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はたらかないで、たらふく食べたい!

この前、ニーマガメンバーの中でも特に精力的に(?)活動しているホモ・ネーモさんと、ろっさんとこういうお店に行った。

元々このお店はろっさんの紹介で、その前にも彼と一度サシで来店している。
SNSで店のアカウントをフォローしている画面を提示できなければ、問答無用で退店させられる。「ウチの方針を事前に了承している客しか入れない、なぜなら客もお店もお互いにとって不幸だから」とのことだ。俺も「ろっさんがフォローしてるしええやろ」と思ってたら普通に退店させられかけた。かなり厳格に運用されている。

「金を払い、その対価として居心地のいい場所でツレと酒を飲み、顔も知らない他人にメシを作らせる」という現代的な価値観が瀰漫しきった梅田の堂山町にあって、アンチワーク哲学を貫徹させたコミュニティを築くには、それくらい毅然としていなければならないのだろうと思った。

しかし正直なところ、俺はなんだかそうしたお店の雰囲気に萎縮してしまった。なんか全然動かずに、俺に鍋だけよそわせるジジイとかいるし。途中からずっと「お前は誰なんだ?」と思っていた。

変な“俺ルール”を敷いて、自分たちで手を動かさなければならないわりに特にコスパが良いわけでもなく、それどころか時間制のため長居しすぎるとそのへんの飲み屋よりも高くつく。

店主の「哲学」は結構だが、営利法人という形で営業している以上、そして「コミュニティ」を物理的に存続させるためには、誰かが働かなければならない。事実、このお店は客が自身の生業によって稼ぎ出した金──多くの人にとって自らの時間を、生命を切り売りした金だ──を外部から持ってくることで成り立っている。
もし慈善事業のように本当に原価スレスレで運営していたなら話は別だが、何やら儲かっていそうな印象を受けた。人も雇っていたし、店舗を増やす予定もあるそうだ。資本主義的価値観からすると、実に結構なことだと思う。

人間は、というかすべての生物は、その存在を継続させるためには働かなければならない。
もし「働く」という言葉に強制力を感じるなら、単に「動く」でもいい。すべて生き物は自己を存えさせるためには動かなければならない。これは原理原則のようなもので、ここを曲げることは、天に唾を吐くようなものだと思う。

動かずにたらふく食っているやつがいたら、そいつは病気やケガで動けないか、人様の「働き」をぶん取っているヤクザだ。

「はたらかないで、たらふく食べたい!」という一見素朴で無邪気な願望は、資本家の「一円の給料も支払わずに、24時間366日労働者をこき使いたい!」という欲望と裏表の関係にあるような気がしてならない。
それお前が資本家じゃないから達成されてないだけで、マインドがヤクザじゃねえか、みたいなの。

俺は決して労働は美しくも、尊くもないと思っている。ただメシを食うために必要な活動。だから過労死するまで働いたり、労働でメンタルを病んだりする前にさっさと帰るべきだ。

しかしその活動を美徳に押し上げて、額に汗して働きまくり家族を養いまくってる人がいたとして、その誤りを頭から否定できるほど、この俺は正しくないと思う。苦手だし真似したくもないけど、お前は間違っている!と言えるほど俺は正しくない。
ただし目の前に額に汗をかかずに不当に利益を得ているヤクザがいたら、わが身の罪深さは措いてぶっ飛ばすとは思う。どうせはじめから正しくないなら、少しでも爽快な方がいい。「正しくなさ」にもグラデーションがある。

人に生まれた以上、せめて何かひとつくらい正しくありたい!

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