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子どもとの絆を結ぶ、絵本の読みきかせ

愛する両親やおじいちゃん、おばあちゃんが、自分のためにお話を語って聞かせてくれるというのは、とてもうれしいものですね。私自身は幼児の頃、じいちゃんに故郷の大分県に伝わる吉四六ばなし(きっちょむばなし)や落語の「寿限無(じゅげむ)」のような話を聞きながら眠るのが常でした。

狭い家でしたから、ひとつのふとんに、じいちゃんを真ん中にして兄と私と三人で川の字になって横になり、兄と私はじいちゃんの大きな耳たぶを引っ張りながらお話を聞き、そのまま眠ったものでした。

りっぱな絵本などありません。じいちゃんもそんなにお話のバリエーションをもっているわけではないので、何度も何度も同じ話をしたのではなかったかと思います。いまも吉四六ばなしは好きですが、覚えているのは「吉四六さんの天昇り」と「味噌とウ〇コを間違えた話(タイトルは覚えていません)」しか覚えていません。でも、じいちゃんの大きな耳たぶの感触はいまも指に残っています。

この前の記事にも書きましたが、親しい人がしてくれるお話というのは、その人との絆を深める力をもっているのです。

さて、現在においては絵本は毎年たくさん出版されていますし、図書館や幼稚園などでも見かけることも多いでしょう。絵本の選びかたについてはまた書きたいと思いますが、せっかく絵本が手元にあるのでしたら、活用しない手はありません。私の頃とは違って、多くのバリエーションから選べますし、絵本の世界が、そのままお父さんやお母さんが話してくれる物語になるのですから。

今回は、読みきかせをするにあたって私が現役時代に子どもたちに読みきかせをするときに気を付けていたことを、書き残しておきたいと思います。

絵本の構造と読みきかせの手順

本の構造は、表紙があって本文があって、最後に裏表紙があります。おとなが読む小説などは、いきなり本文から入ってもいいですが、絵本の読みきかせでは手順に従って読み進めたほうがいいかもしれません。

・絵本の構造

絵本の構造

まず、表紙があります。表紙をめくると色紙が貼ってあったり、模様が描かれてあったり、本文と関係ありそうな絵が描かれていたりします。この部分を前見返しといいます。次にまたタイトルの書かれたページがあり、これをとびらといいます。そしてその次に、やっと本文があります。お話が終わったら後見返しがあり、裏表紙がきます。

本文が始まる前に、表紙、見返し、とびらと、3つもの段階があるのです。ここを、「ええいめんどうだ」とばかりにすっとばして本文に行かないようにしましょう。

・物語への滑走路

この3つの段階は現実の世界から物語の世界へと続く、滑走路なのです。

表紙は、きちんと子どもに見せながら、タイトルと作者、絵を描いた人、翻訳ものであれば翻訳者の名前を語ります。

次に前見返し。ここは無地の色紙が貼られていることもありますが、イラストが描かれていることもあります。イラストなどが描かれている場合には、この絵本の著者のなんらかの意図が隠されていることがあります。それがなんであるかは、気にしなくても構いません。子どもはその絵に、何かを感じ取ろうとします。

とびらが来ました。ここでもタイトルと著作者の名前が書いてあります。本文の表紙です。ここも読みましょう。読み終えれば、いよいよ物語へむかって離陸です。

・物語りは子どもとのコミュニケーション

子どもに絵本の読みきかせをしているとき、私は物語の世界を物語っていながら、同時に私の思いも届けるようにします。時どき、子どもが質問したり自分の意見をいったりすることがありますが、私は迷わず質問に答えたり、同意したりします。

「王様は、どうしてこんなところにいるの?」
   「きっと、ヘルガの評判を聞いて見に来たんだよ」
「インジって、ほんとうにいじわるだね」
   「そうだね」 

トミー・デパオラ『ヘルガの持参金』

子どもが物語の世界に入っているとき、いろんな思いが浮かんできます。絵本は作った人のものではなく、それを聞いている子どものもの。いろんな思いが浮かんでくるのは、それだけ子どもが物語の世界に入って遊んでいることです。読み手も、同じ世界で子どもと一緒に遊び、子どもの思いを共有しましょう。

おとなは物語が進行するとき、ストーリィに集中して筋を追おうとします。しかし子どもは、物語を語ってもらってストーリィを追いながら、絵本の絵からも物語の世界を知ろうとします。そのとき絵本作家が仕掛けたちょっとしたことに気づくことがあります。それは、時にはおとなの読者が思いもつかなかったようなことがあるかもしれません。そんな絵本の世界を子どもと一緒になって楽しみましょう。

現実への着陸

物語の本文が終わると、また見返し(後見返し)がきて、最後の裏表紙へと続きます。これは現実へ着陸するための滑走路であったり、思い出となっていく物語の余韻だったりします。

絵本作家は、この見返しや裏表紙にもある意図を込めることがあります。後見返しに前見返しと同じ絵柄を使う場合もありますし、ちょっとした仕掛けをすることもあります。同じ絵柄であってもまた違う意味を持もたせることもあります。

これが何を意味するか、どんな感じがするかということも、子どもの感性にまかせましょう。読み手が気づいても、自分からは言わないで、もし聞かれたら「お母さんはね、こう思うよ」といって、ひとつの意見としていってみてください。

裏表紙には、余韻となるものが描かれています。表紙とは違う絵柄が描かれていることもありますし、最初の表紙とともに見せることによってそれが一枚の絵であることに気づかされることもあります。前と後ろで一枚の絵だと気づいた時は、広げて見せましょう。新しい感動が生まれることでしょう。

物語の世界から、現実の世界に戻してあげることは重要で、現実の世界と物語の世界を、自然に切り替える力をつけることはとてもたいせつです。物語なんか嘘だと現実だけを見るだけの人も、仮想空間にしか自分の居場所はないと思う人も両方とも危うい。きちんと両者の間を行き来できる人が、想像の世界を自分の力にすることのできる人になれると思うからです。

読みきかせ後に感想を聞くのは?

多くの児童文学研究者がいっていることですが、読みきかせが終わった後にしてはいけないこととして感想を聞く、ということがあります。

子どもは絵本を分析的に聞いているわけではありません。「はらはらした」とか「楽しかった」とか、ことばにできないけれどいろんな感情をもったと思いますが、それをことばにするのはとても難しいことなのです。

なのに感想を聞かれると、物語の世界の余韻に浸っている子どもは現実に引き戻され、その難しい作業を強いられることになります。要領のいい子は、あまり深くは考えず「おもしろかった」で逃げるかもしれませんし、感受性の豊かな子であれば、答えが見つからず、しかし親の期待を裏切りたくないという気持ちも働いて悩んだすえ、物語が嫌いになるということも起こりえます。

親としては子どもがこの物語をどんなふうに受け止めたのだろうと思うことは自然なことです。でも、そこはぐっとがまんしましょう。



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