ギークなビール好きの怠惰な日常
ビールが好きだ。
コンビニに行っても妙に種類があり、1つ1つで微妙に味が違う。麒麟派?アサヒ派?サッポロ派?・・・ビールのスタイルは同じピルスナーなのに、日本には大きな派閥がある。ビールを付き合いでも口にすれば、飲み会の流れで自分の支持派閥を表明しなければいけない風習もあり、誰もが何かしらの支持先を持っている不思議な飲み物だ。
しかも飲んでみると絶妙に棲み分けがされていて、しっかり味の違いがあるのも面白い。
しかもビールは奥深い。
ピルスナー(いわゆる「とりあえず生」と頼むと出てくるビール)だけでも、絶妙に人の好みを刺激して派閥を生んでいるのに、さらにクラフトビールというジャンルが出てきて、そこには多種多様の味が繰り広げられていて、派閥も組めないほどの複雑な世界が広がっている。
前置きが長くなってしまった。
そんなビールについて、奥深い世界についてボソボソと解説してくれる不思議なオヤジがいた。いつも酒を飲み飲まれながらビールの世界を教えてくれた。
彼が紡ぐ世界は面白い。見知らぬ土地で作られたビールについてなぜか妙に詳しくて、なぜ何のためにどのようにして作られたかを妙に具体的に説明してくる。その説明は妙な具体性のおかげでリアリティを帯びながらも、結局は遠い地での出来事だから妙に御伽噺のようなロマンが含まれている。そのフィクションとノンフィクションの境目のような話はビールの味わいをかなり深いものにしてくれるのだ。
ある日、そんな彼から仕事術について、彼の考えを聞くことができた。不思議なことに彼は急に何の前触れもなく、唐突に話し出した。
普段から飲んだくれている彼だからなのだろうか。急に酔いが回ったのかもしれない。いや普段から回ってるから、単に彼の気まぐれでしかないのか、それか何かいいことか悪いことか何かしらが起きたのかもしれない。
彼の知識というものは本物のようだった。行動力に裏打ちされた現場の知識。遠い地まで赴き集めたリアルな知識のようだった。
ただ、彼はいう。そんなことは大して重要ではないと。大切なのはちょっとした気遣い。ビールというなくても生きていけるものわざわざ金を払う人へのリスペクト。そのリスペクトをどう伝えるのか、それが大切なんだと。
一人静かに味わう空間を提供するのか、そこに気の利いた一言を添えるのか、何か謎めいた、ビールの向こう側に見える世界に連れ込むのか、相手はどうしてその一杯を飲んでいるのか、そこに気を向けアシストをする、それが一番大切なんだと。
酔っ払いの単なる自分語り、そう言うこともできるだろう。だけどあの夜、彼が話したことは、御伽噺の世界ではなく、彼が見つめる日常が切り取られているようで妙に忘れられない。
ビールには喉越しが求められることが多い、最初の一杯目という役割が大きい。何も考えずに惰性で注文されることが一番多い飲み物だ。だけど、そこに人が介在し価値を与えることで、そのビールは特別なものとなり、ビールの向こう側には景色が広がるのだろう。
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