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看護職が大学院へ行くということ

「あなたはなぜ大学院に行きますか?」

理系ならば何となく大学院に行って修士をとってからが本番、という分野も多いだろう。

看護に関して言えば、大学院に行く人は相当なマイノリティで、特に学士からそのまま大学院に進学する人はキング・オブ・マイノリティだ。私も数年働いてから大学院に進学した。

ここからは、私がなぜ大学院に進学したかを振り返る。いわゆる「学問を探求したい!現場の疑問を解決したい!」という純粋な動機ではないので、不快に思われた方はそっとブラウザを閉じていただきたい。

私は、学生時代から大学院の存在は知りつつも、最初から進学なんてことは考えていなかった。

ただお世話になった大学の先生が大学院の研究の話をしている姿が生き生きとしていて、きっと大学院も行ったら行ったで楽しいだろうな、という漠然としたイメージしか持っていなかった。

そして、保健師として働くこと数年。それなりにやりがいを感じているし、休日はしっかり休めて趣味も楽しめる。

ただ何となく気づいた。このまま安泰な人生で多少の凸凹は経験しつつも、凡人として一生を終えていくんだろうな、と。

これまで安定志向で生きてきた自分に、急に嫌気が差してくる周期のような時間があって、このままでいいんだろうか、自分の人生は、と考えることが次第に多くなっていった。

そんな時、お世話になった先生のことを思い出した。彼女は本当に輝いて見えて、研究のこと、看護師時代のこと、人生のこと、様々なことを学生の私に教えてくれた。

私もそんな教員になりたい。大勢の人の前で話す自分を想像すると、少し承認欲求が満たされる気分にもなった。

保健師は看護師と違い、患者の入院から退院という一つのゴールはなく、住民の生活(人生)にそっと寄り添うイメージを持って業務にあたっている。

住民から「ありがとう」と感謝されることはあり、その時こそやりがいを感じるのだが、いかんせん成果が見えにくい職業でもある。

私はどこか満たされない気持ちを埋めようと、大学教員という職業にすがっていたのかもしれない。

大学教員になるためにはどうすればいいのか。お世話になった先生を訪ねてみた。

看護系の場合、少なくとも看護職としての経験が3年、そして大学院修士を修了していることが要件であることを教わった。

しかし、看護の世界は良くも悪くも経験がモノを言う世界。できれば5年以上勤めてから教員になりなさい、と助言をもらった。

この時すでに保健師として3年目。

私は手っ取り早く家から近い大学院を探し、門戸を叩いた。(幸運にも)人柄の良い先生で、私の専門分野の話を親身になって聞いてくれ、研究計画に「面白い」と相槌を打ってくれた。とても嬉しかった。

この先生の元で学ぼう、と決意した。しかし保健師を辞めるわけにはいかない。なぜなら経験年数5年まであと2年ある。

収入だって失いたくない。奨学金を満額借りていたため、返済が滞るわけにはいかないし、将来に備えて貯蓄したい、という安定思考が働いた。

大学院は場所によるが、看護系は働きながらの進学を許可してくれる「社会人入学制度」を掲げている。

私は職場にも相談し、働きながら大学院に行くことを選択した。

大学院の修士2年間の話は、また機会があれば書いてみようと思う。働きながらの研究は本当に血反吐が出るほど大変だったが、仲間に支えられ、とても充実した2年間だった。

ただもうあんな辛い思いは2度と御免、博士課程なんて絶対に行かない、と思っていたのに、あれから4年後、私は大学院博士課程に進学するのだった…。

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