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感謝を大切にしているのに不幸だった理由。

感謝って、疑いようもなく当たり前に大切で
素晴らしいものであって自分に幸せを
もたらしてくれるものだと思うけれど

扱い方によっては自分を
不幸に陥れるものにもなってしまう。


感謝というものを大切にしているはずなのに
何もうまくいかず毎日が苦しいとしか
思えなかった時

感謝が自分を不幸に陥れる罠のように
なってしまっていた。

自分のやりたいことや好きなことも
分からなくて何をやっても楽しくなくて
毎日が苦しくてつまらないとしか
思えなかったけれど

周りの人達から感謝の言葉をもらうことが
できた時には心が満たされた気持ちになって
苦しみが緩和されたような気がした。

するとそのうち感謝の言葉をもらえれば
幸せになれるのだと思い込み感謝の言葉を
追いかけるようになっていた。

感謝の言葉をもらえなければ欠乏感を
感じて私の心が満たされず幸せになれない
のは感謝の言葉をくれない相手のせいだと
思い込むようになっていたから

感謝の言葉をくれない相手に出会う度に
その相手を恨むようになっていた。

でも本当は心が満たされないのは相手が
感謝の言葉をくれないからじゃなくて
自分が感謝の言葉に依存しなければならない
ような生き方をしていたから。

やりたいことをやって食べたいものを食べて
行きたいところに行って幸せだと思う。

その幸せが感謝の言葉の有無で
壊れるわけがない。

つまりは相手が感謝の言葉をくれるのか
くれないのかということは自分の幸せとは
関係がないのだ。

感謝の言葉ってもらえると嬉しいもの
だけれど自分の幸せとは関係ない。

心を満たすために求める感謝の言葉は苦しみ
や不平不満の思いをほんの一瞬だけ忘れさせ
てくれるただの誤魔化しみたいなもの。

だからこそいくら感謝の言葉をもらっても
心が満たされて幸せになるなんてことはない。


感謝の言葉って明らかに良いとしか思えない
ような言葉だから言わない人はおかしくて
言わないことは悪いことだとさえ思いがちだ。

私はその考えを都合よく利用して感謝の
言葉をくれない相手を非難して

自分の不幸をその相手のせいにして自分の
生き方をいつまでも変えようとしない
怠惰な自分を正当化していたのだ。
"感謝の言葉を言わないなんて人として
間違ってるよ、感謝の言葉は大人として
ちゃんと言うべきだよ"
一見するとまともなことを
言っているようだけれど
私の本音は
"私の期待した通りの言葉を返して
私の心を満たしてよ"
ということだったのだ。
感謝の言葉がどうのこうのというよりも
"とにかく私の心を満たして私のことを
幸せにしてよ"
と言いたかっただけ。
感謝の言葉の有無で左右される
脆い幸せなんて要らない。
感謝の言葉の有無によって気分が左右される
なんて疲れるだけだ。
感謝の言葉の有無によって左右される幸せが
偽りの幸せだってことに気づこう。
感謝の言葉によって苦しみや不平不満を
誤魔化そうとするのではなくて
苦しみや不平不満を取り除いていくために
生き方を変えていこう。
そうすればもう感謝の言葉に依存する必要が
なくなってしまうから。
感謝の言葉はもらえれば嬉しいものだけれど
幸せになるのに必須のものではない。
感謝の言葉は言いたい人が言いたい時に
自己満足で言うものだ。
ただそれだけのものであって
自分の幸せとは関係ない。
感謝の言葉を強要しないで済むような
生き方をして本当の意味で幸せになって
いこう。
感謝の言葉を見返りとして求める言動なんて
もうやめよう。
感謝の言葉をもらえようがもらえまいが
それでも自分はやめないよ、
そう言えるようなことをやっていこう。




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