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【短編】二月のころ


 私たちの間に子供がいないから、私たち夫婦には、どこか未だ子供っぽいところがあるのだろうか。
 四年ぶりに東京に大雪が降った。昼から降りだすそうですよ、と会社の隣の席の後輩の女性に教えてもらう。
 その日の夕方は、友人の家に呼ばれて食事をする予定になっていた。慌てて予定の変更を申し出ると、大丈夫ですこのくらい、ぜひ来てくださいと返信がきた。彼が北海道出身だったのを忘れていた。北国の人ならぜんぜん平気に違いないのだろう。
 どうして、人間は見慣れた風景がとつぜん全く変わってしまうと驚くのだろう。会社を出て、目の前に広がる雪色の景色を見て、そう思った。妻にやっぱり食事に行くことにしたと連絡すると、転ばないように気をつけてねと返ってきた。
 友人宅に行った。食べた。話した。
 帰宅した。妻は、ソファに寝そべってタブレットを眺めていた。
「お帰りなさい。何の鍋を食べたの?」
「ただいま。ラムしゃぶしゃぶ鍋」
「初めて聞いた。ローカル料理?」
「いや、ローカルはローカルだけど、道民の誰もが食べてるわけじゃあないみたい」
「じゃあ、家庭の味?」
「とりあえず、友達の家では食べていたみたい」
「おいしかった?」
「うん。ラムはラムだ」
 妻の質問はそこで終わった。料理にとって、おいしい以上に必要な要素があるだろうか。ない。私も妻と同意見だった。
「でも注意しないと。ラム肉のクセのある香りがダメな人はダメだと思う」
「実家の秩父も羊を食べるから平気」
「初めて聞いた。知らなかった」
 私たちは一緒に暮らして十年も経つのに、まだまだ知らないことがある。
「ラムチョップ食べたい」
「この話の流れでラムしゃぶが食べたくなるんじゃないんだ」
「ふふ」
 妻と、こうして話すのは格別の楽しみだった。
 誰かと、知らない事柄や目の前にある事物の印象について、輪郭をなぞるようにして言葉をだしあう。そうしてその結果、お互いの考えかたが変わったり、片一方の意見にのまれたり、衝突したりする。その縷々細々を記憶していくことが、他人と関係することの正体だと思う。
 いや、でも、さらに、本当は特に意味のないような会話も関係を形成するのに必要だと思う。
「アイス食べる?」
「何味?」
「抹茶」
「食べたい」
 私は、買ってきたアイスを妻に渡した。
「友達とは何を話したの?」
「春になったら実家に帰るという話」
「さみしくなる?」
「さみしくはならない。別に死ぬわけじゃないし」

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