寂しくなりに行く
誰も自分を知らないところへ行きたい、という欲求はわたしの中にもうずっとあって、べつに芸能人でもないしそんなのは新橋にいたって品川にいたって常に叶ってはいるのだけれど、とはいえ新橋なり品川なりで生きていると、あまりにも周りが日常の自分に関係のあるもので溢れすぎていると感じる。それだからもうここ10年か15年くらいずっと、休暇にはなるべく自分の生活圏から遠く離れた、あまり人のいない土地を選んで旅をする。自分がどことも接続していない感覚を得るために行く。旅は基本的にはひとりだ。誰か体験を共有できる同行者がいたらそれはそれで楽しいだろうと思うが、わたしはすすんで寂しくなりに行っている。
ひとりで行くのにはもうひとつ理由がある。ふたり以上の集まりがあると、そこには絶対に役割が生じてしまう。働く方と働かない方。特に物理的に体を動かす事柄について、わたしは働かない方の役割に安易に落ち着いてしまう。運転しない方然り、調理をしない方然り。これは何よりもわたし自身の甘えが問題なのだが、わたし以外の人が気を遣ってくれたり、むしろ被害を受けないために買って出てくれたりといったこともかなりある。こんなだけど一応、こういうの、日ごろから良くないと思ってはいるのだ。いつまでもできないままでいいわけない。
だからひとりがいい。最初から自分しかいないなら、全部自分でどうにかしないといけない。できないとか苦手だとか言っていられない。やってもらってばかりで負い目を感じることもないし、引っ張る可能性があるのは自分の足だけだから、最悪、そのへんで勝手にどんくさいウロボロスになり果てるだけで済む。
周囲との接続を切るというのには、そういう狙いもある。だいぶレベルの低い話をしている。でも、「しばらく放っといてもらって自分のペースでやらせてほしい」って思うこと、あるでしょう。
自分のような虚弱な人間でもまだ学生のころはそれなりに体力があって、時間もあって、一方でお金はまるでなくて学食で一番安いコロッケバーガー(当時はたしか150円くらいだった)でなんとか繋いでいたくらいだったから、旅となったら青春18きっぷや夜行やフェリーの2等なんかを乗り継いで、やや不安な宿にも泊まったものだ。さすがに最近はもうその元気がなくて、しかもたいていそういう旅は夏にするのだけれど、ここ数年の夏の酷暑では下手をこくと本気で命にかかわる。幸いなことにある程度稼いではいるから(独り身だからというのもある)、結果、まあまあのお金をかけて、快適に寂しくなる旅をするようになった。
つい数日前に今年の夏の休暇の旅程を決めた。何か特別な目当ての土地がほかにない場合、わたしは毎夏北海道へ行くことにしている。北海道は何度行っても行き足りることのない土地だ。でかすぎるから。昨年は札幌、定山渓、小樽、ニセコあたりをぐるっと回った。一昨年は登別、洞爺湖。もう少し遡れば函館にも稚内にも留萌にも釧路にも網走にも行っている。観光らしい観光はなく、毎日、次の町へ向かうことを旅の主目的にする。寂しさを維持するには、同じ場所に居続けないことも大事だったりする。今年は道東を攻める予定で、それもまたそのうちnoteにも書きたい。
まあ前述のような長距離移動の旅はさすがにカロリーがかかるから、そんなに頻繁にはできない。それで最近は東京からそこまで距離はないなりに、なるべく日常から切り離された感じのある土地を探して一泊旅をするようになっている。条件にあてはまるのはだいたい、町からは距離のある海の目の前、または山の中になる。行けて伊豆、箱根あたり。先日は初めて観音崎に行った。よくドーミーインでお世話になっている共立メンテナンスがそこにグランピング施設を構えていると知ったからだ。
神奈川県がその片脚を東京湾に突っ込んでいる、かかとのでっぱりの部分が観音崎だと思えばだいたい合っている。
面しているのは東京湾だが、新橋なり品川なりから見える東京湾とは印象が違う。景色は拓けてはいるけれど、アクアラインやらスカイツリーやら人工物が遠くの水平線近くのブルーグレーの中にうっすら見えるから、なんだかにぎやかで、海にしては心細くない。船の航行も多い。それはまあ当然か。東京からどこかへ向かう船は必ず観音崎の前を通る。
グランピングエリアには裕福な家の親が買い与える小綺麗なおもちゃみたいなトレーラーハウスがすこしずつ距離をあけて何軒か立ち並んでいた。テラスにはハンモックがあって、明るいうちはほぼそこで寝ていた。屋外で無防備に寝ることも、観音崎へ行ったらやりたいことのひとつだった。日が傾いてきたころ、宿のスタッフさんから声をかけられて、そこからは見る間にバーベキュー用のコンロと食材がセッティングされた。トレーラーハウス滞在中に接するのはごく少数のスタッフさんだけで、それが本当に気楽だった。
グランピングは人生初だったが、本当に自力で何もすることなく、それでいて気分はしっかり味わわせてくれるからすごい。ついさっき、自分の力でどうにかしたいという話をしたばかりなのに、真逆のことを書いている自覚はある。でも、人間、やってきていないことがいきなりできるようになるわけもない。まずは小さな成功体験から。わたしがどれだけ手際悪くちんたらと肉を焼いていても、誰かを苛つかせることもないのは心からありがたかった。
スタッフの方の手によって焚き火が起こされて、テーブルの上にはマシュマロが用意されていた。さらにトレーラーハウスにはスノーピークのコーヒーセット一式が準備されていた。抜かりがない。キャンプといえば、の本当にハイライトの部分だけを味わわせてくれる、キャンプの総集編だと思った。
焚き火の前に椅子を置いて、なんにもせずぼうっとするだけの時間がそれなりにあった。近くのトレーラーハウスからたまに子どもの声が聞こえてきて、自分がひとりきりであることを再認識する。そろそろ寝ようと言い出す誰かもいない。温泉に行かないかと誘う誰かもいない。明日何時に出ようかなんて相談もない。これからのことがなんにも決まっていない、その寂しさが心地よかった。
本物のキャンプでしか味わえない、自分自身で時間や手間をかけるからこそ得られる喜びなんかは絶対にあるはずで、ヒールサンダルなんか履いてこういうリゾートをお手軽にちゃらちゃら楽しんでいる自分は、キャンプというものの魅力の上澄みだけをさらう邪道そのものなんだろうなと思う。キャンプを愛している人には顔向けできない。楽をしてごめんなさい。それでも、本物のキャンプなど今後絶対にできないだろうわたしのような人間でもこうやってキャンプ的なものの楽しみにアクセスできることを感謝したい。周囲との接続を切りたい、と思ったときに、それをある程度しっかりと叶えられるのがソロキャンプだと思ったから。
当たり前だが、あれだけ至れり尽くせりのサービスだったためお値段はそれなりにした。悔いはない。とにかく晴れてよかった。東京から1時間程度で行ける、ラビスタ観音崎テラス、おすすめです。ドーミーインと同じ系列だから当然夜鳴きそばもある。今回わたしはバーベキューでかなりおなかいっぱいになってしまったから、さすがに夜鳴きそばまでは手が出なかったのだけれども。温泉もよかった。そのうちまた泊まりに行く予感がする。
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