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父との思い出を綴る(2023/02月末)


家族が亡くなるということ

noteを久しぶりに書き始めて、5月に発掘してもったいなくて投稿したのが下の記事でした。

2ヶ月が経って、世は父の日ということで改めて父の思い出を書いてみたいと思います。
その中でも最も鮮烈で、色の濃い、父の最期について書きたいと思います。

一生覚えているような出来事で、本当は口に出すのも憚られる。文章として残すなんて不適切極まりないかもしれません。

ただ最近、あの時の感情と感覚が薄れている気がする。ということを恐れるようになってきました。
日々あげていた線香の頻度が落ちている今、改めてあの日のことを思い出すことにします。

なにかの時に私が思い出したくなる日が来るかもしれませんし、同じ境遇の人が覚悟を決める日が来るかもしれません。
偶然見つけた人が遠くの家族を思う日が来るかもしれません。

文章として起こし、残しておくことが私の中で必要なことなのだと思い、書いていくことにします。
なにかの供養になれたら。誰かのためになれたら幸いです。

夜中に起こされる

私の父は2023年の2月末頃に亡くなりました。
数日前に自宅で呼吸がうまくできなくなり救急車で運ばれ、そのまま。というものだったのですが、前日もお見舞いに行き、話をしてきたばかりでした。

日付が変わって、眠っていた夜中の2時頃、母に起こされました。
「お父さんの容態が変わったらしいから、今から行くよ」
覚醒するにはそれで十分でした。

父のいる病院までは車で10分ほど。とにかく着替えて鍵をつかみ、車へと向かいます。
寝起きとは思えないほど頭は冴え、スムーズに体は動きました。

車を運転しながら、容態が変わったといっても特に問題はないだろうと。つい数時間前にも話はしたし、自分の酸素飽和度が低いことを自嘲気味に言っていたくらいなのだから大丈夫。
きっと着いたら体を起こしていて、一時的にちょっと息が止まっただけで、睡眠時無呼吸症候群みたいなものだった。と恥ずかしそうに頭をかいて笑っているのだろうと思っていました。

知らない病室

病院に着くと、今までいた病室ではなく別の個室に案内されました。

父はベッドの上で寝ており、看護師さんが二人がかりで心臓マッサージをし、人工呼吸器を口に当てているところが目に入りました。
私たち家族が来るまで、完全に眠ってしまう状態にさせないでいてくれていたのです。

先生と少し話をして、私は父へのこれ以上の処置を断りました。母と妹がいましたが、2人に。特に母には言わせてはなるものかと思い、半ば食い気味に「もう大丈夫です。眠らせてあげてください」と言った事を覚えています。
私が最後のひと押しをしたのです。

他にどうしようもなく、何も悪くないと言われたとしても、これが私の業なのです。これだけは一生忘れる事はないでしょう。

最後の時間

先生や看護師さんが病室から出ていき、家族だけの最後の時間を作ってくれました。

声を出す事なく、つたうだけのダラダラとした涙を流しながら、父にありがとう。お疲れ様。と口々につぶやき、父の手を握りました。

まだ手は温かく、ただ、握り返してくれる事はありませんでした。
父の周りで思い出話をし、思い出したように声をかけて、手を握りました。

そうこうしているうちに、2時間以上経ったようで、夜が明けて空が白んできていました。
先生と看護師さんが来て確認をし、父の死を告げました。

父と一緒に家に帰る

一通り泣ききった私たちはこれまでのお礼をし、もろもろの片づけをお願いしました。
別室で葬儀屋に電話をし、私以外の2人は車で家に帰りました。

私は父と一緒に家に帰るために残っていました。
その時間は何もすることができず、座っていることしかできなかったと思います。
スマホどころか何も見ることができず、先ほど声をかけた父への言葉をずっと思い出していました。

葬儀屋の方が来て、一緒に父を家まで運びました。知らない出口から出て、最後まで先生と看護師さんに見送っていただいて、家路につきました。
外に出ると日はすっかり昇っていて、真夜中だったはずなのに、結局一睡もできず、ただあっと言う間に1日が始まっていました。

忘れることのない一日が終わる

そこから、親戚や家族ぐるみで付き合いがある方々に連絡、葬儀の準備など、悲しむ暇もなく様々な作業をしました。

会社に休みをもらい、どうにか葬儀の流れは乗り切ったのですが、そこはもうあまり覚えていません。多くの参列者に来ていただいたのを見ていた記憶もあるのですが、それ以外はさっぱりで、人が亡くなるって大変だな。と、一歩外から見ていたような感覚でした。

終わりに

書いてみて、やはりあの夜中から朝の事はよく覚えているようでした。

最初に書いたように、私はこの記事を備忘録の一つとして書いています。
そしてもう一つ、誰かの覚悟を決める時の指針になれば良いと思っています。

私が最後のひと押しをする。そう決めていたので、先生へのお願いはすぐに口から出ました。これはその業を受け入れる覚悟をしていたからです。
誰かが言わないといけない事なんだと思います。
その時の心構えの助けになれば、この文章も報われると思いました。

終わり方が分からなくなってしまいましたが、父の日ということで、父の好きだったお菓子と飲み物を買いに行こうと思います。

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