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日常という茶室

茶室には「にじり口」という狭い入り口があって、誰もがひざまずかないと入れない。茶席では皆が対等な関係であることを表しているそうだ。

一方、社会ではあらゆる場面で上下関係を意識させられる。会議、宴会からエレベーターや車の乗り方まで。しかし、そんなしがらみから開放され自由になれる空間、つまり「茶室」が日常の中に確かに存在する。

ある日曜の夕方。スーパーマーケットの煎餅コーナーで谷村専務に会った。私はちょっと面倒な気もしたが、声をかけてみた。すると専務はなぜか中途半端な笑みを浮かべ、ボソボソと挨拶を返した。私たちは対等な関係に慣れていなかった。しかし、心に一種の連帯感のようなものが芽生えた、気がした。

スーパーマーケットという空間は不思議だ。そこには基本的に店員と客という二種類の人間しかいない。欲しい物を選び対価を支払う。そんな簡素で強力なルールだけが支配する世界。人種、国籍、社会的立場は消え去り、皆が対等になれる場所なのだ。

数日後、健康診断の時にまた専務と会った。この時も彼はあの時と同じ中途半端な笑みを浮かべてボソボソと挨拶した。もしかしたら「茶室」は日常の至るところに隠れているのかもしれない。