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役に立つってそんなに大切なこと?

役に立つってそんなに大切なことなの?

ずっと役に立つことをしなければ
胸を張って存在することができないような
気がして役に立とうとして生きていた。

そして自分が
"これをすれば役に立つことになる"
と思い込んでいたことをやって
生きていたけれど

役に立とうとすればするほどに
生き方が自分らしくなくなっていき
自分を見失い

期待した反応を要求して
自分勝手になっていくばかりだった。

私が役に立とうとしてやっていたことは
あくまでも私自身が

"これをすれば役に立つことになる"

と考えていたこと。

でも人によって必要なものは
異なっているわけで

それが必要な時もあれば
必要じゃない時もある。

ある人にとっては役に立つことも
別の人にとってはただの迷惑になることもある。

そんなことを考えていたら
役に立つのか立たないのかなんてことに
こだわることが馬鹿らしく思えてきた。

だったらもう役に立とうとすることは
やめてしまおうと思って
役に立とうとすることを諦めた。

その方が見返りを期待して一喜一憂して
疲れるということもなくなって
ずっと楽に生きることができると思ったし

見返りを求めない本物の役に立つということを
することができるようになるとも思ったから。

"役に立とうが立つまいが
私は存在していてもいいのだ"

私自身に対して心からそう言うことが
できるようになった時に

やっと役に立とうとすることを
やめることができるようになった。

そして"役に立たないから"という理由で
これまで選べなかった選択肢を選ぶことが
できるようになり

より自分らしく生きることが
できるようになった。


役に立とうとすることをやめなければ
できないことがある。

自分の道に辿り着くには役に立とうとする
ことをやめなければいけないこともある。

自分らしく生きていただけで
役に立とうとはしていないのに
結果として誰かの役に立っていた

それを経験した時に誰もが生きているだけで
価値があって何らかの役に立っているのだ
ということを知る。

見返りを求める必要のない生き方をする時にこそ自分らしく生きることができるようになり

自分の中にある本当に
生かすべきものが現れてくる。

それは自分らしく生きていれば勝手に
必要な時に必要な人の役に立ってくれる。

だから役に立とうとなんてしなくていい。

そんなの自然の流れを乱すだけだ。

意図してやれば欲に翻弄されることに
なってしまう。

沢山の自己否定や罪悪感や
不安や恐怖を乗り越えて

役に立とうとすることから
自分自身を解放してあげて

本当に選ぶべき選択肢を選んで
本当に生かすべきものを生かしていって
自分の無限の価値を知っていこう。


どうせ役に立とうとしようがしまいが
役に立つ時には役に立つし

役に立たない時には役に立たないし
ただの迷惑になることもある。

だったらもう役に立とうとすることは
諦めて自分らしく生きて

自分らしく生きた結果として
意図せず誰かの役に立った
ということでいいじゃない。


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