンはナショナル・ランプーンの大ファンであり、ランプーンの出版社に連絡し、NYで「ナショナル・ランプーン・ショー」を企画。それが映画化の構想に繋がり、アイヴァンは、ランプーンの出版社からハロルドを紹介される。
これまでの舞台を生かしつつ大学時代の経験を映画にしようと思ったハロルドは、自信を中心に映画『アニマル・ハウス』(78)の脚本を完成させる。

当時の『アニマル・ハウス』日本版チラシ(スタッフ所有物)

ライトマンは自ら監督を希望したが、当時のアイヴァンは低予算ホラー・コメディなどしか監督した事がなかったため、監督は『ケンタッキー・フライド・ムービー』(77)で成功を収めていたジョン・ランディスに。ライトマンはプロデューサーとして奔走する事となる。
SNLのレギュラー出演中でもあったベルーシは、月曜から水曜までは映画出演、木曜から土曜はNYでショーを行うというハードスケジュールをこなした。その結果、ドタバタ喜劇と喜怒哀楽とリアクション豊かなベルーシの相性が大いにマッチし、同年のコメディ映画1位を獲得する。

『アニマル・ハウス』キャスト・スタッフとともに。手前がジョン・ランディス監督、在前列右手に座っているのが製作、アイヴァン・ライトマン。青春時代の再現でありながら、全員にとっての青春時代の続きというようにも見える
アイヴァン・ライトマン

映画への大躍進『ブルース・ブラザース』

人気者でありながらも、繊細であるがゆえに私生活の態度(主に薬物面)で徐々に問題を抱えていたベルーシだったが、バンド「ブルース・ブラザース」でスターとしての道を着実に歩んでいた。
1979年、SNLを卒業したダンとベルーシは、ブルース・ブラザース映画化に着手。それが、永遠の名作『ブルース・ブラザース』(80)だ。監督は『アニマル・ハウス』に続きジョン・ランディス、脚本もダン・エイクロイドと共につとめた。

当時の『ブルース・ブラザース』日本版チラシ(スタッフ所有物)

最高の音楽と笑い、相棒との粋の合ったコンビネーション。実際の撮影時のコンディションについてや背景については『BELUSHI ベルーシ』で触れられているのだが、学生時代はバンド活動もし、元々映画をやりたかったベルーシにとってベストな条件が揃った作品となったとも考えられるだろう。
アメリカのみならず世界的な大ヒット作となり、コメディアンとしての地位を確立していく。

突然の別れの先に面影を遺した『ゴーストバスターズ』

スティーヴン・スピルバーグ監督作『1941』(79)、『Oh! ベルーシ 絶体絶命』(81)、『ネイバーズ』(81)と、コンスタントに映画出演を果たしたベルーシ。国民的存在となったベルーシは、常にマスコミに追いかけられるようになる。
若い頃から支えてくれた妻との心安らぐ時間、ダンをはじめとした仲間たち、音楽……。それらの存在がありながらも、常に成功を求められ続けるプレッシャーの大きさに耐えきれず、断薬しては、たびたび薬物に手を出してしまう波を繰り返していた。
そして人気絶頂の1982年3月5日。ロサンゼルスのホテルで、薬物の過剰摂取によりベルーシはこの世から去ってしまう。あまりにも突然の別れだった。
それは、ダン・エイクロイドがベルーシの出演を想定し『ゴーストバスターズ』(84)の脚本を執筆していた頃だった。
ジョン・ベルーシ33歳。葬儀には多くの家族や友人が集まり悲しみを共有した事がこの動画からも伺える。ダン、アイヴァンらの姿も見える。

ベルーシを失った『ゴーストバスターズ』のキャスティングは、ビル・マーレイ、ダン・エイクロイド、ハロルド・ライミスに決定した。
監督には、『アニマル・ハウス』では製作だったアイヴァン・ライトマン。ダンは、『ゴーストバスターズ』に食いしん坊な緑の幽霊スライマーを登場させ、『アニマル・ハウス』の頃のベルーシを投影させた。

奇しくも、幽霊退治屋をかつてのベルーシの友人たちが演じ、ベルーシはお化け役のイメージという構図というのがユーモラスでありながら、彼らの交友関係を知っていると切なさを加速させもするのだが、そこには映画にしかできない存在の留め方や絆が感じられる。
『ゴーストバスターズ』は大ヒット、続編も作られ、ダンをはじめとした仲間たちも活躍を続けていった。

2014年、ハロルド・ライミスは亡くなり、2022年2月4日、製作はアイヴァン・ライトマン、監督は息子であるジェイソン・ライトマンによって作られた『ゴーストバスターズ/アフターライフ』(21)が日本でも劇場公開となった。
2月12日、封切られて間もなくアイヴァン・ライトマン死去。

ジョン・ベルーシは直接の出演者ではないものの、ベルーシ、ハロルド、そしてアイヴァンという鬼籍に入った3名は、果たして“あの世“があるならばどんな会話をしている事だろう。
同時に、「もしも、ベルーシが今も生きていたなら……」と、73歳を迎えた幻のベルーシのキャリアを想像してしまう人も少なくないはずだ。しかし、人生は続いていく。
遺された人は大切な思い出と共に、その後を自分たちの力で歩んで道を創っていくしかないのだ。一生の長さは人それぞれだが、ベルーシはそれがあまりに短かった。ただ、強烈に刻んだものがある。確かにそれは今も皆の中に生きている。
『BELUSHI ベルーシ』と『ゴーストバスターズ/アフターライフ』を観ながら、そんな事を考えてみるのも、ひとつの追悼の形なのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?