日記、出川哲朗、不倫と暴力、ちゃん付けと平和

さしみこんにゃくです。母が食べると言って買ってきたのだけど、なかなか食べずに放ってあるんで、いないうちに食べちゃいました。さしみだからそのまま食べたのですが、こんにゃくって調理しないとまずいです。味ほぼなし。よくこんなもん食おうと思えるな。このさしみこんにゃくは、青のりが練り込んであってほんのりその味があとに残るくらい……。わさび醤油でもぐもぐ。

余ったのでどうにか工夫して食べます。

徹子の部屋に出川哲朗さんが出ていて、このひとはもうなんか、すごいと思いました。その邪気のなさ。邪気がなさすぎるなと。もういい歳で、何十年も芸人やってたら、さまざまな経験をしているでしょうに、まだ無邪気。イヤな経験もして、イヤな人間もたくさんみてきたでしょうに、まだ無邪気。もちろん、きょうみた出川さんがすべてじゃないけど。「裏」をいっさい感じさせない。

出川さんは、なにを言うにも、するにも怯えがない。いや、内心あるんだろうけど、それをまるで感じさせないんだ。ほんとどこにも屈託がないし、なにか悟ったような、知ったようなことも言わないし、出川さんはきっとお会いしてもテレビのまんまだ。出川哲朗は、出川哲朗なんだなー。そう思わせてくれる。みていて気持ちがよかったです。

ひとには、いろいろな顔があります。家族のまえのじぶん。ともだちのまえのじぶん。恋人のまえのじぶん。学生なら、学校でのじぶん、塾でのじぶん、部活でのじぶん、バイト先のじぶん。など。働いているひとなら、同僚のまえでのじぶん、上司のまえでのじぶん、飲み会でのじぶん、取引先やお客さんなんかと話すときのじぶん。いろいろある。家族のなかだって、父のまえのじぶん、母のまえのじぶん、兄弟のまえのじぶん、少し変わる。

いろいろあっていいし、それが当たり前だと思うんだけど、出川さんは、テレビのまんまで、あれしかないんじゃないか。その点に、狂気を感じる。たぶん、テレビなんかの表舞台で、精神も病まず、長いこと気持ちよく活躍できるひとって、じぶんがひとつしかないってひと多いんじゃないかな。そういうひと、テレビ向きだと思う。

隠し立てするような裏があったら、病んじゃいそう。でも伊集院光さんみたいに、ウラとオモテを思いっきり使い分けることに長けたひともいますね。ラジオとテレビで。タモリさんみたいに、ミュージックステーションとタモリ倶楽部でちがう側面をみせたり。

そう考えると、両極端だと思えてきました。テレビで長く活躍できるのは「どこに置かれてもじぶんがひとつしかないタイプ」か、「ギャップのある顔を媒体や番組に合わせてつかいまわせるタイプ」か。あるいは、もうひとつあるかも。「どこにも“じぶん”なんか出さず、ぜんぶ演じるタイプ」。

べつにこれ、テレビに限らないかなという気がしてきましたが……。うーん。わたしなんかは、顔をつかいまわすのは苦手で、しかしそれほど強い“じぶん”というものも持っておらず、かといってすべてを演じ切る気概もなく、ぐだぐだなんですよね。人格が。ぐだぐだなんですよ。人格が。ぐだぐだなのが、テレビ向きではない一般ピーポーである証なのかも。

ともあれ、きょうの徹子の部屋の出川さんはよかったです。こんなに出川さんについて考えた日は、人生で初めてです。出川さんが、おひとりでトーク番組に出るようなことはあまりないので、珍しい部分がみれました。出川さんかっこいい。いい出川さんでした。

そんで祖母とやすらぎの郷をみて(姫が死んじゃってかなしい)、そのまま流れでワイドスクランブルをみていたら、おもしろい相違が発覚しました。

不倫疑惑のある議員と、秘書への暴言暴行をはたらいた議員が番組内で比較されていたんですね。それで、「どちらが議員を辞めるべきか?」と、祖母にたずねられたんです。わたしは、「不倫はどうでもいいけど、暴力はよくないよ」とこたえたのですが、祖母に「不倫のほうが悪いわよ!」と突っぱねられて、ははーと。ははーと思いました。

これ、男女のちがいなのか、世代のちがいなのか、両方あるのか、どういった相違か、一般化できるのかもわかんないけど、おもしろいなーっと思いましたね。わたしは暴力ぜったいよくない!と思っていたので、直接的な暴力には寛容である祖母が意外でした。

そんでこんな研究を思い出しました。

デイヴィッド・バスという心理学者のアンケートで、大部分の男性はパートナーの気持ちのうえでの裏切りよりも性的な裏切りを思い浮かべるほうが心を乱されると回答し、大部分の女性は逆に性的な裏切りよりも、気持ち、感情面での裏切りのほうが心が乱されると回答した、というね(スティーブン・ピンカー『心の仕組み』より)。

肉体的な暴力よりも、感情的な不貞に不快感をいだくのは、女性ならではなのかなー、とか。逆に、物理的な暴力に不快感をいだくのはわたしが男性だから?とか。そんなことを、なんとなく思った次第です。

なんか短めに終わろうと思ってたのですが(いつも思ってる)、長く書いちゃったな。

さいごにどうでもいいけど、羽田孜さんの葬儀の映像で、小沢一郎さんが弔事を読んでいて、ふつうになんの衒いもなく「つとむちゃん」つってて、笑ったなー。つとむちゃんかよ。「つとむちゃん」って呼んでたのかよ。お母さんかよ。おもしろいなー、小沢さん。つとむちゃん。つとむちゃんは小沢一郎さんのこと、なんて呼んでたのかな。

「おざわっち」とか。小学生か。「いちろうちゃん」はないよね。「ニコちゃん大王」とか。ちがうか。似てるけど。「ざわちん」とか。いいかもしれない。ざわちんだな、たぶんな。つとむちゃん、ざわちんの関係だったんだなー。そんな想像。いい関係だなー。国会でもみんな、ちゃん付けで呼べばいいのにね。「総理!」とか呼ぶと、なんかあんまり穏やかじゃないですよ。

みんなが総理のこと、あべちゃん!とか、しんちゃん!とか言えば、もう平和そのもの。抜群の親しみ。安部さん嫌いなひとも、「安部やめろ」じゃなくて、「しんちゃんもうやめて~><」とかそういうノリならギスギスしないよ。わ~い、日本は平和国家なんだな~って実感できます。これが日本が戦後つちかってきた平和の姿なのだな、と。

ついでに他国のトップも、トランプっちとか、「プッチ」でいいね、トランプは、プッチ。あ、プーチンとかぶるなぁ。じゃあ、プーチンは、「うらじー」ね。ひらがなで、うらじーだから。しんちゃん、うらじー、プッチ。あとー……習近平は、ピン子ね。中国語読みで、シー・チンピンだから。チン子でもいいけど。それは悪い。帰りの会で議題にあがっちゃう。先生に怒られる。しーちゃんでもかわいいかな。じゃあ、しーちゃん。

それとー、さいきんお騒がせなジョンウンちゃんね。うーん。「ジョンウンちゃん」は語呂がわるいから、ウンちゃん。どうでしょ。「人造人間19号」でもいいよ。ドラゴンボールの。似てるから。ちょっと長いな。じゃ19号ね。19号さー、拉致とかミサイルとか核実験とかやめてくんないかなー。しんちゃん困ってるんだけどー。みんなで平和になろうよ~☆


はい。すいません。


にゃん