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絶対損するからどうか楽しようって思わないで欲しい人

私の職業人生活の始まりは日帰り温泉でした。政治からも注目される氷河期世代で、なかなか就職決められず、地元を散歩していたら温泉があり、入ったですよね
めちゃくちゃ気持ちイイ!! ってなったんです。
で、こういうところで働くのもいいかなと思ったんですよ。
父親も旅行会社で、サービス業つながりじゃん、とか思ってね。
で、会社のWebサイト見たら社員募集してて、面接して、受かって、入りました。
あー人生不思議。
そこではアルバイトの人たちの管理(60人くらいいた)で苦労したり、
そこでは会社の鍵をなくしてオープンできないかも騒動が発生したり、
社内恋愛もしましたし、
テレビ局の撮影に付き添いしたり、
テレビ局に盗難事件をスクープ扱いされたり、
広告のポスター作ったり、まあ大変でした。
でもね、そこのオーナーは地元の昔からの地主、不動産屋で、ボーナスもよかったしけっこう給料面ではうれしかったし。どんくらいそのオーナーにパワーあったかっていうと、むかし郵便局の場所として自宅を貸し出してたくらいですね。そう、郵便局。
ということで無名人インタビュー始まります!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 智子 さんです!


現在 : せめて人らしく生きたいな。「筋は通す」っていうのが多分これ、自分にとって大事なことなので。

のの:このインタビューどのようなインタビューにしていきましょうか?

智子:私42歳なんですけど、これからの自分にとっての生き方、令和になり2020年の後半に差し掛かってきているんで、時代もやっぱ変わってきてるんですけど。それで自分が心がけているものと、今見つけてきたものを照らし合わせて生きていきたいなみたいなそんな感じですかね。

のの:ありがとうございます。具体的には何をしたいとかあったりするんですか。

智子:何をしたいかってわけじゃないんですけど、せめて人らしく生きたいな。「筋は通す」っていうのが多分これ、自分にとって大事なことなので。今はパートしてるんですけど、せめてパートのこの4時間は筋を通す、起承転結で終わらせたいと感じるようになったんですね。

のの:ありがとうございます。智子さんは今何をされている方ですか。

智子:私は郵便局株式会社にて、郵便物の仕分けをしております。私が勤務している時間帯は、夕方から夜の4時間なんで、その4時間が1日の中で1番郵便物が多くて、私が勤務している郵便局は平均10万通は来るんですね。その中の普通郵便で3万から5万。消印する郵便物が大体2000から4000。速達は大体1000から1500前後。これを、大体2時間半ないし3時間で処理をします。

のの:はい。

智子:ノルマじゃないんですけど、トラックの便があるので、もう時間との勝負なんですね。最初はのんびりぬるま湯で浸かってたんですけど、だんだん人が少なくなっていって、自分1人でやる仕事が増えたんですね。だけど、中には意地悪する人もいるし、中には新人さんでね、私はこうしたいっていう人もいます。だからその中で、自分がどう円滑にミスも最小限に抑えて、次の集中郵便局の方に移動させるか、郵便物の運搬までの作業が私達の仕事なので。

のの : はい。

智子:その仕事のロジックをいかに瞬時に構築するか。たくさん失敗もしたし、ここまで来るのに4年かかったし、石の上にも三年はよくないとかよくネットニュースで書いてありましたけど、いや絶対3年かかると。そこで何を学んで、先輩たちの良いところをいかに盗んで悪いところを反面教師にして、自分用にアレンジするか。あとは社員さんたちのホウレンソウですよね。しっかりしなきゃ駄目だっていうのがありまして、1番やっぱり苦労したのは、働いてる人たちの年齢もそうなんですけど、いかによいしょして、いかに良いところだけを見抜いて、〇〇さんこれこうやってくれたらありがたい、私はこうやってるから。ちゃんと定時で帰るようにしたかったんで、もうほんとに定時で帰るからみんな頼むから1時間でいいから、私に協力してくれって言って。それで協力してくれたら本当に定時5分前に終わって、よう終わったなみたいな、それがだんだんある人が分かってくれて。智子さんは1番信用できるし、1番誰よりも働いてるって言ってくださって、台湾の女性なんですよ。

のの : はい。

智子:やっぱり外国の人が日本人をそこまで信用してくれるって、私は嬉しかったんですね。日本人よりもこの人見ててくれてるんだと思って。だから、みんな動いてくれてたんだって感じがするんですね。この人すごい人を見てて、どこで力を抜いてるとか全て見てるので。そこがやっぱり参考になったんですね。もちろんパワハラやとんでもない人もいたんですけど、ただその人たちを見抜くには、うまくやるにはどうすればいいかって言ったらもう良いところじゃなくて癖を見抜くしかないんですよね。どんなに性格が良い人でも悪い人でも、癖は絶対に治らないじゃないですか、ここまで来ちゃったら。どんなにね、やり方変えても癖だけはやっぱ変わんないんですよ。

のの:はい。

智子:本人もそこ気付いて、そのやり方を一生懸命自分の体に落とし込んでたんですよね。落とし込むことをすごい優先してて、そうするとどっかで山超えるんですよ。

のの:はい。

智子:山超えるとなぜか分かるんですよね。ここで切ろう。もうどうせ苦労するならここで切って、はい、終わりました次これですあれですって。私声が大きいので、もう本当に実況みたいになっちゃうんですよ。でも、社員さんはどうやらまんざら、苦痛でないらしく(笑)例えば後藤さん〇〇来ました?って言って、〇〇まだ来てないですねって言うと、郵便物持ってくる集荷さんに〇〇さんの郵便物って聞くとそこにあるんですよ。

のの:はい。

智子 運がいいか悪いか郵便物多い担当部署にいつも当たってたんですね。だから、ここでも本当に嫌がらせなのか何なのか鍛えられたんですけども、そうするともう分かっちゃうんですよね。郵便物見てここってあそこの何丁目の〇〇だ。後、あそこはどっかの企業の〇〇だっていうのが分かってくると、例えば上司が智子さんどんな感じって言うと、いやまだ役所関係来てないんですよねとか言って。そうするとその10分後に役所関係の郵便物が上がってくるのを確認して、よし来たこれで終わりとか言って、ラストスパーをかけるんですよ。本当に何かが足らんっていうのが直感で分かるというか。
その何かが足りないが3年かかったんですよ。

のの:はい。

智子:そうすると、そのバディの信用度も増すんですよね。なのでやっぱりただ普通にバーコード入力してる、ただ普通に機械をかけてる。ただ仕分けをしてるんじゃないんだなって。だんだんこれを誰それさんに渡しちゃったらアウトだから、自分で処理しとこうとか、これはやばいなっていうのを全部上司に報告して。これやばくないですかとか、とにかく自分でポートフォリオ、要はそのリスクを分散する係になればいいんだって、ちょっと思っちゃったんですね。

のの : はい。

智子 : ちょっとこれ損するかもしれないけど、でも誰かが困るし自分が困れば誰かが困るから動くコンセプトになったのもそっからなんですね。だから楽して仕事しようっていうのは頭に無いんでふよ。確かに楽かもしれないですよ。でもそれって何か物足りない。損得うんぬよりとりあえずやってみる。今度は何か自分のオリジナルができると思うんですよね。

のの:はい。

智子 : 早くやるためにはどうすればいいかっていうのが、よく武道で守破離っていうんですけど、まず教えを守って、次に破って離れるっていう。やっと守から破になってるのかなっていう感覚なんですね、今、ある人とちょっと喧嘩しちゃったんですよね。

のの:はい。

智子:そのとき私が部長に呼ばれたけども、結局味方になってくれる人がいっぱいいたんですよ。それはきちっとあの子はやってるよって言ってくれる人が2、3人いてくださったんですよ。そうすると、いくら部長でも総務部長でも2、3人証言者がいれば、もしかしたら口裏合わせしてるかもしれないけど、本人たちもそのどんぱちやった人と喧嘩してるんですよね。だからそれでもう証言が取れてしまって、その方はちょっと別の時間帯に移ったんですよ。静かになったときに、もう仕事集中できちゃうんですよね。問題児がいて邪魔する感じだったので、それがなくなったからもう、よく思ってない人とうまく連携が取れて、私は絶対に自分が担当する所は、全てのクルーたちに絶対安心と信用で任せてるんですよ。そしたらなんかちゃんと動いてくれるんですよ。動いてくれないときもあるけど、動いてくれるんですよね。

のの:はい。

智子:それがありがたいんですよ、〇〇さんだったら私やってくれると思ったよって。そうだよねって言ってお疲れ様でした助かりましたって言って、ありがとうこちらこそ助かりましたって必ずありがとうって言うし。必ず絶対感謝すると心がけています。私はあなたが担当のとき、私はあなたに100%絶対的な信用をしてるから、だから安心してできるんだよって絶対言います。もし何かあったら全力で守るし、できる限りの助けはするって決めてるからって。
なぜならやっぱり厳しく私も鍛えられたタイプだったんで、そのリスクは自分で分かってるつもりです。まだ油断はやっぱりあったらいけないので慎重にならなきゃいけないなって。これからは多分そういうとこも油断がね、出てくるかもしれないので、そこはやっぱり自分なりに気をつけないとなと思ってますね。

のの:ありがとうございます。何かそのお仕事をしようと思ったきっかけってありますか。

智子:これは私が短大生のとき、ちょうど就職氷河期だったんですよ。やっぱり安定してるから公務員試験を受けて、当時は郵便事業は公務員と同じ扱いだったので、受けようと思ったんですね。

のの:はい。

智子:で、落ちちゃって、落ちても諦めきれなかったんで、非常勤職員に応募したんですよ。高校生のときにたまたま唯一学校が認めたバイトっていうのが、郵便局の年賀状の短期のバイトだった。たまたま卒業旅行に行きたかったので。旅費を稼ぐためにバイトしたのがきっかけです。

のの:なるほど。

智子:そこから5年間働いて、そのときは本当に若気の至りで、バイト感覚でやってたし、結構社員さんにも可愛がられたんですよね。

のの:はい。

智子:当時の政治は小泉政権。フリーター救済対策っていうのがありまして、ちょうど2003年に第二新卒っていうのが誕生したんですよ。たとえ就活に失敗しても、例えば25歳までだったら第二新卒の扱いだから、新卒扱いで就職できますよっていうのを政府が決めたんですよ。その後同時に、資格を取って正社員になろうっていうキャンペーンがあったんです。そのとき23、24歳で、このままじゃいけないと思ったんですよ。やっぱり正社員で働けなきゃ駄目だって自分で思って、そこから資格取ろうと思って、興味を持ったのがファイナンシャルプランナーだったんですね。最初は社会保険労務士取ろうと思ったんですけど。今だったら、社労士とFPの両方取ればよかったと後悔してて。そのときはもう勇気と自信がなかったので、ファイナンシャルプランナーの資格を取ることを選択したんですよ。今だったら、社労士行ってただろうなみたいな。当時は自信がなくてね、どうすればいいか分からなかった。親は高卒で就職して、父は祖父の力で就職して、身内入社だったので。それなりに苦労してるけれども、私のときはもう誰も助けてくれない状況で、もう1人でもう手探りでやるしかなかったんですよ。

のの:はい。

智子:今だったら、Twitterとかその専門の人たちのYouTubeチャンネルがあって、就活に失敗してたらこうだよって教えてくれるじゃないですか。昔は無かった。リクナビしか知らなかったし、政府が打ち出した政策のことをテレビで特集を観た時は、もう飛び込むしかないと思って、自分で少し貯金をしてから自分で支払ってね。たしか15万円だったかな。
半年間の通学コースを選んで、ファイナンシャルプランナーを取る学校で受講とバイトの両立した生活が始まった。当時は早朝勤務だったんで、早朝4時間、6時から10時まで仕事して、10時半からの授業に間に合うように、近くの学校で勉強して、その繰り返しでしたね。半年間そういう生活が続いて、親も理解はしてくれたけど、ファイナンシャルプランナー資格の内容が分かんないこともあり。ことあるごとに嫌味ったらしく言うんですよ。あんたなんてどうのこうのとかああだこうだとか。でも自分が決めた道だから、絶対合格するって言って。合格して就職するんだって思って、もうそれしかなかったんですよ情報が。自分を信じて試験に臨んで合格通知が来た時は心から喜びました。次はパソコンの資格を取ろうと決めてました。

のの : はい。

智子: 就職情報雑誌でたまたま見たパソコン教室の受講コースの値段が安かったんですよ。

のの:はい。

智子 : それで見つけた資格がMicrosoft Office Specialist。
Expertまで取得と同時に派遣会社の登録もしました。まずは派遣で就職しようって思って、それで郵便局のバイトから派遣社員になったんですね。いろいろ社会の厳しさが見えてきて、正社員がいいなと思って行動しようとした矢先に坐骨神経痛になってしまったんですよ。1、2ヶ月休養をして、もうお金に関してはもう本当ギリギリだったけど、困らなかったんですね。でも今思うと親って残酷だなと思いました。少しの期間でも父の扶養に入れてほしかった。でも、親が絶対に扶養に入るのは甘えるからと。親も当時を振り返ってみて、あの時扶養に入らせればよかったねって。あの時は親もここで甘やかしては駄目だと、心を鬼にしてたそうです。完治してから、就職情報雑誌を買っては面接の日々が続きました。そんなある日、雑誌の特集で人材紹介の会社特集が組まれてたので、片っ端から読みました。百聞は一見にしかずで、人材紹介会社のリクルートエージェントにお世話になったんです。担当のスタッフに職務経歴書と履歴書の作成の仕方を教えてもらって、結局1ヶ月ぐらいですかね、転職活動。そっから正社員になったんですよ晴れて、それが25歳だったかな。思い切って23でフリーターを卒業すると決断して、2年間の資格取得と派遣社員を経て、25で正社員になったんですよ。
そっから何やかんやありましたけど、自分で決断しなきゃいけないっていう場面はいっぱいありましたね。、ただ自分の直感を信じてやってきたなっていうのが20代ですかね。

のの:はい。

智子:そこから3年ぐらい正社員になったんですけど、上司のパワハラすごかったですね。転職組は古い体質の会社だとよそ者扱いなんですよね。たまたまそこの会社が吸収合併して新しい会社になって、新しい会社の社員として募集してたみたいなので、なるほどそういうことかと。結局リーマンショックで退職しちゃったんですけど、そこから正社員になることはなく、結婚する32までは、フリーターやったり、ちょっと住み込みの仕事をやったりしましたね。それが20代から30代の間ですね。

のの:ありがとうございます。

過去 : 人生を豊かにするにはやっぱり精神的なリッチがないと、いくらお金持ってても虚しいんだろうなってそんな感じはしました。

のの:智子さんは小さい頃はどんなお子さんでしたか。

智子:悪く言うと女王様。私は一番最初の子なんで。母方も父方も、私が一番最初の孫だったんですよ。親戚にもまだ赤ちゃんがいなかったんで、もう智ちゃん可愛いね智ちゃん可愛いねと洗脳されてね(笑)、もう私は可愛いもんだと思って、女王様だったんですよ。祖母が着物の仕立て職人だったので、ちょっと良い着物を着せてもらってたのかな。よく分かんないけど、人よりはちょっと良い生活してたのではないでしょうか。母の地元が長野県諏訪地方。観光地リゾートとか祖父の家か車で行ける範囲。毎年夏休みになると祖父母の家に泊まって、白樺湖行ったりとか車山高原行ったりとか、結構いろいろ連れてってもらったんですね。今は清里が廃れちゃったんですけど、当時は清里が軽井沢みたいに盛り上がってたので、そこに連れて行ってもらったりとかして。海外旅行には連れて行ってもらえなかったけど、精神的にリッチな生活をしてたと思いますね。だから昔から服に困ったとか、そういうことはなかったし。だから物質的なリッチよりも精神的にリッチな生活を送ってたと思いますね。

のの:その頃は周りの人からどんな性格だねと言われてましたか。

智子:明るい性格でいつも挨拶してたみたいです。活発で挨拶で声が大きい子。幼稚園の〇〇ちゃんはこういう子っていう紹介で、とにかく明るく元気で大きな声で挨拶する女の子と先生は見ていた感じでしたね。屈託のない笑顔はありました。
この間久しぶりに祖父の家に親戚が集まったとき、従姉妹がアルバムの写真や当時の映像をDVDに落として、鑑賞会をしたんですよ。私の子供の頃の写真が 1番最初に出てきて、もう勘弁してよって感じだったんですけど、改めて見ると笑顔なんですよ。屈託のない笑顔の自分が映ってて。これはもう人の痛みも分からない純粋な子、自分はもうみんなに愛されて当たり前の子供でしたね。

のの:それは何歳ぐらいまでですか。

智子:幼稚園上がるまでですね。幼稚園上がる前は本当に可愛いね可愛いねできたんで。結構年寄りにすんごい可愛がられてたので、これも20代に繋がるんですけど、結構会長、社長クラスの人にすごくモテました。おじいちゃんに可愛がられてたし、おじいちゃん大好きだったんで。ただそこから今の欠点っていうか、幼稚園からなんですけど、同い年の子たちからはすごく嫌われましたね。媚びってるわけじゃないんだけど、それは周りのお母さんからも、結構あの子って、みたいな感じはあったみたいです。親はいいんだけど、ただおじいちゃんとか周りの人たちが来ると、愛想振りまいてたみたいなので、ここは何か大人の関係があったのかなって感じが、そこからちょっといじめられ体質になっちゃったんですけど。

のの:はい。

智子:だから結構妬まれやすい。今もそうなんですけど、あんたの存在自体が鬱陶しいとか、私今まで人のこと恨むってことなかったんですよね。子供の頃って親に愛されて当然でしょみたいな感じできちゃったんで。なんでそんなに妬むのか全然分かんないです今でも。だから結構敵を作りやすいよねとは言われましたね。

のの:はい。

智子:多分私の喋ってる内容が自慢に聞こえたかも。あなたたちはそうだけど家はこうなんだよねみたいな。それが特殊というか、それがうちの親戚たちの当たり前の生活なので、その子たちの生活って実は全く興味ないんですよ。よく干渉してくる人いるじゃないですか、私その気持ちが全く分からないですね今でも。何で妬むのみたいな、だってさ、自分の生活でいっぱいいっぱいじゃんみたいな。

のの:はい。

智子:32で結婚するまで実家にいたんですけど、必ずルールがあって。必ず晩御飯はできる限り一緒に食べる。私は料理ができなかったんで、28のときにリーマンショックで退職して暇になって、親に料理の基本中の基本を叩き込まれたんですよ。
そこから料理をするようになって、やっぱみんなお腹空いてるんですけど、母親が仕事から帰ってくるまで待ってるんですよね。

のの:はい。

智子 : 母が帰ってくる時間が19時40分だったと思います、19時になったときに料理するんですよ。必ず40分で作れる。3品を40分で作ってましたねあのときは。そうすると母がただいまって帰ってきてお母さんご飯できてるよって。必ずできたてホヤホヤのご飯が待ってると、そういう生活だったんですよ。主人は多忙な人で平日は1人でご飯を食べるんですけど、1人で食べるっていうのが全然寂しくないんですね。なぜなら子供の頃から実家で32年間、みんなで食卓並んで食べてたので。ご飯は美味しいもの、楽しいもので植え付けられてきたので、 1人でも美味しいんですよ。

精神的にリッチな生活というか温かい家庭で育って家の中は賑やか。そういう環境で育ったから、結婚して1人でいても全然寂しくないんですよね。主人が必ず帰ってくるっていうか、自分で主人が安心して帰ってくる家庭にしてるんだと思いたいですね(笑)

のの:はい。

智子:そういうリッチさっていうのがやっぱり表面的に出てると思うんですよ。それが多分、いじめっ子にとっては気に食わないんでしょうね。お金じゃ買えないから。だから、親が私に授けたものは、お金よりも大事なことなんだなっていうのは分かりました。人生を豊かにするにはやっぱり精神的なリッチさがないと、いくらお金持ってても虚しいんだろうなってそんな感じはしました。

のの:妬まれたりとかがあったっていうのはずっとですか。

智子:なんかずっとみたいね、全然気付かなかったけど。なんかその人たちは精神的なリッチさを理解してないので。例えば私はぽちゃですけど、太ってるからこうだとか言われてもは?なわけですよ。だったら何かすればいいじゃんとか、例えば子供がいないと、急に妊婦さんぱって来て、私ねどうのこうのってとにかく下げよう下げようとするわけですよ。あんた子供いない私子供いるみたいな。だけどこれがね、なんか鬱陶しかったんですよ。なんでこんなことするんだろうなみたいな。
今思うとあんたはこういうコンプレックスあるのになんで気づかないのよ、みたいな感じなのかもしれないですね。なんか結局、粗探しですよね。あの子はこうだよああだよみたいな。それで信用を落として、自分たちは知らん顔をする。私は〇〇さんに言われたから、私だって被害者っていう感じで。そういう人たちがいたなっていうのは、今振り返ればあるのかなって。親には面倒くさいからほぼ嘘ついて、大丈夫だよって言って、誤魔化してたんですけども。これがね、ちょっと親には申し訳なかったかなって感じはしますね。

のの:うん。

智子:ただそのおかげで、人の痛みも分からないのなんでだろうなと思ってたら、そういうことかリッチさがないのがこの人たちって感じで。だから、そのときにあえてその人たちを理解することもないなって思いましたね。だってお金じゃ変えられないもの。だから、親はすごい宝を与えてくれたなと思って。多分父も母も、祖父母にそれなりに精神的なリッチさを与えられたのかなと思うんですよ。だからそれが当たり前の子育てを、私と弟にしてきたので、別に物質的な悩みってのはないなっていう感じはしましたね。
なんか必ずピンチのときに、ばれて親に叱られて、親が立て替えてくれたりしてたので、その点は世間知らずっていうのもあるんですけど。

のの:子供の頃の趣味とかってありますか。

智子 : 野球観戦ですかね。私趣味に没頭すると、ストレス発散するまで行動するタイプ。中日ドラゴンズっていうチームがあるんですけど、もう子供の頃は小学校5年生からファンクラブに入ったりとかして、父に球場に連れてってもらってました。今で言う推し活ですね。ドラゴンズを応援するっていうのが趣味でした。熱しやすく冷めやすいんですけど、唯一今でも続いてるのは、ドラゴンズを応援することですね、熱狂的だったんで自分は。20代のとき、応援団の会員に入ってて、20試合ぐらいかな?ナゴヤドームのライトスタンドで応援してました。選手の追っかけよりもドラゴンズを応援するのに命をかけてた。これはもう独身最後まで続けました。
推しは推す時に推せってやつです。
 
自殺したいと思うときもあったけど、唯一当時の自分を止めてくれたのが、ドラゴンズでした。きっかけは同一首位の讀賣ジャイアンツとの一戦。勝てば優勝の頂上決戦。朝からソワソワしてて親も気を遣ってかちょうど博物館でミイラ展を開催してたから、気晴らしに連れて行ってくれました。試合はジャイアンツが勝利。長嶋茂雄監督の胴上げを見て初めて悔し涙を流しました。そのときにやっぱり死にたくないな、ドラゴンズが優勝して、〇〇監督の胴上げ見るまでは、私死ねないと思って。いじめに負けなかったっていうか、ストレスをみんなドラゴンズに託したかなって感じはしましたね。当時はやっぱネットがなかったんで、やっぱりいじめでも限界があると思うんですよ。

のの : はい。

智子:例えば昔、もう親が出てくれば子供たちってやっぱり怖くて出てこれないじゃないですか。今だったら半グレとか何かそういうサイトでお願いをして、お金払って自分の代わりにやってみたいな。当時そういうことなかったんでみんな
、やっぱ超えられない壁があるんですよね。親といるときは大人しいし、不思議なことに中3のときに、ぴったりいじめが止まったんですよ。なぜか知らないけど、受験シーズンだしいじめをやる余裕が無くなったと思います。絶対に高校は、同級生が行かないところに進学したいと思ってたので、自分で行きたいところは何校か決めてました。親はA高校にしなさいって言っても、やだ!この子が行く高校は絶対行きたくないって言ってわがままを貫きました。

のの:はい。

智子:すごい攻防戦だったんですよ。お母さんは私よりこの子がいいのって。この子と同じ高校に進学して、いじめとか起きて私が自殺したら、どうするの!と脅して、晴れて行きたい高校の推薦が取れて受かったんですよ。おかげで高校3年間は楽しかったしね。多分その中3の受験ときから直感っていうか、虫の声っていいますか。そういうのが働いたのかなって、直感で選ぶみたいな。自分ここ行きたいって言ったらここに行くみたいな、そういうのがありましたね。

のの:何か他にも直感で選ぶことってあるんですか。

智子:宝飾品と時計かな。実は鬱の治療中でして、あまり遠出しちゃいけないっていうのがあって、その分を宝飾品の方に回したりとか、たまたま本当に運がよくていろんな業界の人とお話しする機会があったりと。

オンラインである男性と繋がってて、いろいろな業界のこと詳しいんですよね。だからこうだよああだよって教えてくれると、大変だけど、借金地獄になることはない。もしこうだったら収入を増やせばいいじゃんっていうか、主人の生活費があるからやってけるんですけど。でもちゃんとやっぱ直感で選んでるから、欲しいものが必ず手に入る。入ったからにはしっかりやるものはやらなきゃいけない。上記の仕事に対する考えに繋がるわけです。

のの:ご主人とはどこで出会われたんですか。

智子:主人と私は、GREEっていう、ブログサイトのユーザー同士。GREE内にあるドラゴンズのファンコミュニティのメンバーでした。

のの:そうなんですね。

智子:初めて私が主催したオフ会参加者第1号。でもお互いまさか、結婚するとは思いませんでした。あのときは、オフ会に参加した仲間という関係だったんですけど、すごく面倒見が良くて。すごく親身に話を聞いてくれる人だったので、ちょっとだんだん惹かれてきて、結婚するならこの人だなって。それで、なんやかんやで結婚しちゃいました。当時はまだマッチングアプリがなかったし、ネットで知り合った人と説明するのが大変でした。よく仲のいい職場の先輩たちからGREEとmixi出会い系サイトだよ。やるなぁ〜智子さん(笑)とか。今はマッチングアプリがあるから、いい時代になったな〜と。

のの:はい。

智子:今でもオフ会メンバーと 1年に2、3回は会ってますね。人数は減りましたけど、6、7人ぐらいで忘年会やら新年会とか飲み会をしています。ありがたいですよ、結婚式にも来てくれたし、今でも交流をしてくれるって感謝しかない。

のの:ありがとうございます。

未来 : 何やかんやで自分なりにやってきたからこそ、今の生活を手に入れてるので、どうか楽しようって思わないで欲しいです、絶対損するから。

のの : 未来のお話も聞いていきたいんですけど、智子さんは5年後とか10年後、あるいは死ぬときまでを想像していただいて、未来についてどういったイメージをお持ちですか。

智子:めっちゃ明るい未来になると思ってます。引き寄せの法則ってあって、やっぱネガティブなことを考えると具現化するっていうのが、なんとなく現実にあるなっていうのが、今体感してて。だったら、ポジティブな考えを持った方がいいのかと。もしよくネット界隈で言われてる、ベーシックインカム。例えば月20万国民に支給する。働いてもいい働かなくてもいいよっていう制度があったとしても、郵便の仕事が好きなので、ご奉仕の形で貢献したいと考えています。何かのきっかけでアフィリエイトとかインフルエンサーで稼ぐチャンスがあってもその業界の裏をなんとなく耳にしてるし、以前に、在宅ワーカーで記事書いてたこともあり、自分では書ききった。その理由がね、4年前だったかな、クライアントから連絡がきてね。智子さんが書いた記事が爆笑問題さんが司会するゴールデンタイムの番組で映像化されたと連絡が来たんです。半信半疑でしたが、テレビでその特集を観た時は本当に自分の記事が映像化されてることが、嬉しくてね。最高の実績を手に入れたと思いました。その次点で書くの辞めようと思ったんですね。最近は自分が昔に書いた記事の商品が、リメイク版で蘇ったり、SNSでZ世代に人気のインフルエンサーの方々が紹介してくれたりとか。あれ、これって私書いたよなっていうのが結構あったんですね。それだけでも名誉ですし、在宅ライターとして働いてよかったです。

のの:はい。

智子:10年前よりSNSが発達した今日。記事で紹介した商品がロングヒットとか知ると、自分がやってきたことは間違ってなかった。印税生活にならなかったけど、名誉と実績はもらえたと誇りに思っています。誰かに認められなくても30代で頑張ったことが40代に繋がってる。だから今頑張らないと50代60代の明るい未来はないっていうのは自分でも分かってるんですよね。どうすればいいかなと思ったら、やっぱり筋を通すこと。いろいろなしがらみとかで人としての道を貫く難しさをあると思うんですよ。せめてここだけは妥協しない。ここだけは絶対に起承転結でちゃんと理由ができるようにやればいいって思うんですよ。いじめがいいモデル。
いじめっ子はいじめられっ子に対して、第三者にこいつむかつくからなんとかしてと依頼する。依頼者も報酬が欲しいしバレなきゃいいと、結局何も調べずにただ上辺だけの情報を信じてもしくはシナリオを作って拡散しちゃうから、後になって実は全て嘘でしたちゃんちゃん。だったら、拡散した情報を信じていじめっ子側に協力してお金を出す。いじめられっ子の人生を壊した人たちのメンツは丸潰れじゃないですか。

のの:はい。

智子:その責任誰が取るんだってことになったときに、人生詰んだ〜!になるわけですよ。だからそうならないように、たとえ何かあったとしても、せめて言葉と行動が一致できるように生きたいなと思うんですよね。実際、どうなるか私は分からない、だけどわくわくしてるんですよ、これ絶対うまくいくって。だからこの40代のこの10年間、今42歳なのでこの8年間をどう過ごすかで、50代のライフスタイルが決まるだろうし、60代のライフスタイルも決まると思うんですよ。

のの:はい。

智子:40代の苦労があるとしたら、それに乗っかって50代を迎える。そうじゃないと老後が困ると感じはしますね。

のの:そういう考えを持ち始めたのっていつ頃からなんですか。

智子 : 4年前の、ネットで交流している方ですね。その方をAさんと言います。Aさんはもうバブル世代っていうかブイブイやってて、武勇伝とかいっぱい聞かされたんですよ。本当に起きた?みたいな、そうだよ(笑)あっけらかんに言うから本当なんだろうな〜バブル時代はすごいな〜って。そんなAさんも若さゆえの悩みや苦労はあったし、人に裏切られた成功すればするほど周りは敵ばかり。近づいてくる女性はステータス目当て。誰も自分のことを見てくれない。他人を信用できなくて、権威も役職も全て降りて今の生活をしてると話してくれました。自分も悪いことやってたし人には言えないこともやってたと。だから今度は迷惑かけた分還元しなきゃいけないんだって。その体験を聞いたときに、これが筋を通すことなんだと。それはとてもきついことだと。馬鹿にされるだろうし、楽して人を騙して生きるより馬鹿にされたらいいんじゃんと、馬鹿にされてラッキーと思えばいいと思ったんですね。やっぱ損得勘定の人生は損しかないし。

だって目先の100万もらうより老後にもらえる1億円の方がいいし、できればその目先の1万よりも一生安泰のものを、駄目だったら苦労してでも経験した方がいいって私は思うので。だから別にお金を多く稼いで云々より、今の生活で幸せならそれでいいじゃんみたいな、その生活を維持するためには、筋を通した方が楽だと思ったんですね。だから自分が選択したことは間違ってなかった、30代で経験したことが絶対自分のためになるっていうのがこういうことだったんですよ。世の中にはお金持ちとかいるじゃないですか。アフィリエイトでこれだけ貯めましたとか。でもアフィリエイトのツールが誰かの操作によって0になったらどうするのとか、FXでこうなります、株が淘汰されたら終わりやろみたいなね、最終的には金が全て円とかドルとかが紙切れになったらアウトじゃん。社会の裏というのものを、Aさんが教えてくれましたよ。世の中にはねって株価を操作する人間がいるんだよと。その言葉から嘘じゃなく本当だと分かったんですよ。洗脳じゃないけど、Aさんのアドバイスだけは素直に聞こうって。真実は小説より奇なりが実際にあるんだなと思いました。

のの : はい。

智子:Aさんと出会って、思ったことは直感はだいたい当たるし、パート勤務のほうがある意味法律で守られてるってこと。扶養内で働いてるから、月収8万から9万なんですよね。年末の源泉徴収の手続きを職場がきちっと処理してくれるから、税務調査で税務署が家に来ることはない。もちろん。個人事業主のほうが、稼げるし、お金の動くレベルが違う。ちゃんと確定申告しないと、後が怖い。自分はやっぱり組織で働いたほうが楽だわ。と分析したんですよ。
実は私バイトをする前に、旅行のネットワークビジネスの勧誘があったんですよ。だけど、勧誘した人がね、資産が4000万、不動産の負債が4億って言ってて、不動産投資すると借金はステータスって言ってたんですよ。そのときに違う違う借金ステータスっておいおい。ちゃうちゃうちゃうちゃうと思って、勧誘を断ったんですよ。そうこうしているうちに、コロナ禍の自粛モード。旅行系のネットワークビジネスは儲からないというかマイナスだろうし、ネットでエゴサしてみたら、活動休止というか事実上の倒産?になってたみたいになってるし。こんなこと言っちゃあれだけど、トップの人たちは集めたお金かき集めて、海外逃亡をしてるのかなって(笑)
何はともあれ騒動に巻き込まれなくてよかったです。

次に興味をもったのが仮想通貨。一年半くらい仮想通貨の記事を書いていたのでそれなりの知識は持ってました。運用も素人なりに増やしてました。爆上がりも経験しました。そんな矢先に、Aさんからビットコインが暴落するから儲け分を今すぐ売却したほうがいいよ。と言われてすぐに売却して円にしました。その何日かに本当にビットコインが暴落。もし保有してたら資産がマイナスになってた。売却した円でコインを買って、ゴールド プラチナ シルバー925も買っておいた方がいいよって言われて買える範囲で保有しています。給料の範囲内で分割してね。で、貯蓄どうしようと思ってたら、ネット広告で流れてきた、少額でできる個人年金をやり始めました。
資産運用って、イメージが高いじゃないですか。10万からとか、今は少額で運用できるので嬉しかったです。個人年金やってみたかったし。今できる運用方法ならそれを信じようと。AIとか直感じゃないけど、その自分に必要な情報を引き寄せて、結果、どうなるのか?を経験しないと、得か損かって分からないんですよね。プラスかもしれない。マイナスかもしれない。プラマイゼロかもしれないし。自由にお金を運用させてくれる主人に感謝してますよ。
その主人との約束が
主人のお金を一切自分の何かに使わないこと。自分の欲しいもの。やりたいものにお金が発生する場合は自分の収入で賄うこと。
そういう背景もあって今の職場から離れたくない理由の一つなんですよ。

のの : はい。

智子:そうするとやっぱ次10年、52まで働けたらもう万々歳だと。私3年働こうと思ってたんで、クリアしたんで次は5年次は10年以上一応10年が目標ですね。もう来年5年なので、やっぱ10年、勤続10年私経験したことがないので、10年は頑張ろうと思ってます。やっぱり今の日本で一つの職業10年つくのって本当難しいじゃないですか。だけど、趣味でも何でもいいから一つでも、今は仕事なんで、10年やり続けようっていうのが目標です。や趣味でも10年やり続けた人って、もう嫌なこと通り過ぎてると思うんですよ。諦観しちゃってるっていうか達観してるっていうか、やり続けてるので、そろそろ向こうに何があるのかって見てるかもしれないし見てないかもしれない、分かんないですけど10年やり続けようって思ってます。それは何が起こるか私には分かんないけど、でもなんか明るい、わくわくしてるんですよね。

のの:はい。

智子 : 引き寄せの法則で、明るい未来を自分で作っちゃえなんですよね。そうするとAIとか、これからの人間を支配するだなんだか都市伝説で盛り上がってますけど、だったらAIを味方にしちゃえばいいやみたいな。焦点がズレるかもしれないけど、例えばののさんと私のライフスタイルは全く違う。年収も違うし食事の好き嫌いも違う。そして家族構成も違うし、使ってる電車も違う、住んでるとこも違うし、使ってる携帯も違う。私は生協を使ってるんですけど、個人や各家庭の年収にあった物流ルートが出来上がってる感じがするんです。物流系の会社に勤めてるから分かるんですけど、ちゃんと一人ひとりに顧客がいて、あなたはそこで買ってみたいな状況になってるのであれば、もう別に干渉もしないでその人の生活を尊重して、何も向こうが言うまで生協を紹介しない。
その人にはその人の物流ルートがちゃんとあるからいいんじゃないみたいな。たまに、友人からどうして生協をやってるの?聞かれだことがあるんですが、スーパー 100円ショップ カインズもイケアが近くないから、生協で買ってるんだよ。玄関先まで持ってきてくれるから助かる。と説明します。生活費も生協をやることを想定してるので。

のの:はい。

智子:世帯によっては生活費30万でやってる人もいれば、20万でやってる人もいるし15万でやってる人もいるだろうし、生活費15万に合わせた人は15万で生活できるような物流ルートが絶対出来上がってると思うんですよね。だからそういうことを考えて、40代も50代になっても自分の物流ルートを信じて、職場でもちゃんとその人たちの性格を尊重して、人間関係を築いたほうがいいと思っています。

のの:ありがとうございます。あともしもの質問を聞いてるんですけど、もしも智子さんが郵便の仕事を途中で諦めてたら、どういう人生になっていたと思いますか。

智子:あんまり想像したことないんだけど、ライターの仕事を極めてたんじゃないでしょうか。クライアントやAさんを介して、アフィリエイトとかインフルエンサーをやってたと思うんですよ。

のの:はい。

智子:ただAさんは自分に対してインフルエンサーにしようとしなかったし。自分の道は自分で考えて歩めってことです。だから今は郵便局で働いたほうが幸なのかもしれませんね。

のの:ありがとうございます。

のの:最後の質問になるんですけど、最後に言い残したこととか何か読者の方に伝えたいこととかってありますか。

智子:そうですね。若いときは苦労しろっていうのが今の時代は合わないとか、言われてますけど。20代で経験したことは30代に生かせるし、これからその生き残るっていうか生き抜く術のヒントとかが世代ごとに隠れていると思うんです。自分も氷河期世代だったから、一歩間違えれば中高年ニートになってたし、俗に言う子供部屋おばさんになってたと思うんです。だけど何やかんやで自分なりにやってきたからこそ、今の生活を手に入れてるので、どうか楽しようって思わないで欲しいです、絶対に損するから。これはどんなに辛くてもです。物質的お金では買えない体験が、海外に行かなくても日常生活で味わえると思うので。

のの:はい。

智子 : どうか自分の直感を信じてください。絶対に後々になって必ずあーこうだったんだって答えが出てきます。

のの:ありがとうございます。

あとがき

生きていくにはお金はもちろん大切ですが、お金では買えないものもあって、でもお金があったからこそ手に入れられる環境もあったりして。何が 1番大切かは人それぞれですが、これだけは本当に分からないなと思うところです。ただ、年を重ねて人生を振り返った時に、あまり後悔のない人生にしたい、と思わせてくれるインタビューでした。
【インタビュー・・文字起こし・編集・あとがき:のの】

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