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吉澤嘉代子 3rdフルアルバム『屋根裏獣』別の世界への旅行にようこそ。

【屋根裏獣の曲には主人公がいます。性別があり、年齢があり、人格がありますが、肉体だけがありません。ぜひ、皆さんのからだをお貸しください。別の世界への旅行を楽しんでもらえたら嬉しいです。 】(『屋根裏獣』のギター弾き語りブックの序文より引用。)

2017年3月15日発表の吉澤嘉代子3rdフルアルバム『屋根裏獣』は、本人が初期3部作の集大成と位置付けているように、インディー時代の1stミニアルバム『魔女図鑑』からのキャリアを総括する作品となっている。これまで数々のコンセプトアルバムを作ってきた吉澤嘉代子だが、本作は集大成にふさわしく「物語」がテーマということで、コンセプトアルバムという形式そのものの本質に迫る内容になっている。

開始早々、“ユートピア”とは思えない恐ろしい音の弦楽器が鳴り響き、本作の主人公は市民プールから物語の世界に落ちていく。この曲をプロローグとして、2曲目からはその物語の世界を中心に市民プールから人魚へ → 海が見えるカフェテリア → 喫茶店に集まる中学生 → 恋心を抱く少女 → 家族を殺して家出を実行する子供たち → 夫を殺してタクシーに乗り込む妻 → 辛すぎる地獄と、それぞれの物語が連想ゲーム的に並べられているのだが、曲間の編集により、まるで自分がいつページをめくったかわからないように、全ての物語が「シームレスに繋がる」構成になっている。そんなアルバムの構成を象徴している1曲が“地獄タクシー”である。

妻が殺害した夫の生首をカバンにつめてタクシーに乗り込むと、運転手から「貴方、もう地獄に落ちてますよ」と宣告される。場面が変わると、この事件はすでにニュースになっていて世間を騒がせている。「(こんなニュースは)俺にはまるで無縁の話だが」といった様子の男がタクシーに乗り込むと、ふと今朝の記憶が無いことに気付く。すると、運転手から「貴方、もう地獄に落ちてますよ」と告げられる。男は女に殺害された旦那だったのだーーこのストーリーを1stヴァースでは妻、2ndヴァースでは夫と、登場人物それぞれの視点から語っていくのだが、視点の切り替えを曲の展開や歌声はもちろんのこと、ライミング(リズム)の違いで表現しているのが面白い。この部分に限らずだが、全体を通して今まで以上にリズムアプローチが多彩になっているのは、本作の前にリリースされたミニアルバム『吉澤嘉代子とうつくしい人たち』での岡崎体育とのコラボを経た、順当な進化と言えるだろう。

この楽曲の中で描かれている“殺人事件の真相”はハッキリ明言されておらず、本作のツアーである『獣ツアー2017』の中で披露された寸劇や、本人談によれば「愛するあまり殺害してしまった」と説明されているが、この曲だけ聴いて判断するなら、夫の方も運転手から地獄行きを宣告されているため、なんらかの過失があったのでは?と想像できる。いずれにしろ、この事件には聴き手が想像を膨らますことが出来る余白があり、それはそれとして楽しめるのだが、注目したいのは「なぜ2人が地獄タクシーに乗る羽目になってしまったか?」ではなく「いつから乗っていたか?」である。

この曲の夫婦は運転手に言われるまで、自分たちが地獄タクシーに乗っていることに気付かない。1曲目の“ユートピア”で、主人公がなんの変哲もない市民プールから物語の世界に落ちていくように、現実とフィクションは常に隣り合わせで、その境目は曖昧である。そして、厄介なことに、現実の世界では自分がどこへ向かっていて、どこにいるのか、教えてくれる運転手はいない。私たちはいつだって、現実からフィクションへ、フィクションから現実へ、知らない間に行ったり来たりを繰り返す。そう、まるで、ぶらんこ乗りのように。

「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませのね」
「ぶらんこのりだからな」
だんなさんはからだをしならせながらいった。
「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」
と手をにぎり、またはなれながら、
「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてなきなこととおもうんだよ」
(いしいしんじ著『ぶらんこ乗り』より引用)

このアルバムの物語の登場人物たちはそれぞれ人に言えない秘密や罪を背負っていて、現実世界では非難されてしまうような人たちかもしれない。しかし、物語はいつだって、そういう人たちに優しい。登場人物たちの罪を受け止めるように“ぶらんこ乗り”が歌われ、そのぶらんこに乗って、物語の世界に落ちていた少女は現実の世界に帰ってくる。

物語やフィクションは「ここではないどこか」に逃避出来る装置だ。しかし、逃避のためだけの物語やフィクションは、ひどく味気ないものに思えてしまう。物語やフィクション、つまり芸術が美しいのは、違う世界に行き、違う世界の視点から現実を眺めることで、現実の世界を変容させることが出来る武器だからだ。このアルバムのエピローグ“一角獣”で、物語から帰ってきた少女は言葉を武器に現実と闘うことを決意する。その決意は現実とフィクションの間を行き来して、その2つの世界の架け橋になる、優れたぶらんこ乗りになるということではないだろうか?そう考えると、この“一角獣”の舞台が、あちら側でもこちら側でもなく、その中央で宙吊りになっている「橋」なのはとても象徴的だ。

橋の下からは一角獣の鳴き声が聴こえてくる。これはフィクションだろうか?時にフィクションは現実の真実では太刀打ち出来ない本当の真実を教えてくれる。一角獣の鳴き声、そのふるえを言葉にして、あなたに会いに行かなければならない。このアルバムは命がけで手を伸ばしている。その手を掴んでみてほしい。きっと、別の世界への旅行はそこから始まる。

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