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祖母が死んだ時の話

こんばんは。今日もお疲れ様です。

なんだか毎日があっという間に過ぎて行きますが、いかがお過ごしでしょうか。

私は博論もひと段落し、やっと落ち着くかなぁと思っていましたが、何やかんやで多忙な毎日。

今年度からシラバスを作るようになったんですが、今は来年度のシラバスの第三者チェックを経ての修正に追われてます。

さてさて、そんな忙しいときに限って、何だか昔の自分が何を考えていたか気になり、mixiを開いてみました。

すると、大学生の時の未熟な自分の恥ずかしくなる黒歴史日記がざくざく出てくる(笑)過去の自分に共感性羞恥。

ほとんどがふざけた言葉遊びみたいな日記なんですが、珍しくまともな?日記がありました。

私が看護職を目指す要因の一つにもなった、祖母が亡くなった時の話を書いたmixi日記が出てきたので、原文のまま転載します。

祖母を亡くしたのは中2の時で、この日記を書いたのは大学2年です。

noteのタイトルも当時のものをそのままつけました。

ご笑覧ください。


なぜか眠れないので、昔話でも一つ。


中学生の頃、僕は両親と兄、そして祖母と5人で暮らしていた。

いわゆる2世帯住宅で、一階におばあちゃんとおじいちゃん、二階に僕ら家族で住んでたが、おじいちゃんが小学生の頃に亡くなってからおばあちゃん一人で一階に住んでいた。

(ちなみにおじいちゃんはアル中で、手を振るわせながら良く怒鳴っていて怖かった、正直、死んだ時は少しホッとした)

おばあちゃんは昔から料理が上手で、母さんの代わりに作ったりもしていた。


僕が小さい頃から、おばあちゃんの料理で特に好きだったのが、「サツマイモのミルク煮」。


サツマイモの皮を剥いて、ミルクで煮てハチミツやら砂糖で味付けをするあま~いオヤツだったんだけど、牛乳嫌いな僕でもどんどん食べれちゃう大好きな料理だった。


美味しそうに食べる僕を見ておばあちゃんは満面の笑みで「毎日作ってあげるからね」と言って、本当に少学校から帰った僕に毎日差し出してくれた。


でも、人間というのは飽きる生き物。

だんだんミルク煮の味に飽きてきてしまった僕だったけど、何となく気を遣って食べていた。


でも、中学生になって2週間くらいして遂に、ミルク煮を「ゴメン、もう食べれないかも」と言って残してしまった。


おばあちゃんは「どうしたの?具合が悪いの?」って聞いてきて、僕は適当にお腹の調子が悪いと言って返事をした。


次の日。やっぱりイモのミルク煮が出てきた。そして僕は、また残した。


おばあちゃんは気付いたんだろう。ちょっと寂しそうな複雑な顔をして、黙ってお皿を台所に持って行った。


僕はなんとなく気まずくなって、自分の部屋に戻った。


次の日からイモのミルク煮は出てこなくなった。





それから1ヶ月と半月くらいして、おばあちゃんのパーキンソン病が進行し、ついに入院することになった。


おばあちゃんは少し神経質な性格だっため、たまにちょっと高い個室を借りて入院生活を送った。




入院してしばらくしてから、僕は急にあのミルク煮が恋しくなって、お見舞いに行く度に「またあれ、作って!」とおねだりした。


するとおばあちゃんは嬉しそうに笑って「しょうがないねぇ、退院したらまた作ってあげますよ」と言ってくれた。

看護師さんもそんな光景を見て会話に参加してくれたり、微笑んで見守ってくれていたりしていたと思う。

そして、1年くらい経った中学2年の5月、おばあちゃんが一時的に退院することになった。


一時的とはいえ、またおばあちゃんと暮らせる事が嬉しくて嬉しくて、その日はいつもより早く病院へ行った。


そしておばあちゃんは夕方頃、病院から我が家に帰ってきた。

キッチンを見て、「明日学校から帰ったら何か作ってあげますね」と僕に言った。

もちろん、ぼくは「サツマイモのアレね!」と言った。久しぶりに食べるおばあちゃんの味が楽しみだった。





次の日の朝。




一階で響く、母の声。



「お母さん!お母さん!」母親が震えた声でそう叫んでた。


朝早く、寝ぼけていた僕だったが異様な雰囲気にすぐに起き上がり、一階へ。


すると、お風呂場で横たわっているおばあちゃん。


その顔は青白く、中学生の僕でも一目で亡くなっていることが分かった。

後で聞くと、キレイ好きなおばあちゃんは深夜にお風呂に入ろうと浴槽にお湯を入れにきて、ちょっとの段差で転倒して頭を打ったそうだ。



そのままふらふらと二階に戻り、布団の中で丸くなりながら、人生で1番泣いたと言っても過言でないくらい、泣き続けた。




夢であって欲しかった。受け入れることができなかった。


その日は学校を休み、疲れ果てるまで泣いた。


結局、お通夜が始まっても現実を受け止めることが出来なくて、兄や従姉妹と一緒に泣き続けた。一生分の涙を流したかと思うほど。


そして、やってくる後悔。


毎日作ってくれたイモのミルク煮を残した。


今となっては食べることはできない。

食べればよかった。
食べればよかった。

何度後悔しただろうか。


次の日、母にその事を伝えた。

すると母は「じゃあお母さんが作ってあげる」と言って、イモのミルク煮を作ってくれた。



微妙に違う味。でも、美味しいし、とても嬉しかった。




おばあちゃんが隣で微笑んでいるような気がした。








ありがとう、おばあちゃん。

おしまい。

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