日記687 朝に目を覚ます理由
5月6日(月)
さいきん小学二年生の甥が携帯電話を買ってもらったらしい。機能は電話とSMSだけ。それで朝、「おはよう」と短いメッセージがくる。毎日。使いたくて仕方がないのだ。きっと不器用にこの四文字を打っている。ぽちり、ぽちりと。素朴な平仮名の四文字から、たどたどしい仕草が浮かぶ。
ここ数日は生真面目に返信を書いていたが、ふつうに返信をしても文字ベースだと会話にならないことがわかった。きっと読み書きの能力を要求しすぎてもストレスになる。だから、この日は「ウホホッ🐙」と返信を打った。
すると水を得た魚のように絵文字の連打がきた。サルの絵文字だらけの画面。たどたどしさが一気に消える。興奮気味に連打したのだろう。仕方がないから「プリッ🍖」と書いて送った。仕方がない。仕方がなかった。
仕方がなかったとはいえ、こうした無意味なやりとりこそが純粋なコミュニケーションだとも思える。これぞ真のコミュニケーション能力である。なんにも考えなくていいんだね。とくに意味の通ることばに辟易しているときは癒される……。
甥から送られてくるものは、「おはよう」以外ほとんど絵文字だけ。なんの意図も脈絡もないものがワーッとくる。すこし困惑する。いや思えば、わたしも脈絡のない絵文字を文末に置いてよく送る。「こんにちは🐧」みたいなふうに。動物などの絵文字を内容とは関係なくつける。そのほうが楽しいからだ。小学生的な感性の為せる技なのか。でもいちおう文面は書く。おとなだから。いちおう。
絵文字だけが敷き詰められた、ことばのないメッセージ。これはなんなのだろう。情報伝達以前にある、何かを発信したい衝動というか。純粋な欲望なのだと思う。理由はたぶん、楽しいから。毎朝毎朝。
ビット数の無駄遣いといえばその通り。あきれるほどたくさんのサルの絵文字から伝わる情報があるとすればたったひとつ、「楽しさ」のみだった。それはすなわち、彼が朝に目を覚ます理由でもある。
はじめに衝動があった。おそらく文字情報で簡潔に説明すれば、「楽しい」と3文字で済むような感情による。でもそんな説明じゃ、いかにもつまらない。ちがうんだ。サル、テレビ、トリ、ウンコ、ウシ、マイクなどの絵文字を画面いっぱいにちりばめてこそ初めて表現できる楽しさがある。
彼なりの範囲でやれる精一杯の「楽しさ」をこちらへ送ってくれた。それに対してたとえば「携帯、買ってもらって楽しいんだね」などと物分かりのいい解釈を当てはめることは無粋だと思う。あなたの楽しさの中に、わたしも入りたい。敬意をもって。入れて、ね。そんな気持ちで、ゴリラとサボテンの絵文字をありったけ送る。
何度目かの絵文字攻撃に対して、こちらから「ありがとう。おはよう🐳」と送った。いきなり。あなたが目覚めるための理由をわけてくれて、ありがとう。この日の応酬はそれでおわり。そして21時過ぎごろ、「おやすみ」ときた。「おやすウホホッ」と返信した。なんにも考えずに。
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にゃん