自分にすごく素直に正直に生きてる人
みなさん妄想してました? 妄想ってちょっと露悪的な言い方ですね、想像や空想は好きでしたか?
私は、子どものころからブロック遊びが好きで、ブロックで作った基地を舞台に、そこでガンダムのガチャガチャの人形、通称「ガン消し」を使って自分で勝手に作った妄想ストーリーで戦いごっこしてました。徒手空拳イマジナリーではないですがね、オモチャつかうんで。私、ずっとずっと、これ、この遊び私は小学校6年生までやってたんですよねえ。
まあでもこういうこの遊びでもって、ストーリーを作るのに慣れて、小説を書くようになって、サラリーマンとしても企画の仕事したり、考えることに困らなくなって、最終的に無名人インタビューを今、組織化していて、人の人生をひとつのフォーマットにいれることで、参加者にはセラピー効果をもたらし、読者にはひとつの発見をもたらしめてるのだから、これでまあ良かったよなあと思ってます。ね。
ああ自分語り。
昔、付き合っていた人が、熊本県の三角出身の子で、天草の向かい側にある町なんだけど、そこで生まれ育った一人っ子は、遊ぶものっていったら本ばっかりで、それでめっちゃ空想力が高まったって言ってたね。それで、その子、子どものころから大人になるまで、ずっとひとつにつながった夢を見てるらしいんだよね。この手の話、男性ではまったく聞いたことないんだけど、女性では何人かいましたね。
スピリチュアルの話を女性のほうがすることが多いのも、たぶん関係あるんだろうなあと。
思います。
今日のー無名人インタビューもーよろしくお願いいたします!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】
今回ご参加いただいたのは あっこ さんです!
現在:あぁ私はその人たちの問題を解決するんじゃなくて、解決なんてできやしなくて。希望を見出すサポートすればいいだけなんだっていうのに気づいて、ちょっとほっとしてますね。
花梨:あっこさんは今何をされている方でしょうか?
あっこ:メインの主たる仕事は、あのーなんて言ったらいい? セミナーの講師だったりとか、ワークショップの講師。魂の成長をね、促すというか。目に見える世界と目に見えない世界の話をしながら、自己啓発っていうかそういうのをメインにしてる仕事をしています、今。週末は雑貨屋さんの店主。それとあるものを生かし、活かすコミュニティをプロデュースし、運営にも携わってます。
花梨:魂の成長を促すようなワークショップやセミナーは、どういった内容を教えていますか?
あっこ:魂とは?自分らしく生きるとは?について学び合うグループセッションや個人コンサルティングをしています。自分では解決できない問題や悩みに対しては過去世リーディングをしているので、どんな目的をもって生まれたのか、どのような能力や特性を持っているのかをお伝えしています。
花梨:こういったお仕事を始められたのはどういったきっかけがあったんですか?
あっこ:元々こども英会話の教室からはじめたの。どこの習い事に行っても、つまはじきされるような子どもっていて。それこそ本当に先生にもう来ないでくださいってお断りされるようなお子さんがいるんですけど。そういうお子さんでも、ちょっとやっぱり家でずっと見るのもお母さんが大変っていうのを、同じ子育てママから聞いていて。
じゃあどうせやるなら、そういうどこにも所属できない子たちを集めた、英語を教えない英会話教室を作ろうというのが始まりだったんですけど。それをやってるうちに、なんか人生生きづらいって私自身も生きづらかったんですけど、なんか生きづらいって思ってる子だけじゃなくて、みんな私のように生きづらいって感じてる人たくさんおるやんっていうのに気づいて。で、何かサポートできたらいいなっていうところから始まりですね。
花梨:ちなみに、あっこさん自身の生きづらさって何だったんですか?
あっこ:私自身は、サラリーマンの父とパート勤めの母と弟の4人家族。父は遅く帰宅し、お酒をすごい飲んだりとか、母に暴言や暴力を振るったりとかしょっちゅうあった。母は母で、病気がちでいつも疲れていた。だから私と弟は放置気味だったんですね。私たち子どもの話を聞いてくれるような家庭じゃなかったんで、割とその父の暴力に怯えながら、まあそれでも何とか生きてる感じだった。
高校に入った弟はすごい引きこもりになって、心を閉ざしてしまった。私は逆でその両親に対して反抗的だった。私は18歳で働き始めて、どんな仕事もなかなか続かず、23歳で福岡に移住。その後すぐ結婚。
あと社会もまだ何て言うのかな、転職が大いに喜ばれてる時代ではないので。なかなか定職につかないっていうところですごい自分は劣等感を抱えながら結婚して子どもを産んだので。なんかもう自信がないまま生きてましたね。どこに勤めても社長と喧嘩したり、クビになるっていうか、気ばっかり強くて、居心地悪くなって辞めてしまうことを繰り返していたな。
花梨:店主をやられている雑貨屋では、何を主に売られているんですか?
あっこ:こども英会話教室から始まった事業は「自分を生きるをはじめる」をコンセプトに自分らしく生きたい人たちのサポートをしている人財育成業をしているの。この事業を通じて出逢った人たちが、これまでの仕事を辞め、心が求める仕事を始めたり、自分の趣味を活かしたものつくりをはじめたり、自分らしく生きる人たちのコミュニティが少しずつ育っていった。
だけど、中にはその実力がなくて販路がない、やりたいことができる場所がない、など思ったように自分のやりたい仕事が始められない人も多くて、それをどうにかサポートできたらなと思って。委託販売とか、自由に使えるレンタルスペースもある雑貨屋さんをやろうと。
取り扱っている商品やサービスは作家さんやアーティストさんの作品、占いやいろんな講座、コンサルティングとか、相談、健康に関するワークショップやボディケア。
花梨:もう1つの街づくりは?
あっこ:人財育成業をはじめて自然とコミュニティが育ち、いつの間にか、空き家をどうにかしてくれないかって依頼が割と入るようになった。世の中が空き家活用=コミュニティつくりっていう印象があるみたい。私自身も17年前に事業をはじめた頃、なぜか「村をつくりたい」と考えていたこともあって、共時性を感じていた。
今ある自宅兼事務所と雑貨屋がある周辺って空き家だらけなんですよね。自然とこの場所にこれまでうちの講座の受講生たちが集まってきて、ちょっとしたコミュニティになったの。そしてこの受講生たちのように生き方を変えようと私たちの生き方に感化されたひとたちが今もコミュニティ周辺に集まるようになってて。
まだまだこの周辺は空き家や空き部屋や空地がたくさんあるので。そこで、じゃあどうやって生活していくのかとか、どういうふうに仕事生み出すのかっていうところのコンサルティングをやりながら、コミュニティを育てている状態です、今。
花梨:様々なお仕事をされてると思うんですが、あっこさん自身はどんなお気持ちになることが多いですか?
あっこ:最初は本当に、生きる力も気力もない人たちの生き方を変えたいっていう思いだけで、サポートしてきてたんで、問題を解決しなくちゃいけないって私自身もすごく躍起になってたんですよね。けど、最近ここ2、3年は、あぁ私はその人たちの問題を解決するんじゃなくて、解決なんてできやしなくて、希望を見出すサポートすればいいだけなんだっていうのに気づいて、ちょっとほっとしてますね。
花梨:それはどうして気づいたんですか?
あっこ:そうですね。私自身も相手の問題をどうにか解決しようと思ってたときは、本当に忙しくて、スケジュールがパンパンになってて。そんな中たくさんの人のサポートをしてたから、私の態度はすごく押し付けがましくて。困っている人の問題を解決できないのは、私の問題にしちゃっていたから、私も相手もしんどくなっちゃって。私自身も本当に疲れた日があって、体もボロボロだったし、もう先が見えない感じがしてたんですよね。
なんだろう、なんかもう行き詰まりまで行った感じ。もう駄目だみたいな。
やっぱ問題はあったとしても解決するかどうするかっていうのは本人の問題であって。私がしたいのは、みんなそれぞれが自分の人生を諦めないように希望を見出すようなお手伝いをすればいいだけなんだって気づいたの。
そしたらある日何かそれを思ったらすごく気が楽になって。今は本当に仕事量は変わらないけど、遊ぶように生きてるというか。毎日楽しく生きてる。
花梨:アッコさんはご自身の性格についてはどう思われてますか?
あっこ:私自身はー、うーん。まあ、すごくポジティブ。諦めが悪いというか。あははは。よく情熱的ってすごい言われる。まあ暑苦しいよねとか。あとは、人をほっとけない。どうしてもですね、人の考えてることっていうか、感じてることがすごくわかってしまうんですよね。
花梨:最初におっしゃっていた、ポジティブや諦めが悪い性格は、どんな場面で実感することが多いですか?
あっこ:そうですね。みんながもう駄目だって思うときに、なんかすごい面白いアイディアが湧くんですよね。だからなかなか、よしっやめようってはならない。
花梨:それは、アイディアが降ってくるんですか?
あっこ:うん、そう。
花梨:パートナーなど、もっと身近な方からは何と言われることが多いですか?
あっこ:うーん。元気だね。同じか。はははは。いつも元気だよねって言われるかな。
花梨:ご自身のどういった場面を見られて、「元気だね」って言われていると思いますか?
あっこ:本当に、どちらかというと落ち込むことはあんまりないんですけど。もし、落ち込んだとしても復活も秒ぐらいで立ち直れるんですよね。だから、落ち込んでることをみんな知らないかもしれない。とか、悩むことはもちろんあるんですけど、その悩みもあっという間に解決するので、悩んでることを知らない人が多い。あはははは。寝たら解決してたりする。
花梨:寝ること以外に、あっという間に解決する方法が何かあるんですか?
あっこ:そうなのー。もうひとつ、直感リーディングっていう仕事をしてるんです。私の場合は映像だったり匂いだったりとか文字で見えたりとか、どうすべきかっていうのがそれでわかるんですよね。だから、その力をより信じるようになったときから、何て言うのかな。無駄に落ち込んだりとか、無駄に行動したりとかっていうのがすごく減ってる。本当に数年前よりはずいぶん落ち着いてる感じ。
過去:じゃあお金があっても、時間があっても、やりがいのある仕事があったりとかしても、楽しい、本当に満たされた人生を送ることができないってどういうことだろうっていうところから始まったんですけど。
花梨:幼少期、あっこさんはどんなお子さんでしたか?
あっこ:好奇心が旺盛で、何でもチャレンジするような子だったと思います。どっちかっていうとグループのリーダーみたいな感じで、遊ぶアイディアを出して、みんなと一緒に面白い遊びを工夫しながらするみたいな。例えば学級委員長やったりとか、部活の部長やったりとか。なんかそういうリーダーになるタイプだった。
花梨:それはもう、自身の好奇心からですか?
あっこ:何かを決めなくちゃいけないとき、決まらない、いつまで経っても決まらないのがすごく嫌で。みんながやりたがらない役にとりあえず自分で手を挙げて、早くお話会を終わらせたいタイプの人だった。
花梨:なるほど。例えばご自身がやりたくないことであっても、時間を消費するよりはマシという考えだったんですか?
あっこ:そうそう、そういう感じ。
花梨:この頃好きだったことは、何かありますか?
あっこ:空想とかおまじないとか、呪文とかすごい好きだったかも。
花梨:どんな空想をされていたんですか?
あっこ:落ち着かない家庭だったので、私は本当にUFOに連れ去られたい思いがすごかったんですよね。UFOが来て、宇宙人に連れ去られることを夢見てた。あはははは。謎にいろんな呪文を唱えてみて、叶うかどうかみたいなのをやってたと思う、叶わなかったけど。はははは。
花梨:どちらかと言えば、どこかに逃避できるような?
あっこ:なんかいなくなるみたいのとか、この世の中が一変するみたいなのとか。多分、今ここじゃないどこかへみたいな感じ。
花梨:先ほどもおっしゃってたと思うんですけど、それはご家庭の事情が大きかったんですか?
あっこ:本当に居心地がとても悪くて。じゃあ、全ての思い出が悪い思い出ばかりじゃないんですけど。でもやっぱり、自分を押し殺して過ごしてるなっていうのをすごい感じてた。おうちに帰る方がすごく窮屈な感じでいたので。
花梨:それはやっぱり、ご両親の事情が。
あっこ:両親同士はあんまり仲良くはないんですけど。楽しい思い出もありました。多分私自身が子どもでいるのがすごく苦手だったっていうか、親がわたしを可愛がれるほど、子どもらしくなかったんじゃないかな。親と過ごす時間が苦手すぎてて、だいぶ拒絶してたと思います。お父さんとお母さんの子に生まれてよかったっていうよりは、なんかこの家じゃなくてもよかったかなみたいな感じで。
花梨:拒絶の1つの形として、空想などがあったんだと思うんですが、ご両親に対しても拒絶する態度は現れていたんですかね?
あっこ:はい。もうやっぱ育てにくい子だったんでしょうね。何かするたびにすごく罰を与えられてたので。階段の手すりに紐で結ばれてたりとか。あはははは。
花梨:えぇ。
あっこ:とかまあ、外に追い出されるのはしょっちゅうだったんですけど。父とか母の体罰もありました。でもそれが自分の中の日常だったから、さほど辛さがあったわけでもなく、だからやっぱ空想癖とか妄想癖に繋がる機会だったんでしょうね、きっと。閉じ込められてる間何もできないから考えることが多いとか。その時間は楽しかったと思いますよ。
花梨:それは、大体小学校時代のことですか?
あっこ:小学校、そうですね。習い事をしていたので、ちょっと時間かけて帰るみたいなのよくやってたんで。好きな男の子の家に、私、変態癖があるから、今で言うとストーカーになっちゃうんだけど。何か危ない感じ。なんかとにかく家に帰らない方法をいろいろ考えてたとは思います。自分の世界を作って楽しむ方法。
花梨:習い事はちなみに何をされていたんですか?
あっこ:公文の英語に通ってましたね。あとエレクトーンとか。習い事はいくつかさせてもらってたっていうか、したくてしてたのかも謎ですけど。
花梨:どれくら続けられていたんですか?
あっこ:エレクトーンは長かったですよ一。4、5歳ぐらいから中学の3年生までしてたんで。で、公文の英語は中学校のときだけかな。だからその、エレクトーン弾くのも、近所のおじちゃんが死んだら、なんかレクイエムとかって言って。勝手に創作した音楽を流してすごい怒られてましたね。葬式だからうるさいとか言って。でも私の中では、おじさんさようならの曲を弾いてるから。
花梨:ご自身で曲みたいなのを作られてたんですか?
あっこ:想像の世界でね、好きなように作ってました。
花梨:高校以降はいかがでしたか?
あっこ:高校以降は、本当に家にいたくなかったので。最もらしい理由をつけて留学をさせてもらってですね、アメリカに1年いましたね。
花梨:アメリカでの生活はいかがでした?
あっこ:親から離れてすごい自由で、受け入れ先のホームステイ先のホストファミリー
本当に我が子のように受け入れてくれる家庭だったので、いろんな体験をさせてもらいました。全く英語を勉強せずに留学したものだから、だいぶ最初の方は苦労したというか、あぁ甘かったなって思ったんです。
当時は電子辞書とか、スマホとかない時代だから、分厚い辞書を持って学校に通っていた。知らない単語を辞書で探してるうちに会話が終わるから、これもうどうしようもないなと思って投げ出してからは英語が上達しましたね。なんか帰る頃には喋れてましたけど。
花梨:そこから一気に上達したんですね。
あっこ:はい。なんかもうYesとNoとOKで何とかなると思ってたんですけど、ならなかったから。なんか、授業とかも最初退屈してたんですけど、最後の方はだいぶ理解できるようになってたと思います。喋るってやっぱり大変なんだなっていうのを感じながら、少しずつ上達していきましたけどね。
花梨:そもそもアメリカっていうところを選ばれたのは何か理由とかありました?
あっこ:当時、BON JOVIっていうロックグループがすごい好きで。私はリードボーカルの
ジョン・ボン・ジョヴィと結婚するつもりで。最初、彼の出身地の東海岸の方、ニューヨークの方とかあっちの方に留学先の希望を出したんですけど通らなくってカリフォルニアになっちゃったんですよね。そんなふうに思っていても、結婚とかお近づきになるなんて無理なんだなっていうのを、当たり前ですけど思い知ったな。
花梨:留学に行かれたのは、高校の何年生ですか?
あっこ:2年生かな。2年生と3年生にかけて。
花梨:留学から帰ってきてからの高校生活とか、それ以降の生活はいかがでした?
あっこ:留学を斡旋してるような英語科がある私立の高校に入ったので、自由でした。帰国は3年生の6月末ぐらいかな、7月頭ぐらいに帰ったんですけど、夏休みがもうすぐだから1学期は休んだまま、単位は夏休み中に取れって言われてですね、だから学校にはほとんど行ってない。
進学クラスだったので、1月からは進学する子だけ授業を受けるっていうルールだったんですよ。私は大学に行く気がなかったので、就職組は1月から家に待機だった。3年生は本当に数ヶ月しか通わず、気づいたらもう卒業だったんです。日本の高校にいる思い出はあんまりなく、あっという間に過ぎちゃった、10代でした。
花梨:大学は元々行こうとはあんまり思ってなかったですか?
あっこ:本当に早く自立したくて、とにかく親の何かから、束縛から離れたかった。もう仕事するとかしか決めてなくて、とにかく給料のいいところを選んでいましたね。
花梨:最初に就職されてからはいかがでした?
あっこ:最初外資系の英会話の教材の販売。給料は歩合制で、やればやっただけ入るんですよね。朝10時から10時間労働は当たり前でお金は入るんだけど、長時間労働となんか人を騙すようなやり方に途中ではっと気づいて、これよくない仕事なんじゃないかなって思い始めました。
花梨:あっそうなんですね。
あっこ:その後も、とにかく成果を上げるまで働きお金をたくさんもらうっていうやり方に飽きたので、次はなんかのんびりできる仕事ないかなと思って辞めました。
次は土木建築の人材派遣の営業をしました。刑務所から出てきたおじさんたちを、お仕事に斡旋して、土木建築の。チラシ配って営業して、何かあれば人工が足りないときはお声かけてくださいねっていうだけで、仕事が回ってたんですよ。
タイムカードだけ押しに会社に行って、そっから遊んで帰るみたいなことをしょっちゅうしてて。で、だから前の職業とは違う、10時から5時の仕事で時間の余裕はあったんですね。で、暇だから夕方からバイトして、土日は遊んで。バイクの免許とってツーリングしたり、カラオケしたり、と遊ぶ時間はたっぷりあった。
会社はみんないい人だったから、居心地はよかった。でもやりがいがなくって、なんかこのままじゃ私人間腐るんじゃねえかなって思い始めていた。そしたらあんたがいるようなところじゃないよっていうのを先輩に言われて。私のいるところってどこだろうって、初めて自分の進路について、お金以外のことについて考えたときに、あぁなんか英語使って何かやりたいと思ってたじゃんっていうのにはって気づいて。
次にこども英会話教室を運営している会社に勤めたんですよね。そこは3年ぐらい勤めたんですけど、営業からはじまって、こども英会話教室の先生をしました。でも、なんかやりがいってこんなものかなっていうのはちょっと疑問に思ってたので。まあでも結婚して、とりあえず迷うより結婚して人生変えようと思って、愛知県から福岡に結婚を機に移住したんですよね。ちょっと一旦就職のリセットがそこであった。
花梨:結婚生活はいかがでした?
あっこ:18歳から付き合ってる人と23歳で結婚した。なんか家を出るのがすごく嬉しくて。もうそれだけで幸せだと思ったんですよね。
結婚相手とは彼が就職と同時に、同棲をはじめたから、彼の両親から会社には同棲してることがバレない生活をしてくれって頼まれて、彼も同意した。
知り合いも誰もいないし、よっぽどの理由がないかぎり家から出られない。それで鬱になりました。
途中バイトをすることは許されて、ちょっと鬱が改善した。結婚式が終わり、子どもが生まれて、2人目が生まれるぐらいまですごく大変でしたね。友達がいなくて寂しかったです。
花梨:一歩も出ちゃいけないというのは、パートナーのご両親に言われていたんですよね?
あっこ:そうですよ、謎ですよね結婚ってね。あの、それまではそんな人じゃなかったので、結婚したときにそんなふうになって。元夫もその気になって私をちょっと隔離するみたいになって。なんか自分のことしか考えてなかったんだろうけど、そんときは。あの若くて、まだね彼も知らない土地で仕事を始めたので大変だったと思う。その余裕はなかったと思いますけど、とにかくなんかそんな感じ。
花梨:それ以降、バイトを始めてからはいかがでした?
あっこ:改善はしたけど、やっぱり子どもを産んでバイトも辞めて、子どもを産んでまた育ててるときに段々またノイローゼになって。出られない、それこそ本当に子どもを連れてどっか行くなんてありえないみたいな感じで。なんかよくわからないけど。私はすごいアクティブな人間だったのに、家にいなくちゃいけないのが辛くて。
元夫は忙しすぎてなかなかコミュニケーション取れなかったので、あまりに寂しくってすぐに2人目作って、年子でてきてるんですけど。4年の間に3人子どもを産みました、あまりに寂しくて。
花梨:それ以降、何か改善することはあったんですか?
あっこ:えっとーもう私、それから子どもを本当にDVっていうか、やっぱ自分の感情で子育てしてて。最初の子なんて父や母にされたように叩く蹴るをしていました。すごい自分も悩んでいたけどどうしていいのか分からなかった。
ショッピングセンターで長女がギャーと騒ぎ、もうどうしようもなくって置いていったことがあったんですよね。で、後で追いかけてきてくれたおばさんに、あなたの子どもなんだからあなたがちゃんとしないとって言われたんだけど、そのときに私は本当に自分が困ってるっていうのを初めて気づいたのね。
で、私は困ってるんだっていうのを夫に言ったら、そんなこと俺に言われてもわからんよって言われて。結局私が子どもを育てたら子どもたちに何かもっと悪い事態になるんじゃないかってすごく不安になって。保育園というか、私は仕事に出ようって決めたんですよね。
自分で全部するなら、なんでもかんでも自分でするんだったらそれでいいよっていうふうに元夫に言われたので、もう自分で何でもするしかないなと思った。保育園にすぐ入れられなかったので託児所に預けて、仕事をフルタイムですることに決めたんですよ、28歳のときに。
花梨:仕事を始められてからはいかがでした?
あっこ:創業期間もない広告代理店に勤めた。何でも自分たちで考えてするっていうのがすごく楽しく、自分を何か取り戻していくような感覚があったんですよね。でも働いていた5年間その間、子どもがどうやって大きくなったのか覚えてないんですよね。
だから、ある日突然それに気づいて愕然として、ここまでいいんだろうかって思い始めた。そしたら4人目ができて、「あなたと一緒に仕事をすると、売り上げは上がるかもしれないけどいろいろ大変だから辞めて欲しい」って会社から解雇宣言があった。私にとってもよい機会だと思い、退職を決意しました。
誰かに雇われるのはもう難しいかもしれないと考え、4人目が1歳になるころ、34歳のときに起業しました。
花梨:当時起業された会社を、現在でもやられている?
あっこ:はい。最初は英語を教えないこどもの英会話教室を立ち上げました。そこで子育てに悩んでいる親子のコミュニケーション講座を始めました。そこから、こどもの学校おとなの学校っていう保育事業に発展していきました。必要に応じて「起業講座」や「自分を知るための講座」などの講座が増えていきました。
でも、それだけじゃなんか人って追いつかないなと思って、スピリチュアルっていうか、目に見えない魂だったりとか。霊的成長っていうんですけど、自分自身が向上していくために、幸せになるためにどうするのかっていう講座にどんどん広がっていって、今があります。
花梨:それだけじゃ人は追いつかないというのは、どういった考えからですか?
あっこ:私自身の人生を振り返ってみました。
1番最初の仕事はお金がありました。次の仕事は時間がありました。3番目の仕事はやりがいがありました。「お金」「時間」「やりがい」があっても私自身が幸せって感じなかったんですよね。
お金があっても、時間があっても、やりがいのある仕事があったりとかしても、楽しい、本当に満たされた人生を送ることができないってどういうことだろう?という問いに応えるべく自己探求がはじまりました。
そのうち自分を探求するっていうことを始めていくと、同じように自分を探求して幸せって何だろうっていうのを追求する人たちが周りに増えていきました。
結果、じゃあ自分が幸せと感じる人生ってどういう人生なんだろうっていう問いに気づいてから、今までやってきた保育事業をやめて、私を含めた出会う大人たちが、じゃあ自分の人生を、本当にこの人生でよかったって謳歌できるような人生にサポートするために、何ができるだろうを追求した講座だったりセミナーをするようになったんですよね。
未来:だから結果がどうなるかちょっと楽しみです、どうやって死ぬか。
花梨:5年後、10年後、あるいは亡くなるときまで想像してもらった時に、未来に対してはどういったイメージをお持ちですか?
あっこ:私今ですね、さっき話してたパートナーとは別れて、なんか自分のことをすごい好きになる機会があったんですよね。それまで全然好きじゃなかったんですけど、自分のこと本当に好きで、自分を楽しませて生きようと思ったときに出会った彼がいて。あのー20歳年下なんですよね。
で、その彼と今一緒に、結婚っていう籍は入ってないんですけど、事実婚としてずっと生活しています。とにかく20歳違うので、きっと私の方が先に死ぬだろうっていうふうなんですけど、できれば一緒に死にたいねって言ってるので、90歳ぐらいまで生きれたらいいなって思ってて。
心は健康なんですけどやっぱ体はだんだん衰えてきてるので。心と同じぐらい体も元気でいられるように、今ちょっと健康の方を割と重視して過ごしてるんですよね。なので、5年後10年後は今よりもより健康であるっていうところを目指しています。
花梨:自分のこと本当に好きという感覚は、どういった瞬間に実感されましたか?
あっこ:それが本当に驚くぐらい、まさに今から仕事が、やってる仕事が盛んになっていくっていうときに、すごいむなしさを感じた日があったんですよね。なんか誰かのために、自分を身を粉にして生きていたんだ私っていうことが、ある日突然こうなんていうのかな。雷のようにそんな感じがバーンって落ちてきて、自分に。涙が止まらない日があったんです。
で、私、今まで自分が一番最初に自分の希望を叶えるっていうことよりも、目の前の人の希望を叶える、問題を解決するっていうことにすごい時間を注いできたなって思ったらすごいむなしくて。私自身の希望を一番に考えるとしたらどうしようって思ったら、なんか仕事はやり続けるけど、このやり方を変えたいと言って、会社の形態を全部変えてしまったことがあったんですよ。それからですね、どんなに嫌われても、どんなに文句言われても、私が幸せであるということを、ともに喜べる人たちと一緒に生きようって決めたんですよね。
そしたらこれまで会社の収益も徐々に上がっていたのに、収入が10分の1ぐらい減りました。なんかもう全部壊しちゃった感じ、自分で。
この一生で私自身がやるべきことっていうのをすごくやってる感じがしてて。だからこの先もずっとそういうふうに、何が私のすべきことかわからないけど、その都度その都度メッセージを受け取るので、それに従って生きていこうかなと思ってはいます。
花梨:パートナーの方とご一緒に最期を迎えたいと話されていましたが、その最期や、それまでの生活のイメージは思い浮かんでいますか?
あっこ:もう全然ないですけど本当に。彼はうちの会社の従業員でもあります。会社が大きく変わった時(収入が10分の1減になった時)その彼に慰められるなんて思ってもいなかったし、彼も慰めるとは思ってなかった。ある日、偶然に彼との過去世を一緒に見た日があったんですよね。で、びっくりしました。
その日を境に彼にものすごい縁を感じるようになって、過去世リーディングをしてみた。そしたら過去世でも彼とは何度も何度も何度も彼とは出会っていた。今世もその2人で出会ってやらなくちゃいけない役割があるねっていうことを知った。それをやり終えるまではやっぱり死ねないし。まあ別に彼を置いて死ぬことはできるんですけど。でもやっぱ彼と一緒にいると、年齢とか立場とかっていうのも全く気にならないんですよね、不思議と。で、こんなに居心地がいい人が世の中にいるなんて知らなかったなって思って。で、まあ年齢的に私の方が早く死ぬかもしれないけど、彼にとっても居心地がいいっていう存在だったら私が。できるだけ長い時間その時間を楽しめたらいいねっていうことだったんですよね。だから結果がどうなるかちょっと楽しみです、どうやって死ぬか。
花梨:もし、元夫と出会われていなくて、ご結婚されていなかったとしたら、あっこさんの人生はどうなっていたと思いますか?
あっこ:私あのー、すごく過ちというか、遠回りをしてたと思います。彼と結婚していなかったら海外に行こうと思ってたんですよね。
花梨:あっそうなんですね。
あっこ:はい。当時結婚するか海外に行くかってすごい思ってたんですよね。でも、海外に1人で行くっていうのは実はそのとき不安もあったので、かなり無茶して行くことになると思うんですよね。なので、幸せだなっていう人生からすごく遠のいてたと思いますし、今子子ども4人いますけど、4人の子どもたちとも出会えなかったと思ったらちょっと寂しいなって思うので。なんかきっと苦労してたと思います。
花梨:その苦労っていうのは?
あっこ:なんか逃げ出すように家を出てたと思う。きっと目的を見つけるまでにすごい時間もかかるだろうし、お金もなくて、多分すごく苦労してそのまま帰ってくるか、何かお得意の良い道じゃない方に染まって、適当に人生を送るんじゃないかなと思いますね。プラプラと。
花梨:今一緒にご生活をされているパートナーの方ともし出会えていなかったとしたら、どういう人生になっていたと思いますか?
あっこ:あーそうですね。会社を拡大してたと思います。ちょうどその時期だったんですよね。会社をもう一段大きくしようっていう時期で。すごく大規模にっていうか、福岡を中心にいろんなところに出張で講座を行ってたんですけど。それをもうちょっと広げるというか全国的に広げるっていう活動をしていたと思います。仕事的には成功を収めてたかもしれないですね。なんか成功っていうか、拡大っていう意味の成功を収めてたと思います。
花梨:ご自身の生活に対しては、どんな気持ちになっていたと思いますか?
あっこ:ズタボロだったと思います。もう彼と出会わなくても元夫とは離婚しようと思っていたので。もっと酷い関係に元夫となってた。円満離婚なんですけど、あのー笑いながら離婚したんですけど私達。そうじゃなくてなんか殺し合いの果てに離婚みたいな。もうズタボロになってたと思う、お互い。
花梨:円満離婚だったんですね。
あっこ:もう18歳の時に出会ったから、30年近く。昔馴染みだったから彼との生活は気楽ではいた。いろんなことを話し合って、それでも彼との老後を考えると、私は幸せじゃないなっていうのをすごく感じたから、別れたいと伝えた。彼も私と一緒にいる感じはやっぱりしないからいいよって。
で、子どもたちがすごい後押ししてくれてて、子ども全員父親の方についたんですよね。それも彼にとってはすごく良くて、なんか1人ぼっちにならなくてよかったと思います。今でも元夫がいないときは元家に子どもたちと過ごすために遊びに行ったりとか泊まったりします。すごい自由にさせてもらっている。
花梨:最後に言い残したことはありますか?
あっこ:なんか私、自分の人生っていうか、自分にすごく素直に正直に生きてるなって思うので、やっぱ自分のことを諦めないで生きていく人が増えていくといいなって本当に心から思ってます。
あとがき
目に見えないものに対する捉え方は、とりわけ多様な意見が見られますよね。
嘘だ!と言う人もいれば、信じている人もいれば…。
私はどちらかと言えば、その存在を信じたいと思っている方です。そういったものが見えたことはないけれど…。
だから、インタビューを通じて、その感覚を知れることがすごく面白いなと思うのです。あっこさんの素直な語り口が、その感覚をより鮮明なものにしてくれていた気がします。
自らの心に素直に従うあっこさん。そんなあっこさんから出てくる言葉に、勇気や楽しさ、安心をもらえたインタビューでした。
改めてあっこさん、インタビューのご参加ありがとうございました!
次回の無名人インタビューもお楽しみに。
【インタビュー・文字起こし・編集・あとがき:花梨】
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