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「六代目」の意味するもの〜新橋演舞場 二月大歌舞伎2012.2.19(再録)

「六代目」の意味するもの
〜六代目中村勘九郎襲名披露興行 「土蜘蛛」
2012.2.19所見


https://www.kabuki-bito.jp/theaters/shinbashi/play/101/

※Facebookのノートに書き残していたもののサルベージです。当時のまま再録のため、旧名のままです。
「勘三郎と同時期に生きていることが誇りです」なんて書いてますね…9年前はまさかその年の終わりには中村屋がいなくなるなんて思いもしてませんでしたから。
当時、忙しくて演舞場はそんなに通えなかった(その分、3月はめちゃくちゃ通いました)のですが、鈴が森はもっと見ておくんだったなあ…と今でも苦く後悔しています。2021.2.16付記。


2/19、行けなくなった方の代理で演舞場へ。3回目の土蜘。

初日、二日目の恐ろしいくらいの気迫から、むしろ静かな怖さを内部に潜ませた踊りに変わっていました。

前シテは本当に怖い。足取りが特に怖くて、瘴気が智籌の周りにとぐろを巻くようでした。
後シテも見た目の迫力で押すのではなく、存在そのものを大きく見せる、そんな踊りだったと感じました。

で、途中、大向こうから「六代目!」とかかった時、ふっと「鏡獅子」と書いて「ろくだいめ」とルビを振られたという六代目菊五郎が時代の煌星としてかつて存在したように、六代目と言えば「勘九郎」と人々が感じる時期はきっとあるだろうとそんな気がしました。
あと二十年、三十年、彼が勘九郎である限り。

それは、勘九郎が六代目菊五郎を超えるという意味ではありません(超えるかもしれません、それはわからない)。

今の観客にとっての「六代目」という意味で。
自分の生きている時代にともにある人、という意味で。

平成の私たちには玉三郎の踊りがあり、三津五郎、勘三郎の踊りがあるうえに、勘九郎の踊りがあった、とそう言える時が来る、とそう予感したのでした。

「我が時代の綺羅星」として。

うまくニュアンス伝わってるかしら。

これまでは花形の一人だったのが、この襲名披露でぐっと格が上がったと言いますか… 年齢的には花形に違いはないのですが、芸の面で一つ雛壇を上がったように思うのです。

逆に言えば彼にはこれからさらに甘えの許されない世界が待っているとも思うのですが。

私自身にとっては勘三郎以上の踊り手はいないのが本当のところです。
勘三郎の鏡獅子は100年後でも語られているはずと思っている。
勘三郎と同時期に生きていることが誇りです。

そして、同じようにに勘九郎と同時期に生きていることを誇りとする観客がきっとたくさんたくさん現れるだろう、とそう感じた、そんな昨日の土蜘でした。

追記。
9年後の今、思うこと。
私にとって勘三郎が随一、というのは変わらない思いなのですが、当代の勘九郎、猿之助のふたりはこの先…あと20年後には当代随一の踊り手と言われているのではないかと思います。そうあってほしい。
おふたりの連獅子が見たいんだよなあ、私。競い合う連獅子。

猿之助さんに関してはさらに幸四郎さんとともに次の歌舞伎を牽引してくださるようにも思います。
吉右衛門、菊五郎、仁左衛門、玉三郎(そして本来なら團十郎)のすぐ下に勘三郎、三津五郎がいて、その下に幸四郎、猿之助、菊之助さらに勘九郎、七之助…だったろうと思うのですが、残念ながら勘三郎、三津五郎の層が喪失してしまったのが実に悔やまれますね…。


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