「百」という数は随分大きいような気がする。
百階建てのビルなんて見たことがないし、ラーメン屋が百分待ちだったら諦めるしかない。
しかし、なぜ切りのいい数字として「百」が使われるのだろうか。人間の両手の指の数を足すと「十」になる。その十倍が「百」だから、という単純な答えしか思いつかないが、結局、自然の摂理や人体の構造と「いっぱい」という概念の交差点が「百」なのだと思う。
さて、今この会議室にいる15人のおっさんに何本の指が存在しているか考えてみよう。何と、手の指だけで150本、足も含めると300本もある。会議に積極的に参加している3人のおっさんだけだと60本になるが、それでも意外と多い。
こう考えてみると、手足の指を足して100本にするにはたった5人のおっさんがいれば良い、という真実に気づかされる。確かに、有意義な会議というのはだいたい5人くらいで行われるものかもしれない。
「ウノさんは、どう思います?」
「ああ、いいと思いますよ」
急に振られたが、適当に答えたら大丈夫だった。最近とみに評判の悪い生産性の低い無駄な会議。とは言え、そんなこんなで我が社は百年保ってきたというのだから、別にいいのだろう。