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小説アンソロジー『FFEEN vol.4』に写真を提供しています。

未知との遭遇を謳う出版レーベル「ffeen pub」が note に公開している小説アンソロジー『FFEEN vol.4』に写真を提供しています。

3月2日まで無料公開中です。すばらしい書き手が揃っている、いわゆるところの“有料級コンテンツ”だと思います。というか、1ヶ月だけ無料で読める有料コンテンツです。有料級もなにも、基本的に有料です。しかし、それがなんと、いまだけ無料。奇跡ですね。春には紙の書籍になるそうです。

『FFEEN vol.4』の写真はすべて、ffeen pub 編集人の嶌山景さんが選んでくださいました。わたしは「ほえー」と鼻水を垂らしながらDMに返信しただけです。セレクションの作業、たいへんだったのではないかと推察します。大量にあるので……。せめて、すこしでも楽しんでもらえていたならと願わずにはいられません。そうでありますように。

以下、『FFEEN vol.4』で公開されている各小説について、サムネイルと絡めて薄い感想を書いていきます。


大木芙沙子 「或る男」

サムネはアスファルトに埋まる、ちぎれた紙片。顔のように見えなくもない。ちょうど切手くらいの大きさだった。なんてくだらないものを撮っていたのだろう。これを撮ろうと思えるやつの暇さ加減を想像してほしい。

どこで撮ったのかも覚えていない。もう、かたちをとどめていないかもしれない。きっと溶けてなくなっている。誰にも気がつかれないまま。

短編「或る男」の主人公は俳優でありながら「街中で、誰かに気がつかれたことがほとんどない」という。特徴がなく、つねにどこか「似ている」と思わせる。見る人それぞれの記憶に上書きされて、彼自身の存在は忘れ去られてしまう。

読みながら、自分がブログに書いていたことを思い出した。

「あなたが好き」と言っても、その感情には「あなた」以外の多くのものが含まれている。たまたま想いを流し込める藁人形が「あなた」だった。

https://tadanoniku.blogspot.com/2023/12/1009.html

ときどき思う。ほかならぬその人そのものと出会うことなど、果たして可能だろうか? 出会いは多様な記憶の堆積の上に生じる。すべての出会いは、過去の記憶のトリガーが誘発した再会だと思う。まずは既存の枠組みであなたを解釈せざるをえない。つまり、なにかの似姿から始まる。

たぶん、この見方/見られ方が加速すると「或る男」の主人公のような、虚ろな心象が訪れる。自分の抱える虚しさの一端に触れたような気がした。誰にも顧みられないゴミみたいなものを撮るのは、自画像なのだろう。自分には関係ない特殊な男の話ではなく、人の認知の一側面をデフォルメした話として興味深く読んだ。

ただ、「或る男」は虚しいだけではない。極から極に針が振れるようなラストには唸ります。「ほかならぬ自分」なんて考えは、けちくさいのかもしれない。素敵な短編です。大好き。



矢部嵩 「乾燥機」

空から輪転機が襲来する小説。サムネは多摩川にかかる是政橋。そう言われれば、巨大な輪転機っぽい趣もあるかもしれない。なんか降ってくる感じもある。橋の写真にこんな文脈がつくなんて夢にも思わなかった。

輪転機の攻勢から逃げ惑う焦燥感のなかに、妙なほっこり感も織り交ぜられていて変な気持ちになる。不意のパンチラインも魅力的。「優しい家族さえいればたいていのことにはおつりがくるからね」。そうかもしれん……。

不勉強ながら『FFEEN vol.4』ではじめて矢部嵩さんのお名前を知りました。知らない作家さんと出会えるのはアンソロジーの魅力のひとつです。これから追いかけよう。「乾燥機」、「!?」と思いながら3回読んだ。めちゃくちゃ好き。



小山田浩子 「つ」

サムネはどこかの潰れたレストランだったと思う。崩された壁のあいだから、反射する青空が見えた。癖で、つい鏡面を覗きたくなる。そこになにがうつっているのか。べつに大したものはうつっていないけれど、ぼんやりと鏡映反転のふしぎを見つめてしまう。

この「つ」という小説にも反転のおもしろさがある。境界がていねいになめされていて、気づけば反転している。ぐるっと。なめらかにどっちがどっちかわからなくなる。ひと通り読んだあとも、いったりきたり、きょろきょろしてしまう。いつの間にか知らないところへ連れていかれる。まさに未知との遭遇。



青島もうじき 「筒の脂」

歴史ある晩餐会のひととき。過去からつづく長い時間と、一度きりのその時が混ざり合う。香り立つようで、一文一文が文字通り味わい深い。とてもおいしそう。料理には五感を通じて多くの記憶が埋め込まれている。記憶の交歓みたいな側面がある。そのことを鮮やかに教えてくれる小説。浸れる文章で、ずっと浸っていたいと思った。ひたひた。さいごまで読むと、このうっすら光る空の写真を選んでくださった感覚が詩的な情景としてじんわりとわかる。



鈴木林 「曰く」

あるものはある、ないものはない。と、そう単純にはいかないところが人の認知のややこしさであり、おもしろさでもあると思う。ときにはあるものがなかったり、ないものがあったり。記憶の収支は容易に合わなくなる。余剰と不足が静かに編み込まれた語りかなと思う。鈴木林さんの作品を読むのは2回目。最初は『Tele- vol.3』に入っていた短編、「オクリカンクリ」。こっちもおもしろかった。

サムネは横浜の黄金町を散歩していたとき、ぽつんとひとつだけ余ったような足の風情に惹かれて撮ったもの。調べると、SUZUKIMI(鈴木貴美子)というアーティストの作品の一部みたい(偶然、こちらも鈴木さん)。わたしが通りすがった日は展示が終わったあとだったのか、ひっそり雑然としていました。SUZUKIMIさんのinstagramを覗くと、水面の反射光を利用した美しい作品だったようです。



鴻池留衣 「おはじきができるまで」

キュートでたのしい小説。読むと親しみがわいて話しかけたくなる。「です・ます調」の効果かもしれない。わたしも早生まれなので「クラスの友達大体年上」でした。『おぼっちゃまくん』の茶魔語もときどき使います。親しい人にだけ。のりピー語を使うことさえあります。語学マスターです。

サムネの写真はもうぜんぜん撮ったときのことを思い出せないので、これからは「鴻池留依さんの小説のやつ」として記憶されると思います。地獄で生まれた鬼「もいもい」や、謎の卵から孵った謎の生物「アサゴン」などとともに。愉快な上書きに感謝です。



蕪木Q平 「か炎」

数行読んで、なつかしさがこみあげる。小学生のころ手紙のやりとりをしていた、S君の文章がよみがえってきて。親の仕事の都合で転校が多かったため、仲良くなった友達とはよく文通をしていた。だいたいは1年とつづかない。何年も長くつづいた相手は、S君だけだった。

ただ、S君の文章はとにかく読みづらかった。保管しているなかから1行だけ抜き出すと、不器用な震える筆跡でこうある。

てちゃじんきぐかりがと

たぶんこれは、わたしにしか読めない。ことばを補って翻訳すると、「てっちゃん、ドンキーコングで遊んでくれてありがとう」ぐらいの意味だと思う。

なぜ「じんきぐ」がドンキーコングだとわかるのか。それは、S君とともに来る日も来る日もドンキーコングをプレイした記憶があるから。ボスを倒して、ふたりではしゃぎまわった時間の記憶が読解を可能にしてくれる。

小説「か炎」も、S君の手紙ように読みづらい(dissではない)。意味よりも行為が先んじている。容易に一般化できない一対一の関係をゆっくりと築くように要請される。そういう小説かと思う。「読む」というより「戯れる」つもりで向き合えばきっと楽しい。ことば以前の経験を、ことばを手がかりにたどりながら。読むことは、関係を築くことにほかならない。

もうひとつ思い出したのは、宮沢賢治の『春と修羅』に収められている、「永訣の朝」。(あめゆじゆとてちてけんじや)。このことばの内容は、究極的には宮沢賢治にしかわからない、いや賢治でさえわからないのかもしれない。深く個別的な声が繰り返される。「か炎」が目指すものとも、似ているのではないかと感じた。

蕪木Q平さんの「か炎」という作品は、個人的にS君の手紙と重なって、いとしい。とても。サムネの話はまあ、いいか。



岩倉文也 「CONTINUE?」

小説を読んだあとにサムネを見直すと、薄暗いゲームセンターに灯る筐体の光がイメージされる。光の手前が草の生えた空き地であることにも意味が宿る。あるものとないもの、現実と幻想が交錯する。小山田浩子さんの「つ」がぬるぬる交錯するのに対して、岩倉文也さんの「CONTINUE?」はズバッと交錯する。確信的に。あんまり書くとネタバレになりそう。わたしとしては快い読後感でした。好き。



さいごに


さいごに ffeen pub 編集人の嶌山景さんによるエッセイも載せておきます。

朝吹真理子「TIMELESS」を読みながら考えたこと ‐ PEDES


「TIMELESS」の記事、僭越ながら感性がすこしだけ自分と近いような気もして、おもしろかったです。

改めて、写真を選んでいただきありがとうございました。わたしのような謎の人間に声をかけるのは、おそらく勇気のいることだったでしょう。ちょうど私事で気分が落ち込んでいたタイミングに嶌山さんからDMがきて、その蛮勇にずいぶん救われました。

ffeen pub 立ち上げの経緯もまた、蛮勇に満ちています。OMSBのライブに感化され「ほとんど何の見通しもないまま、執筆依頼のメールを送り始めたのでした」という。嶌山さんはとてつもない蛮勇で人々を引き寄せる、蛮勇引力の持ち主だと思います。

『FFEEN vol.4』はお世辞抜きでぜんぶおもしろいです。じつはそんなに小説を読むほうではないため的外れな感想を書いていそうですが、楽しんだことは確かです。未読の方は気になったものだけでも読んでみると、なんか拡張されるかもしれません。ぐいっと。





にゃん